森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

Dragon Ash、あゆ、GLAYから読み解く1999年のJ-POPと時代の空気 〜LL教室の試験に出ないJ-POPイベントふりかえり

先日、このようなトークイベントをやりました。

「LL教室の試験に出ないJ-POPシリーズ〜1999年編〜」

www.velvetsun.jp


その名の通り、1999年のJ-POPについていろんな角度から語るという趣旨。「試験に出ない」というところには、一般的な語り口ではない、オルタナティブな目のつけどころで重箱の隅をつつこうという意図が込められています。

 

ゲストにはニューアルバムをリリースした直後のTWEEDEESの清浦夏実さんをお迎えしてしまいました。お忙しいところ恐縮でした。

 

それぞれの1999年

その清浦さん、1999年には小学3年生。そしてLL教室メンバーのうち、森野さんとハシノは大学生。矢野くんは高校1年生。

つまり出演者4人がそれぞれ適度に年が離れており、世代ごとに異なった切り口で語ることができた。

 

森野さんは当時すでにバンド活動を熱心にやっていて、J-POPはほとんど聴いてなかったそう。たしかに、バンドやってると友達とか身近なシーンの音楽が関心の中心になり、世間で流行っているものとは距離を感じるようになるな。

自分は2002年頃からそんなモードになる。

 

 矢野くんは東京育ちらしい早熟な感覚で、高1ですでにマーヴィン・ゲイを聴いて公民権運動に思いを馳せていたらしい。恐るべし。

 

一方その頃の清浦さんは、世間の流行りとほぼ同期して清浦家に入ってきていた音楽をそのまま吸収していたとのこと。

たとえばこの年大流行した「だんご3兄弟」はもちろんのこと、宇多田ヒカルやジャニーズはリアルタイムで聴いていたそう。

ところが同じぐらいヒットしていたはずの浜崎あゆみGLAYDragon Ashは清浦家にはまったく入ってこなかったらしい。

清浦家でフィルタリングが作用していたのか、単にアンテナにまったく引っかからなかったのか。

大人からしたらどちらも区別なく売れてるJ-POPなんだろうけど、小学生のアンテナに引っかかるかどうか、微妙なラインがあるんだろうな

たしかにあゆやGLAYDragon Ashあたりはちょっと不良ぶりたい層の心をつかむことでメガヒットになったところがある。地方の中学生がギリギリあこがれるワルさ。今も昔もそこを突くのが歌謡曲商売の勘所なんだと思う。

 

2018年でいうと、EXILE一派が身にまとっている空気のなかに、やはりワルさ成分は入ってるでしょう。「HiGH&LOW」シリーズで前面に出てる部分ね。

 

 そしてわたくしの1999年はというと、大阪郊外のロードサイドのCDショップでバイトしてました。空前のCDバブルや、インディーズからのメロコア、ミクスチャー、日本語ラップといったシーンが盛り上がっていく様、北欧ダンス・ポップやユーロビート音ゲーの融合などなど、さまざまな世相をレジの後ろから眺めていた。

 

詳しくはこちらのブログをご覧ください。 

 

1999年のJ-POP界 

 この年のJ-POP界で外せない要素としては、ヴィジュアル系バンドが競うように大規模な野外ライブをやったこと。

90年代初頭からXが切り開いたというか作り上げたシーンが、ここにきて完全に世間一般に浸透したということ。

特にGLAYは、YOSHIKIに見出されたというヴィジュアル系の出自があるものの、佐久間正英プロデュースのBOOWYフォロワーという位置づけの方が実態に近い気がするし、なんならBOOWY以上に日本人が好きなウェットな歌謡ロックを極めることができたわけで、そりゃ20万人集められるわなって(この記事の後半で詳しく話してます)。

https://pbs.twimg.com/media/DjZDjpFUcAAvmr7.jpg

 

あとは女性R&Bブームね。UAMISIA、bird、SILVAといった、ファンキーでソウルフルな女性シンガーが続々とデビューしていた。

結果的に社会現象レベルに売れた宇多田ヒカルでさえ、最初はそのブームの中に位置づけられる一人として認識されていたわけで。m-floも最初はその文脈。

「クラブ」とか「DJ」って存在が、地方の高校生ぐらいまで浸透してきたのがこの頃。

 

一方で、この年からフジロックが苗場に会場を移したのと、ライジングサンが始まっており、フェス文化が本格的に日本に定着しはじめている(AIR JAMは98年からサマソニは2000年から)。

 

インディーズ界もこの数年でかなり盛り上がってきており、Hi-STANDARDに続くようにSNAIL RAMPBRAHMANあたりが大活躍。下北沢ではBUMP OF CHICKENGOING STEADYが活動を始めていたり。

 

そして80年代末から10年ぐらいずっと冬の時代だったアイドルの世界が、モーニング娘。LOVEマシーン」の大ヒットにより復活の狼煙を上げるのもこの年。

 

さらにいうとiモードがサービス開始したのも99年で、現在のサブスクリプション音楽配信サービスへとつながる流れの源流として「着メロ」の販売が始まっている。

それと入れ替わるように、CDの売り上げが98年にピークを迎えており、99年はここからズルズルと終わらない下り坂になっていく入り口でもある。

 

みんなが知らない曲がチャートの1位になってるって現象は21世紀では特に珍しくもないが、90年代はまだそんなことなかった。国民みんなが知ってるヒット曲がチャートで1位を獲ってた。そんな国民的ヒット曲の最後が、この年の「だんご3兄弟」なんじゃないか。

 

こうしてみると、1999年は21世紀の音楽シーンを形成するいろんな要素が出揃ってきた年だなっていう印象が強い。

 

 

歌詞分析

イベントは後半に入り、恒例(にしたい)の歌詞分析のコーナーへ。

現役の国語教師にして文芸批評家である矢野利裕くんがメンバーにいる強みをいかしたコーナーですね。

今回は作詞家でもある清浦さんもいるし。

 

Dragon Ash「Grateful Days」

まず取り上げたのは、Dragon Ash「Grateful Days」。

言わずとしれた「俺は東京生まれヒップホップ育ち」という超有名フレーズが入ってる例の曲。

あまりにも売れすぎたせいで、日本語ラップ親に感謝しすぎとかいろいろ揶揄される対象にもなってしまったけど、実は日本語ラップのマナーに則った歌詞だということが、矢野くんの解説でどんどん明かされていった。

 

当時はまだ音楽を志す若い人にとってロックバンドのほうが圧倒的に馴染みがあったわけで、日本語ラップというものに対して、なんかよくわからんけど不良ぶってたりすぐYo!とか言ったりあと自慢みたいな歌詞が多くて変だよねってイメージを持ってるやつが多かった。自分も含めて

あとストリートとかなんとか言ってるけど一億総中流の平和な日本で、生きるか死ぬかの世界で育まれたアメリカ黒人文化の猿真似をしてるのも滑稽だよねっていう意見とかね。

 

ただ2018年の現状では、たとえば自慢みたいな歌詞はボースティングっていうヒップホップ文化の一環でありそういうもんだっていう理解が広まってたり、日本社会がどんどんシャレにならないレベルで荒廃してきてるなかでどんどんラップの言葉がリアリティを獲得していったりしてる。

逆にいつまでもナイーブな自意識のことばかり歌ってるロックバンドのほうが、時代の空気を乖離してきているのかもね。

 

Dragon Ashの「Grateful Days」は、次の時代のモードをいち早くメジャーな場所で提示した曲なんだよなってあらためて思いました。

 

浜崎あゆみ「depend on you」

90年代というのは、かつての「アイドル」や「歌手」といった存在がそのままではやっていけず、「アーティスト」という形態にならざるを得ない時代だった。

たとえば坂井泉水というソロ歌手ではなく、ZARDというグループですという名乗り。

アイドル歌手としてはパッとしなかった渡瀬マキが、リンドバーグのボーカルとしてブレイクしたこと。

そんなふうにグループ化することで90年代に流通しやすい形態をとることが多かった。

 

または、みずから作詞することで、与えられた役割をこなすお人形ではありませんよ、自分の言葉を持ったアーティストですよっていうブランディングをするパターンも。

 

みずから作詞することで脱アイドルをはかるといえば、古くは森高千里がそうだったけど、浜崎あゆみも完全にその戦略が大当たりした人だった。

 

1999年の時代の空気を語る上で欠かせないのが、ケータイ小説

限りなくアマチュアな書き手たちによって徹底的に固有名詞を排して同工異曲に量産されたケータイ小説のなかで、例外的に固有名詞を与えられていたのが浜崎あゆみだったという、速水健朗さんの指摘を引用した矢野くんの分析。

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

 

それぐらい、ケータイ小説の書き手や読み手にとって特権的な地位を得ていた存在だったということ。

あゆの「自分の言葉」が、ケータイ小説の世界観とものすごく親和性が高かったんでしょう。

 

この「depend on you」という曲も、もちろんあゆ自身の作詞。

「あなたがもし旅立つ その日がいつか来たら そこからふたりで始めよう」で始まるこの曲。歌の中で時制とか仮定の話がぐちゃぐちゃになっていて、話の筋が追いづらいよねっていうところから、これはもしかしたら男に送ったメールの文面なんじゃないかっていう森野さんの指摘が生まれ、一気に解釈がはかどった。

仮定の話でメールしたら返信がなかった、返信しやすいように疑問型にして送ってみたけどそれでも返信がない、疲れてるのかなって自己解決して勝手に話を進めていく、といった感じに読んでいくと、脈のない相手に対して一方通行でメールを送り続ける痛々しい女性の姿が浮かび上がってきて、思わず会場全体がうわー!っていう空気に。

 

90年代の「アーティスト」志向の高まりにより、もっとも割りを食ったのがプロの作詞家たち。多少素人くさくても歌手本人のリアルな言葉で、っていう要請により職人たちの出番は激減した。

小室哲哉もみずから歌詞を書きたがったよなそういえば。あれも今にして思うとどうなんだろう。小室なりにレイブとかカラオケとか、若者文化にアンテナ高い自負があるようなことを当時語っていたので、古いプロの作詞家よりも自分のほうがリアルな歌詞が書けるっていう思い上がりがあったのかもしれない。

思い上がりって書いたけど、たしかに結果は出してるからまあそれが正解だったといえばそうで、それもひっくるめて90年代らしい話だな。

 

2018年はというと、秋元康など90年代に息を潜めていたプロの作詞家が見事に復活してる。J-POPに求められる要素のなかに、「自分の言葉で歌ってるかどうか」はまったくと言っていいほど入らなくなっており、隔世の感がある。

 

GLAYwinter,again

99年に「だんご3兄弟」と宇多田ヒカル「Automatic」に次ぐセールスを叩き出したのがこの曲。シングルで165万枚売り、さらにこの曲が収録されたアルバムは200万枚以上売ってる。

 

おもしろいのが、レコード大賞と有線大賞の大賞を獲っているということ。

有線大賞って基本的に演歌とかそっちが強くて、J-POPっていっても虎舞竜の「ロード」とかが賞を獲ってきたんだけど、この曲は世の中にそっち寄りのものとして受け入れられたんだよな。

 

まあそれも聴けば納得で、歌詞の世界は「あなた」への想いをウェットに歌い上げるもの。「無口な群衆 息は白く」なんて出だしは、「津軽海峡冬景色」を連想させるし。

 

ヴィジュアル系というのは世間の常識に対する異物として誕生したシーンだったはずだけど、YOSHIKIは皇居に呼ばれるしGLAYは有線大賞を獲るし、結局は日本の土着的なものに取り込まれていったんだなって思うとおもしろいよね。電気グルーヴの「しまいにゃ悪魔もバラードソング」っていうラインも思い出す。

ちょっと飛躍するけど、仏教が日本に伝来したときってさ、奈良の都会の一部のエリートがかぶれてる舶来のかなりとんがった思想だったはずなんだけど、長い年限を経て現代の葬式仏教になっていったわけで、そういうのに似て、日本社会の相変わらずのしたたかさを感じる。

 

閑話休題GLAYのバラードにおけるお茶の間っぽさ、もっというとフォークソングっぽさってなんだろうっていう話をしていると、実際にTAKURO氏と話したことがあるっていう森野さんから答え合わせになるような証言が。

TAKUROっていう人はヴィジュアル系に対して特に強い思いがある感じではなく、むしろルーツはフォークなんだって。

ヴィジュアル系という意匠があくまで手段なのであれば、もっと売れるためにって考えたときにそっちのバックボーンを活かしたほうが日本においては強いっていう戦略になったのかも。そしたらそれが大当たり。

 

その後、話が盛り上がった勢いで、みんなで「winter,again」を歌ってみようということに。清浦さんもお客さんも巻き込んでしまい、ふだんはおしゃれなベルベットサンが歌声喫茶状態に。

歌ってみてあらためて思ったけど、この曲の構造もすごく強くて、Bメロ(いつか二人で行きたいね〜のところ)がすでにサビ級の盛り上がり方をしてる。AメロからBメロへの盛り上げ方も、完全にサビ前のそれ。

なので、十分サビっぽいBメロになってるんだけど、そこからさらに本当のサビ(逢いたいから〜のところ)がくるため、気持ちよすぎてもう完全に心を掴まれてしまう。

 

ちなみに日本有線大賞は、視聴率低迷のため2017年が最後の放送になった。

最後に受賞したのは氷川きよし

 

まとめ

こんな感じで批評あり歌ありで1999年のJ-POPをふりかえるイベントは大盛り上がりで終了。

お客さんは1999年にはまだ生まれていない20代から当時すでに大人だった40代以上と幅広かったものの、あまり誰も置いてけぼりにせず進行できたかなと。

多くの方に次回も行きますといっていただけてありがたかったです。

 

この試験に出ない90年代J-POPシリーズ、過去には1991年(ゲスト:星野概念くん)、1992年(ゲスト:グレート義太夫さん)、1998年(ゲスト:ヒダカトオルさん)という感じでやってきてて、1999年(ゲスト:清浦夏実さん)で4回目。

 

まだ半分残ってるし来年以降も続けていきたいと思っており、すでに次回の予定も決まってます。

 

次回は2019年1月13日(日)。

場所は同じく荻窪ベルベットサンで、取り上げるのは1993年!

詳しいことは近日中にお知らせします。

 

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【保存版】フレディ・マーキュリー追悼コンサートの味わいどころ

映画「ボヘミアン・ラプソディ」が公開され、世界中でフレディ・マーキュリーへの関心が高まっていますね。

映画としてもすごくいい出来で、あの場面とかあの場面とか涙なしには観られなかった。

これから世界中で大ヒットすること間違いなし。

映画をきっかけに何度めかのクイーン再評価の機運が高まって、映像や楽曲はYoutubeなんかで過去最高レベルでめっちゃ検索されてるだろうし、あらためて良さを知る人が増えまくることでしょう。

 

We Will Rock You」だとか「We Are The Champions」をはじめ、クイーンの曲だと知らないままに認知されてるケースがとても多いだろうけど、はじめて曲と人が一致する的なことが起こってくれたらと思う。

 

でですね、この機会についでに知ってほしいものがあります。

それが、1992年に開催された「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」。

 

フレディ・マーキュリーは1991年11月24日にエイズによる気管支炎のため亡くなるわけだけど(ネタバレ)、その翌年4月、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで大規模に追悼コンサートが行われている。

 

そう、ウェンブリー・スタジアムといえば、クイーンが見事な復活を遂げた1985年のあのLIVE AIDが開催されたのと同じ場所。

その場所に、フレディ亡き後のクイーンの3人のメンバーが立ち、フレディの代わりに縁のある大物アーティストが入れ代わり立ち代わり登場してクイーンの曲を歌うという。

ちなみにコンサートの収益はエイズと戦う財団に寄付された。

 

この追悼コンサートの様子は当時日本でもWOWOWで放送された。

中2の自分にとってクイーンはほぼ知らないバンドだったんだけど、出演したメタリカとかガンズ・アンド・ローゼズ目当てでこの追悼コンサートを観たんだった。

フレディ・マーキュリーがどんな人なのかは全然わかってなかったけど、そうそうたる面々が集まって、ものすごい人数の観客と一緒に追悼するような、それだけすごい人だったんだなってことはよくわかった。

 

幸いなことに、この追悼コンサートは映像化され、またYoutubeに公式が何曲か公開している。 

今日はこのコンサートの見どころをYoutubeを貼りつつ紹介していこうと思います。

映画を観た後の余韻にひたりながらでも、映画を観る前の予習としてでも楽しめます。

 

前半 

前半はいろんなバンドが数曲ずつ自分たちの持ち曲を演奏していった。

各バンドの出番前にクイーンのメンバーが一人ずつ出てきてひとこと紹介のMCをする。

 メタリカ

まずトップバッターで登場したのが、メタリカ

1991年にリリースした通称「ブラック・アルバム」という大名盤が全米ナンバーワンになり、ハードロック/ヘヴィメタルにとどまらずロック界全体に大きなインパクトを与えたばかりのメタリカ

メタルの中でもより速くて重くて激しいスラッシュメタルというジャンルを代表する存在にして、クイーンを含む幅広い音楽的ルーツを持っているメタリカ

 

そのメタリカがまず自分たちの曲を3曲やった。

 

クイーンといえば美しいバラードのバンドだと思っている方々からすると、なんでこんなやかましいバンドが追悼コンサートに!?ってびっくりするかもしれないけど、クイーンはバラードもいいけどそれと同じぐらい、ホットなハードロック曲もいいんです。

その路線の継承者として、1991年の飛ぶ鳥を落とす勢いのメタリカはこのコンサートのトップバッターにふさわしいと思う。

 

その証拠に、観客のこの盛り上がりっぷり。

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エクストリーム

次に登場したのが、エクストリームっていうアメリカのバンド。

当時はファンク・メタルなんて表現された、若干ファンキーなハードロックがウリ。

ギターのヌーノ・ベッテンコートという人がめちゃめちゃギター上手でおまけに男前ってことで、日本でも結構人気あった。

ハードロックのバンドにしては上品で学歴高そうなところがクイーンに通じるよね。冒頭、クイーンのブライアン・メイが地球上のどのバンドよりもクイーンっぽいって紹介してた(たぶん)のもうなずける。

 

そのエクストリームは自分たちの曲ではなく、クイーンの曲をメドレー形式でたくさんカバーした。コーラスも達者だし完成度かなり高いし、選曲もほんとにクイーン大好きなんだろうなってわかる。

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デフ・レパード

ここまでアメリカ勢が続いたけど、ここでやっと地元イギリスのバンドが登場。

80年代に全世界で1千万枚単位でアルバムを売ったモンスターバンド、デフ・レパード

ハードロックをベースにした、分厚いコーラスのキラキラした曲っていう点で、クイーンのある部分の正統な後継者って感じがするよね。 

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ボブ・ゲルドフ

くだんのLIVE AIDを企画したアイルランドの人。LIVE AIDの成功によりナイトの称号を授かったそうな。

その後もさまざまなチャリティー関係の活動に関わっていくけど、ミュージシャンとしての活動は正直あまりよく知らない。

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スパイナル・タップ

架空のバンドを描いたフェイク・ドキュメンタリーの映画「スパイナル・タップ」というのがあって、その主人公たち。

60年代に結成されその後の時代の流れにもまれながらもサヴァイブしていくバンドの様子を描いた映画は、今もカルト的な人気がある。ハードロックあるあるが満載の楽しい映画。

バンドとしてのスパイナル・タップは、フェイク・ドキュメンタリーの映画の中の存在だったけど映画から飛び出して普通にアルバムをリリースしたりライブをやったりしてるという、なんか説明が難しい存在だな。日本でいう「くず」みたいなことか。

しかし追悼コンサートにこの人らが出てくるってところがいかにもイギリス人のセンスって感じがする。変な王様みたいな衣装で出てくるし。 

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U2

直近だとiTunesに勝手にアルバムがプリインストールされてて悪評だったことで有名だけど、アイルランドが生んだ偉大なロックバンドなんです。

 1991年には壁が崩れて冷戦が終結したばかりの動乱のベルリンにわざわざ乗り込んでレコーディングしたアルバム「アクトン・ベイビー」をリリースし、音楽性がガラッと変わったばかりの時期。

この日のコンサートでは自分たちだけ別会場からの中継で参加するという、紅白の長渕剛みたいな立ち位置だった。何様って思うけどU2様だもんなーという。

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ガンズ・アンド・ローゼズ

このブログでも何度か言及してきた、アメリカの不良ハードロックバンド。

突然ですがガンズのドラマーの話 - 森の掟

 

B'zやTOKIOをはじめ、90年代J-POPの男性アーティストに音楽性でもファッションでも多大なる影響を与えた。

ドラッグ中毒だし素行不良だし攻撃的な曲が多いしでフレディ・マーキュリーとの接点なんてまるでなさそうに一見みえるけど、1991年にリリースした「ユーズ・ユア・イリュージョンⅠ&Ⅱ」というアルバムには、「ボヘミアン・ラプソディ」あたりの影響をすごく感じる壮大な曲がいくつも収録されており、意外と繊細かつ壮大な曲を作れるんだってことが判明している。

 

1991年以降は低迷したりメンバーチェンジしたり活動休止したり復活したりしてて、数年前からほぼオリジナルメンバーでまた活動し始めた。

つい最近、トランプ大統領が自分たちの曲をイベントで使うのをやめてくれと抗議したことでニュースになってた。

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このあと、南アフリカエイズのチャリティーコンサートと中継をつないだりエリザベス・テイラーのスピーチがあって、前半終了。

 

後半

ジョー・エリオット&スラッシュ&クイーン

先ほど登場したデフ・レパードのボーカリストと、ガンズのギタリストが、クイーンの3人とともに「タイ・ユア・マザー・ダウン」を演奏。

後半のスタートにふさわしい派手なハードロック曲。

スラッシュはもじゃもじゃ頭に上半身裸でギターはレスポールっていう、ものすごいキャラ立ちですが、四半世紀たった今でも同じスタイルを貫いてるからすごい。

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ロジャー・ダルトリー&トニー・アイオミ&クイーン

60年代から70年代にかけてイギリスを代表するバンドだったザ・フーのボーカリストであるロジャー・ダルトリー。あのウッドストックにも出演してたよね。

そしてブラック・サバスのギタリストであるトニー・アイオミ。つまりオジー・オズボーンの元同僚。サバスはいわゆるヘヴィメタルという音楽の原型をほとんど最初に作り上げた、めちゃめちゃ偉大なバンドですよ。

ブラック・サバスの曲の一部とザ・フーの曲の一部をチラッと弾いてから、みんなで「アイ・ウォント・イット・オール」へ。1989年つまりかなり晩年にリリースされた曲。

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ゲイリー・シェローン&トニー・アイオミ&クイーン

ゲイリーは先ほど登場したエクストリームのボーカリスト。エクストリームの解散後はヴァン・ヘイレンに加入することになる。あんまりロックスター然とした感じではないけど、たぶん性格のいいがんばりやさんなんだと思う。

当時エクストリームはデビュー3年目ぐらいの若手。この日の出演者の中ではかなりの若輩者なわけで、いかに彼らがブライアンたちに気に入られて抜擢されたかってことだよな。

トニー・アイオミもこの次まで計3曲に参加。この時点でもだいぶベテランだけど、でも今から四半世紀前はまだまだ若いよな。今や完全におじいちゃんだもんな。

演奏したのは、LIVE AIDでもやった「ハンマー・トゥー・フォール」。

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ジェームズ・ヘットフィールド&トニー・アイオミ&クイーン

メタリカのギター・ボーカルのジェームズが登場して「ストーン・コールド・クレイジー」を熱唱。

ワルそうなギターリフはトニー・アイオミの得意な感じのやつだし、歌もとってもジェームズに似合ってる。この追悼コンサートの中でもかなりハマってるカバーだと思います。

あと普段はギターを弾きながら歌ってるジェームズがハンドマイクっていう姿もめっちゃ貴重。

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ロバート・プラント&クイーン

続いて登場したのが、レッド・ツェッペリンロバート・プラント

ツェッペリンといえば、クイーンと並ぶ70年代の英国ハードロックを代表するバンドで、ドラマーの死などがあり解散していたが、例のLIVE AIDのときに一回限りで再結成していた。

この日はまずクイーンの中でもエキゾチックで神秘的な「イニュエンドウ」を選んで歌った。のはいんだけど、なぜか声が出てなくて残念な出来。

そこからツェッペリンの曲を2曲やって、クイーンの「愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)」を。

しかし最初の「イニュエンドウ」はこの人のキャラというかツェッペリンのイメージにぴったりだなと思うけど、「愛という名の欲望」はどうだろうか。ちょっと軽快でお茶目すぎないか。決めのところで腰を振ったりしてるけど大丈夫か。

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ブライアン・メイ

天文学者になりたかったクイーンのギタリスト、ブライアン・メイが、クイーンの最後のアルバムに収録されている自作の「トゥー・マッチ・ラブ・ウィル・キルユー」をエレピの弾き語りで歌った。

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ポール・ヤング

80年代にイギリスで人気があったシンガーってことぐらいしか正直知らないけど、いい声してますね。

歌ったのは「レディオ・ガガ」。レディー・ガガの芸名の元ネタ。

LIVE AIDでも演奏された曲で、つくったのはドラムのロジャー・テイラー

歌詞がまたすごくいいんだこれが。思春期にラジオめっちゃ聴いてた人間にはたまらないラジオ賛歌。

サビで手を2発叩くやつを観客全員が揃ってやってるところも注目。

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デヴィッド・ボウイアニー・レノックス

フレディ・マーキュリーとボウイのデュエット曲「アンダー・プレッシャー」を歌ったのは、メイクがめっちゃインパクトあるユーリズミックスアニー・レノックス

この時期のデヴィッド・ボウイは、ティン・マシーンというバンドを結成し、過去の曲はやらないと宣言してた。時代の変わり目でいろいろ試行錯誤してたんだと思う。

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ボウイはこの日「アンダー・プレッシャー」に続き、モット・ザ・フープルに提供した「すべての若き野郎ども(オール・ザ・ヤング・デューズ)」と、ボウイの「チェンジズ」をクイーンやモット・ザ・フープルのメンバーと一緒に演奏。

過去の曲やらないって言ってたけどチャリティーは別枠なのか。

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ジョージ・マイケル

ワム!からソロになったジョージ・マイケルは、「'39」「輝ける日々」「愛にすべてを(Somebody To Love)」を歌った。

 

複雑なバックボーンだったりゲイだったり、フレディと相通じる部分が多いこの人。実際クイーンの大ファンだったというし、この日の「愛にすべてを」では歌声もめっちゃ似てる。

 

後にブライアン・メイが語ったところによると、フレディ亡き後のクイーンにジョージ・マイケルをボーカルとして迎え入れてはどうかとまわりから勧められたそうな。

確かにこの「愛にすべてを」はすばらしい。

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エルトン・ジョンアクセル・ローズ

生前フレディ・マーキュリーと仲が良かったという、サー・エルトン・ジョン

同性婚をしたことでも有名。

この日は大ネタ中の大ネタ「ボヘミアン・ラプソディ」を歌う。

途中のオペラ部分はレコードの音源をそのまま使用し、後半のギターソロに入るところでパイロが爆発し、短めのマイクスタンドを手に回転しながらガンズのアクセル・ローズが登場。そのままギターソロ明けのパートを歌う。

で最後は2人で仲良く歌い上げて終了。

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エルトン・ジョンは「ショー・マスト・ゴー・オン」を。

しかしさっきも言ったけど四半世紀前だからみんな若いわー。当時すでにベテランだったけど、それでも若い。最近のエルトン・ジョンは映画「キングスマン:ゴールデン・サークル」に本人役で出演して大活躍してるところを観られるけど、もうだいぶおじいちゃんだもんな。

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アクセル・ローズは「ウィー・ウィル・ロック・ユー」を。

声質とかキャラには合ってる選曲だと思ったけど、あらためて観たらあんまりちゃんと歌いこなせてないな。てゆうか曲としてこれかなり変だし、フレディ以外が歌うのかなり難しいと思う。

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ライザ・ミネリ

そしてトリはライザ・ミネリ

フレディが生前すごく憧れていた大女優(映画の中でフレディの部屋に貼られていたポスターはこの人だった‥はず)が、「伝説のチャンピオン(We Are The Champions)」を高らかに歌い上げた。

出演者もみんな出てきて大団円って感じに。

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 何曲かはしょったけど、だいたい紹介できたと思います。

 

この日集まったメンツを見てると、クイーンの音楽がどれだけ影響を与えていたかわかる。影響の深さとともに、幅広さね。

ボヘミアン・ラプソディ」がリリースされたとき、正直ファンはみんな戸惑ったらしい。クイーンどうしちゃったんだって。

 われわれは後追い世代なので、すでに所与のものとしてクイーンに接しているけど、リアルタイムだとそうはいかないだろう。

映画の中でも何度かメンバーが言ってたけど、同じことは二度やらないのがクイーンなんでしょうね。

ハードロックを軸に、オペラだったりディスコだったりいろんなことを試してきたからこそ、追悼コンサートにこれだけの幅広いアーティストが参加することになったんだろう。

 

そしてフレディが亡くなってから四半世紀前たっても、いまだにCMやいろんなところでクイーンの曲は使われまくっている。

 やっぱりすごいわ。

 

 

きみはミサワランドを知っているか

淀川の右岸、つまり大阪府北部は北摂と呼ばれる地域。

阪急電車とJRが淀川と並行して京都と大阪を結んでおり、そこに大阪郊外を南北に貫く近畿道大阪モノレールが直角に交わっている。


阪急電車とモノレールがぶつかる点にある乗換駅が南茨木駅

近畿道とその下道である中央環状、またそこから枝のように府道がいくつも分かれており、北は千里方面、南は門真や寝屋川方面、西は高槻方面からもアクセスしやすい場所に位置している。

 

そんな地理的条件のため物流拠点とか工場が多く、またロードサイドにはお決まりのファミレスやパチンコ屋、カー用品店などが並ぶ。

 

でかいトラックが行き交う埃っぽい道沿い、南茨木駅から少し離れた美沢町の交差点に、それはあった。

 

 

きみはミサワランドを知っているか

かつて茨木市美沢町の中央環状ぞいにあった、ボウリング場にゲームセンター、レストラン、書店、CD・レコードショップが一体になった独立系のアミューズメント施設。

その名はミサワランド。

 

市バスにでかでかと広告を出していたため、地元で知ってる人は多いかも。
または、中央環状で千里方面から南下する途中、名神高速の入口を過ぎたあたりに立っていた巨大なビルボードで認識していた人もいるかもしれない。

 

わかりやすくいえば、ドンキのセンスでラウンドワンとツタヤを合体させたような場所。

ワンマン社長の独特の嗅覚と思いつきでいろんな業態がスクラップ・アンド・ビルドされてきたらしく、かつてカラオケボックスだったであろう倉庫とか、クラブにしようとしてたスペースがゲーセンになってたりしていた。
古参の社員やパートさんの話によると、もともとうどん屋から始まり、ボウリングブームに乗ってアミューズメント方面に触手を広げたのが始まりだとか。

基本的に儲かりそうな領域に手当たり次第に手を出してきたんだと思うけど、それがだいぶカルチャー寄りの領域で商売になっていたというのが90年代っぽい!

 

 

実はわたくし、そのミサワランドのCD・レコード部門で90年代末にアルバイトをしてまして、その数年間はかなり強烈な体験だったので、いまでも時折思い出すんですよ。

 

で地域住民にも結構なインパクトを与えていたんじゃないかと思ってググったりもするんだけど、mixiのコミュぐらいしかヒットせず。

20年以上前のことだし、まあそんなもんかなとも思うんだけど、このままだと世の中から忘れ去られそうな気がするのでそれはちょっと寂しいなと。

 

ということで今回の記事の目的は、インターネット上にミサワランドの記憶を留めるための永代供養みたいなことだと思ってください。

もしくは、「ミサワランド」のキーワードで検索1位を目指す。なくなった店のSEO対策という、よくわからない取り組みです。

みなさまにとっては何の利益ももたらすつもりはないけど、諦めて最後までお読みください。

 

1999年頃の店内の様子 

当時のミサワランドの客層といえば、ゴリゴリのヤンキーからマイルドヤンキー、ギャル、仕事帰りの職人、チャリで来た中高生など、いかにも郊外っぽく、素人時代の鈴木紗理奈がよく来ていたという噂があるんだけど、たしかに鈴木紗理奈がいても何の違和感もない。

 

駐車場は立体駐車場になっており、ナンバープレートが光ってたり車高が低かったりダッシュボードの上に食玩が並んでるような車がたくさん止まっていた。

 

店に入るとまずゲーセン。UFOキャッチャーが充実。あとは当時流行のきざしを見せていた音ゲーの筐体が並ぶ。
UFOキャッチャーコーナーで左に曲がるとレストラン。真っすぐ行って階段をのぼるとボウリング場。右に曲がると書店とCD・レコード売り場。

当時はDVDはまだなくて映像ソフトはVHSのみ。販促の映像を流す用のテレビデオではパラパラの教則ビデオを流してたんだけど、店の通路でそれ観ながら練習するギャルがいたりした。

かつてカラオケボックスにも手を出していた頃の名残の小部屋がバックヤードや倉庫になっており、UFOキャッチャーのぬいぐるみや当時はやったファービーのパチもんなどが在庫としてストックされていた。

 

クラブなみの爆音が鳴らせるスピーカーからはユーロビートや北欧のダンス・ポップが店中に大音量で響き渡っており、またそれに負けじとゲーセンの筐体からもそれぞれ賑やかな電子音が鳴っており、毎日毎日夜更けまでちょっとした祝祭感があった。

深夜2時すぎに閉店するとその爆音が一斉に止み、いきなり静寂がやってくる。

 

耳鳴りを感じながら静かすぎる店内でレジ締め作業をするのがちょっと好きだった。

 

個性的なメンバー

当時のミサワランドは、社長と5人ぐらいの社員、あとはバイトやパートでまわっていた。

ブラックでもホワイトでもない生暖かい空気の職場だった。

 

昼から夕方までは地元のおばちゃんパートがおもにシフトを埋めており、夜から朝方にかけてのシフトは大学生やフリーター。

夜勤メンバーは気づいたら30歳すぎちゃったよははは、社員にならないかって言われてるよ、みたいな古株フリーターがいたり、中卒ですけど肉体労働はしんどいんでここに来ました的なマイルドヤンキーがいたり、かと思うと早々と一流企業に就職が決まって暇になった国公立大の学生がいたりと個性的な面々だった。

 

社員もみんな変わったおっさんたちで、パワハラとかそういうんじゃなく単に薄給で休みなく淡々と働いてる感じだったな。

店員は胸に「MISAWA LAND」と書かれたまっ黄色のトレーナーを着る。くたびれたおっさん社員もそんなファンシーな制服を着て働いてた。

 

CDまわりを担当していた当時おそらく40歳ぐらいの社員の人は、実はガチのブルースマンで、年に一回だけシカゴで行われるブルースのフェスに行くために休暇を取る。

その人が仕入れて売りさばいていた店での売れ筋の音楽はユーロビートとかチャラ箱のダンス・ポップとかなわけで、ブルースとの間に乖離がありすぎて非常に味わい深かった。その状況そのものがブルースってやつなのかなって。

 

強烈だったのは、ワンマン社長。

普段は店に来ないんだけど、たまに真っ白のリムジンに乗って様子を見に来る。

1999年にはもうおじいちゃんといった風貌だったけど、一代で財を成した叩き上げの凄みと、いつも何か思いついては社員にやらせようとするフットワークの軽さは健在って感じ。

 

そしてその社長が「カズヒコちゃん」と呼んで溺愛していた息子。

たぶん当時20代後半?ぐらいのいい大人なんだけど、「カズヒコちゃん」呼ばわり。

 

カズヒコちゃんは当時まだ珍しかったDTM(コンピュータでの音楽制作)をやっていて、なんと坂本龍一のレーベルからCDをリリースしていた。

CDの帯には教授の推薦コメントまで載っており、確かにYMOの影響を感じつつも当時のリアルタイムなクラブサウンドになっていた。

正直かっこいい。

epitone

epitone

 

これがそのCD。ジャケットもおしゃれですね。

 

社長はカズヒコちゃんの活躍がよっぽど嬉しかったのか、中央環状と名神高速が交わるあたりに建てていたミサワランドを宣伝するための巨大ビルボードを、息子のCDの宣伝に転用したのだった。

サイズとしては東京ドームの外野席の上に出てる長嶋茂雄のセコムぐらい。

その看板に、「KAZUHIKO NOW ON SALE」って。

 

すごく正しく親バカでいいなって、自分も親になったいま、素直にそう思う。

 

1999年の音楽エンゲル係数

さてそんなミサワランド、CDショップとしての品揃えもなかなかにカオスだった。

 

当時はCDバブルと言われた時代で、98年なんてアルバムチャートの上位20位まですべてミリオン超えしていた。上位なんて500万枚とかよ。


B'zとかサザンとかユーミンとかGLAYが軒並みベストアルバムをリリースし、あの宇多田ヒカルの『ファースト・ラブ』が年末に出たり。このあたりはほんと夢に出てきそうなほど売った。

 

当時ミサワランドでは万引き防止と補充の効率化のため、売れ筋の商品は店頭に出さず、ジャケをカラーコピーして下敷きみたいなクリアファイルに入れたものを並べていた。お客さんはそれを持ってレジに来る。
売れたらすぐ店頭に戻すようにすればクリアファイルは最低1枚ずつあれば事足りるはずだけど、多いものだと何十枚と用意していた。クリアファイルをレジから店頭に戻す暇もないほど売れる勢いが激しかったということ。

 

カーFMや遊びにいったチャラ箱でチラ聴きしてちょっといいなと思った程度の曲を、アルバムで買いに来る。

たとえばB'zのベストとダンスマニアシリーズとマキシシングル3枚ぐらいで客単価10,000円弱みたいなのが、一般的なラインだった。

 

ちょっと今からは考えられない音楽エンゲル係数の高さ。

今の時代に音楽ソフトやデータに毎月10,000円使う人ってどれだけいる?正直わたくしもそんなに使ってないぞ。

 

980円出せば世界中の古今東西の曲が聴き放題になる現代と比べ、1999年には同じ値段で2曲入りのマキシシングルしか買えなかったわけだ。

ちなみに当時はシングルCDの過渡期で、従来の短冊形のシングルと、マキシシングルの両方をリリースするパターンが多かった。
短冊形はカップリングにカラオケバージョンが入っていて、マキシの方にはリミックスバージョンが入ってるような、それぞれの形態ごとに顧客のニーズに応える感じ。

 

北摂の90年代末カルチャー

当時、お茶の間レベルのCDバブルど真ん中のラインナップを大量に売りさばく一方で、それとは違う流れが出てきたことも感じていた。

 

98年頃からのインディーズ界隈の盛り上がりが、北摂地域にもしっかり波及していたのである。
Hi-STANDARDに連なるいわゆるメロコア勢、そこから派生したスカコア勢、海外の流行とリンクしたミクスチャー勢、全国各地に根を下ろした日本語ラップ勢が、それぞれに活発に交流しながら盛り上がってきていた。

 

小さいレーベルからリリースされていて大手の流通経路には乗ってなかったりするものも多かったんだけど、前述のブルースマンの社員がいろんなルートで仕入れていた。
CDだけでなく、アナログや果てはカセットテープ(ミックステープ)なんかも仕入れてたし、いま思えばなかなかイケてる。

 

当時の北摂のキッズたちがもうひとつ夢中になったのは、クラブカルチャー。

文化系のモテたい男子はバンドをやるものって昔から相場が決まっていたけど、この時期、バンドをしのぐ勢いでDJがモテ活動になってきていた。
TechnicsやVestaxは高価で手が出ないというキッズむけに、バイト代で手が届く無名メーカーのDJ入門セットが雑誌の広告なんかにたくさん載っていた。

 

当時はまだCDJはほとんど出回ってなくて、ましてやPCでDJができるなんて誰も思ってない時代。DJといえば当然アナログレコードでやるものだった。
自分なんかは当時から中古レコード屋で安く掘ることをミッションにしてたタイプですが、みんな基本的にダンスクラシックとかブレイクビーツとかレア・グルーヴの再発されたレコードを買ってたよねDJ志望者たちは。
ブルースマン社員はそういうニーズを目ざとく把握して、ちゃんと仕入れてたと思う。

 

そんな感じで草の根からDJ文化が勃興していくのを肌で感じてて、そしたら半年後くらいからJ-POP側がそれに呼応するように、新譜をCDだけじゃなくアナログでもリリースするようになってきた。

 

USで安くプレスするインディーズとは違って、J-POPのメジャーどころは東洋化成でしっかりした盤をリリースする。でも確か同じタイトルでもCDは売れ残ったら返品できるけどアナログは返品できなかったはず。
なので売れ残ったやつは半額セールとかに出してたな。

 

そうそう思いだしたけど、ミサワランドではCDをUFOキャッチャーとかクレーンゲームの景品にしてた。鈴木亜美のマキシシングルとか補充した記憶すごく鮮明。キッチュな色使いの筐体によく映えてたわ。返品できなかった不良在庫CDも景品に転用してた。

 

閑話休題
ヒップホップ、DJ(サンプリング)、メロコア、ミクスチャーという当代のモテ要素をものすごくクレバーにすくいあげたのが、Dragon Ash

 

あいつらはニセモノだみたいな批判は当然あったけど、それ以上に北摂のキッズには売れた。

 発売してすぐに回収騒ぎになった「I love hip hop」のシングルもめっちゃ売った。
往年の大ネタを大胆に引用する手つきがイマっぽいでしょっていうドヤ顔が見えたもんだった。

 

そして、クラブカルチャー方面から吹いてくる風はもうひとつのムーブメントを生んでて、それが女性R&Bシンガー、いわゆるディーヴァ系のブーム。

 

たぶんUAが先駆けで、1998年頃からbird、MISIA、sugarsoul、double、SILVA、あと3人時代のm-floなんかがどんどん出てきた。

 

そういった人たちが作り出した上昇気流にうまく乗ったのが、宇多田ヒカル

北摂のロードサイドのCD売り場からは、その空気力学の作用がものすごくクリアに見えた。

とにかくあのアルバムはめちゃめちゃ売れた。北摂のキッズ&ギャルたちのど真ん中を突き刺した感じ。事件だった。

 

あとディーヴァ系の時代って実はかっちょいいプロデューサーの時代でもあって、朝本浩文大沢伸一やDJ HASEBEといった人たちを追っかけるという感じで自分は認識していた記憶。

個人的にもちょうどハウスとかブレイクビーツの良さがわかってきた年頃で、好みの音だなって感じていた。


チャラいダンス・ポップで荒稼ぎ

当時のミサワランドでは、J-POP全般が当たり前に売れまくっていたのと同じぐらいのボリュームで、ダンス・ポップ系やユーロビートなんかが充実していた。

 

クラブの中でもいわゆるチャラ箱っていわれるような、ナンパ目的の男女が集まるハコでかかってるような楽曲。

具体的には、エイス・オブ・ベイス、ダイアナ・キング、スキャットマン・ジョン、ミー・アンド・マイ、アクア、チャンバワンバあたり。3年後にはブックオフの100円棚に並ぶような一発屋たちでもある。

 

そのあたりの曲をさらにダンスフロア対応でリミックスしたやつをいっぱいに詰め込んだオムニバスが、めっちゃ売れた。

「X-MIX」シリーズっていう海外のMIX CDのシリーズがヒットしたときには、社長が「X-MIX」っていう響きにピンときたらしく、レストランで「X-MIXカレー」なる新メニューを出したりした。何がXで何がMIXなのかは不明だが、それぐらいこの商売に可能性を感じていたんだと思う。

 

 ジャケも中身もこんな感じのがウーハー効かせて爆音で鳴ってる店で深夜4時まで働いてた

 

そのあたりのCDは海外から直輸入していてミサワランドでしか手に入らないようなのも多かったので、めっちゃ強気の価格設定だった。

1,400円で仕入れて3,800円で売る、みたいな。

 

あと、日本版が2,500円で発売されているCDの、輸入盤を2,500円で売るということもよくやっていた。普通タワレコとかだったら輸入盤は1,800円とかで買えたりするじゃないですか。つまり仕入れ値は1,200円ぐらいなんだけど、それを2,500円で売っちゃう。

 

それでもめっちゃ売れてた。 

情弱を騙すのに躊躇がないのはミサワランドの特徴。

 

ガバの聖地 

独自の仕入れルートでアガるダンス・ポップをめっちゃ売っていき、どんどん深いところまでいった結果、ガバというジャンルの品揃えが充実していく。

 

ガバとは、オランダのロッテルダム発祥の、超高速BPMのハードコア・テクノのジャンル。石野卓球が一時期ハマって、電気グルーヴの曲のリミックスにむこうのアーティストを起用したりしていた。 

 

その影響もあって日本では一部のサブカル界隈で話題になり、やがて雑誌「クイック・ジャパン」で特集が組まれることに。

でその特集ページで、なぜかガバのCDが充実しまくっている聖地としてミサワランドが紹介されたのだった。

 

たぶんクイック・ジャパンを読んで遠くからミサワランドに来てくれた人もいただろうけど、前述の通りの強気の値付けのため、CDを5枚買うと2万円ぐらいになったと思う。本当に気の毒である。

 

ミサワランドの最期

あれはたしか2000年のこと、近くにラウンドワンができたという話がスタッフの間に駆け巡った。
何かを悟ったような社員の苦い表情を思い出す。

 

自分はその年に上京してしまったので、その後のことはわからない。

ミサワランドのことは気にかかったけど、東京でバンドやってく期待と不安でそれどころじゃなかった。

 

そして数年、東京で目まぐるしい日々を送って久しぶりにあのあたりを通ったら、ミサワランドは跡形もなく更地になっていた。

 

さらに数年後にはマンションが建っていた。

 

最初からミサワランドなんてものはなかったかのように、そのマンションはロードサイドに溶け込んでおり、いつもそこを通るたびに山道で狐にばかされたような不思議な感覚になる。

 

でもたしかにそこにはかつてミサワランドがあった。

アンダーグラウンド」という映画はユーゴスラビアという国の崩壊を描いた名作ですが、今日はそのラストシーンのセリフで締めたい。

苦痛と悲しみと喜びなしでは、子供たちにこう伝えられない。『むかし、あるところに国があった』

 

みんな元気にしてるだろうか。

 

三国志ゲームが重宝される理由またはifを喰らわば皿まで

電車の中でスマホでゲームしてる人、増えましたよね。

テレビ観てるとよく知らないゲームのCM、増えましたよね。

 

10年ぐらい前から課金しすぎ問題がニュースになったりしてたけど、その頃は一部の人が加熱するものだったのが、いよいよ世間の中でふつうに存在するものになってきた感じ。

 

最近のスマホゲームの商売のやり方

その昔、ゲームといえば本体を買ってソフトを買って、あとはずっと遊べるという形態がふつうだったけど、最近のスマホのゲームは基本的に無料で始められるものが多く、そのまま無料でずっと遊ぼうと思えば遊べるけど課金したほうがより有利になるっていう仕組みのものが圧倒的に多い。

で、ゲーム会社としてはいかに間口を広げてたくさんのユーザーを集め、無料でそこそこ楽しい思いをさせ、ハマってきたタイミングで、さらに強くなりたければ課金!って流れを巧妙に設計していく。そこが商売のキモだって聞いたことある。

 

逆に言うと、会社にとって儲かるパターンの研究が行われすぎたせいで、ゲームの中身は驚くほど似通ってきている気がする。かつてファミコンの玉石混交すぎる環境を知っている身からすると、質も幅も多様性がなさすぎるように感じるわけ。

 

要するに、核になる簡単なゲーム(パズルとかRPGとか育てゲーとか)があり、それを有利に進めるためにユーザーは課金するっていうパターン。課金したらどれぐらい有利になるかのバランス調整が、会社のノウハウの部分っていう。ある程度の規模で商売やってるゲーム会社ってほとんど全部そういう感じでしょ今。

でバランス調整の要素としていわゆる「ガチャ」っていうのがあって、運が良ければものすごく強いカードが手に入ると。そしてそのカードってのをキャラクターにして、有名なイラストレーターを起用したり声優の声があたってたりするという差別化も志向されている。

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きれいなグラフィックと声優さんの声で所有欲をくすぐってくる

 

そっちの差別化にあたって、ゲームオリジナルのストーリーやキャラクターをゼロからつくりあげることもあるけど、もっと手っ取り早く安全にお金を儲けるためには、すでに存在している作品のストーリーやキャラクターを使うこともできる。

たとえばあの「Pokemon GO」は、もともとは「Ingress」っていうオリジナル世界観の位置情報ゲームがあったんだけど、同じ会社がポケモンっていうすでに世界的な知名度のあるキャラクターを使ったことで何倍もの規模で商売になったという話。

あと「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」なんかはもう何種類ものそういうスマホ向けのゲームに使われているし、「サカつく」とか「ダビスタ」みたいな、かつての名作ゲームをスマホ向けに移植するパターンもよくある(かつての売り切りと違って課金の要素が入ったために良さが失われたというファンの嘆きも聞くけど)。

 

いずれにしても、大金を注ぎ込んでオリジナルの世界観をつくりあげたところで、どの世代にどれぐらい刺さるかなんてなかなか見通しづらいけれど、すでにファン層がしっかり存在している原作モノや移植モノは、素人目にもはるかに商売がしやすそうに思える。

 

ドラゴンボールとかワンピースとかガンダムが束になってもかなわない最強の原作モノ

原作モノといっても別にアニメやマンガ、ゲーム作品とは限らない。

ガンダムスターウォーズが親子2世代でファン層を築いてるとかいってもたかだか約40年の歴史のところ、なんと1800年にわたってファンが存在する作品があります。

 

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はい。「三国志」ですね。

 

一応説明しておくと「三国志」っていうのは、西暦200年前後の中国で実際にあった乱世からの再統一の歴史を、後世の人がエピソードをかなり盛ってつくりあげた物語。

何十年にも渡って中国全土を舞台に繰り広げられる物語で、登場人物はざっと1000人は超えるでしょう。名前を把握してないと話がわからなくなるレベルの重要人物だけでも100人では収まらない。

 

そんな長大な物語が、1800年間にわたって東北アジアの民衆に愛され続けてきたわけ。日本でも「三顧の礼」とか「苦肉の策」とか、三国志のエピソード由来のことわざが定着する程度には浸透してる。

ドラゴンボールとかワンピースとかガンダムが束になっても足元にも及ばない知名度、そして大河なストーリーと多彩なキャラクター。

商売人としては、この知名度を活かさないという選択肢はないわな。

 

それに何より三国志が最強なのは、著作権がないということ!

なんといっても実在の人物だからね。しかも1800年前にみんな死んでるから許可をもらう必要とかもないし、めちゃめちゃ使いやすい。

 

その上ありがたいことに、主要キャラクターたちには何となくみんなが共通でイメージする見た目の特徴がある。

青龍刀を手に持つ長いひげの関羽、羽根の扇をもった諸葛孔明、ブクブク太った董卓など。つまり、よっぽどヘタクソな人が描かない限り、誰がデザインしても「あ、これは誰誰だな」って伝わる。

キャラ設定も能力値も、ファンたちが1800年間ずっと保ってきた共通見解に乗っかればいい。

 

そこまで出来上がってるので、運営側としては商売のキモである「課金したくなるバランス調整」に専念できるってもんですよね。

 

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三国志の武将が美少女キャラになってるという行くとこまで行っちゃってる感のあるゲームも実在する 

 

お金を払ってガチャをまわす心理

くりかえしになるけど、昨今のスマホのゲームは基本無料でプレイできて、課金すると有利にゲームを進めることができるようになっている。

9割の人は無料でチマチマやってくれててOKで、残りの1割が課金すれば商売として成立するようになっている。

なぜなら、ひとりで何十万円も突っ込んでくれる人が残りの1割の中にたくさんいるから。

なんで何十万円も突っ込むかというと、ゲーム内のガチャをまわすことで、低確率でレアなアイテムが手に入る仕組みになっているから。

ハマってる人は当たるまで何回も回し続けるという。

 

「レアなアイテム」にもいろいろあるけど、たとえば三国志のゲームであれば、「すごく強い武将のカード」がそれにあたる。

他のプレイヤーと対戦するにあたり、そういうカードを持ってると圧勝できるわけ。

あ、カードっていっても手に取れる実物があるわけではなく、ゲーム内の存在として。

 

なるほど、そりゃ勝ちたい人は大金を払ってでも強いカードが欲しくなるだろう。

だけど、強いカードだからっていうだけでは課金するモチベーションとしてまだ足りない気がする。

極端な例を出しますが、三国志のゲームに「そのへんのおっさん」っていう名前のカードがあったら、もし能力値としては最強だったとしても、お金出して買わないと思う。

やっぱそのカードに「呂布」とか「張飛」って名前と絵がついてるからほしいんだよな。

呂布張飛の、三国志ファンにはおなじみの人間離れした猛将のエピソードがそのカードに乗っかってるからこそ、手元に持ちたい欲がかきたてられるはずで。

 

どんな美男美女でもブサイクでも皮を剥いだら同じ肉と骨の集まりじゃないですか。それと同じで、どんなレアなカードであってもひと皮むいたらただのパラメータの集合体。物理的には何もない電子データ。そんなものに大金を注ぎ込ませるわけだから、よく考えたら相当なテクニックである。

「レアなカード」が何万円も課金しまくって手に入れるに値すると信じさせるなんて、ただの紙とインクなのに1万円札に1万円の価値があると日本国がみんなに思わせてるのと同じレベルの共同幻想の構築。もしくは、ビックリマンチョコの「ブラックゼウス」のシールを1万円で流通させていた昭和の小学生みたい。

 

それはそうとしてこの「if」はどうにも気持ち悪かった

三国志」ファンのひとりとして、課金しない9割のひとりとして、細々といくつかのゲームを遊んでみたりしてるんだけど、実はどうにも気持ち悪いところがあります。

 

三国志のゲームというものは、ファミコンの頃からあった。

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その頃の三国志のゲームといえば、自分は劉備曹操孫権といった実際にいた英雄のひとりを操って、中国を統一するのが目的。当然ながら劉備の配下には関羽張飛といった武将がいて、曹操の配下には曹操の武将たちがいる状態でスタートする。

でまあゲームなんで、そこからの展開はプレイヤー次第で、実際の三国志の物語とは違った感じになる。赤壁の戦いが起こらず、曹操がそのまま天下統一することだってできる。

そういうのが、歴史の「if」を遊ぶことの醍醐味だった。 

 

だけど、昨今のスマホ三国志ゲームは違ってて。

武将たちがガチャで手に入るカードになってるため、どの武将が誰の配下になるかは完全にランダムになる。曹操があれほど配下にしたかった関羽も、ガチャをまわしまくれば手に入ってしまう。劉備三顧の礼でやっと迎え入れた諸葛孔明も、ガチャをまわしまくれば手に入ってしまう。

「あなたの生き方には賛同できないので味方できません。さあ殺せ」とかいう骨のある武将はスマホの中には存在しなくて、みんな課金すれば手の中に落ちてくる。

 

この「if」には最初どうにも馴染めず、気持ち悪かった。

この三国志は、史実の三国志とは違うし、またかつて遊んだゲームの三国志とは「if」の置きどころが違うんだってことを受け入れるためには、心の持ちようを多少なりとも自分でコントロールする必要があった。そういうもんなんだって。

 

でも、慣れればそんなもんかなって思えたし、他のゲームでも似たような構造のものが受け入れられるようになってきた。

たとえばプロ野球ゲームでは、チームの壁どころか時空も超えてくるので、ゲーム開始当初は一軍半みたいな選手しかいない弱小チームに、ガチャで東尾とか古田とか掛布といった昭和のレジェンド選手が手に入って大活躍してくれたりする。その先もさらに課金次第でドリームチームをつくることが可能だったり。

 

だったらこういうゲームやりたい

こんな具合でつくられている昨今のゲームの世界。

スキマ時間でできるゲームにガチャやレアアイテムの概念を乗っけることで大きな商売になる。

そして既存のストーリーやキャラクターを使えば安全に商売をすることができる。

レアなカードは課金次第で手に入るので、ありえない組み合わせも可能。

 

往年のゲームに親しんだ身からすると、ちょっとさびしいような状況ではあるけど、これが現実ということで受け入れよう。

受け入れた上で、だったらこういうゲームやりたい。

 

プレイヤーは事務所の社長。

新人発掘や引き抜きでミュージシャンを集めてバンドを組み、音源をリリースしたりライブをやったりしてお金を稼ぐ。

ミュージシャンはほっといたらモチベーションがどんどん下がっていくので、機材を買ってあげたりハイエース移動を新幹線にしてあげたり大物プロデューサーをつけたり海外レコーディングにしたりと、細かいケアをして機嫌を取る。

地道にツアーやメディア露出でファンを増やし、フェスに呼ばれたりタイアップ曲をやったりしてビッグになっていくというゲーム。

要するに、音楽業界がここ50年ぐらいやってきた仕組みのゲーム化ですね。

 

 このゲームに、実在のミュージシャンを時空を超えて登場させたい。

ガチャをひいて入手できるレアカードとして。

で、ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボードまたはサイドギターのカードを揃えて、3〜5人のバンドをつくって、売り出す。

 

新人発掘は無料ガチャで、ほとんどN(ノーマル)ランクのミュージシャンしか出ない。ごくまれにR(レア)以上が出るっていう。

引き抜きは有料ガチャで、R以上しか出ない。運が良ければSR(スーパーレア)とかSSRスペシャルスーパーレア)が出る。

ただし初心者向けボーナスとして一番最初にSRがもらえるとか。

 

くりかえしになるけど、これは実在のミュージシャンが時空を超えて登場するゲームなので、ガチャの結果次第ではたとえばこういう、バンドマンっていう以外に共通項が皆無なバンドが結成されることがあり得るわけ。

 

ボーカル:SRルー・リード

ギター:N木根尚登

ベース:Rシド・ヴィシャス

キーボード:Rリチャード・クレイダーマン

ドラム:SSRリンゴ・スター

 

うむ、違和感とかそういうレベルを超えてむしろ見てみたいわこのバンド。

(でも昨今の三国志ゲームで感じた気持ち悪さってこういうこと)

 

オリジナル時代の限界と古典としてのロック

先日、マキタスポーツさんと対談を行い、その内容が有料メルマガで連載されている。

マキタスポーツの週刊自分自身 - 有料メールマガジン|BOOKSTAND(ブックスタンド)

 

マキタさんとの対談はかなりスウィングしまくっていろんな方向に議題が飛びまくり、われながらとても興味深い内容になっているんだけど、その中で「古典ロック」という概念を提唱した。

 

このご時世、テクノロジーの発達やその他の要因により、オリジナル楽曲を作って発表することが本当に誰にでもできるようになった。

かつてはそれなりの財力や運やコネや努力がないとできなかったわけで、そう考えると世の中に出回っているオリジナル曲の数は、半世紀前と比べて何万倍にもなっていると思う。

ある時代にリリースされたすべての楽曲って、かつてはお金と時間に余裕のあるマニアが一生をかければ収集できた範囲だった。でも今では、たぶん今年リリースされたすべての楽曲を把握できている人間すらどこにも存在しないと思う。

 

増え続けるオリジナル曲。当然一曲あたりの影響力は下がってくわけで、よく言われるように無数の局地的ヒットが存在する時代になっている。

それ自体は別に悪いことでもないとは思うんだけど、正直もうしんどさを感じてしまっていることも事実。

そしてこの流れはいつまでも続かないんじゃないかって。

いつかどこかの時点で破局を迎えるんじゃなかろうかという予感がしてる。

 

むしろ、落語とか歌舞伎みたいに、古典の作品をそれぞれの解釈でプレイしていく時代になるんじゃないかとか。そんなことも語っています。

落語における「芝浜」みたいな感じで、それなりの実力と格になったら「天国への階段」に挑戦する、みたいな。

 

ロックとかポピュラー音楽のビジネスモデルって、もうそういう古典芸能としての段階に入ってきてるんじゃないかって。半分ふざけて半分本気で思ってます。

 

ロックの業界がスマホゲームになるんじゃないかって言ってるのも、そういう文脈で。

 

若い人が寄席に行ったりすると珍しがられたりチヤホヤされるのと同じぐらい、ロックの歴史に興味を持つこともレアな趣味になってきてる。

 

http://img.animate.tv/news/visual/2016/1454050956_1_1_7d4cc33aab7a7b151bcb3026b2906085.jpg

話題になった「文豪ストレイドッグス」っていうマンガでは、明治の文豪がそのままの名前でキャラ化されてる。

これって、文豪という存在が一度完全に枯れてしまって、若者の興味関心の分野から消えてたからこそ、逆にそういうのを持ってくるおもしろさで成り立ったものって感じがする。

 

60年代のロックレジェンドたちも、今や明治の文豪とそんなに変わらない距離感でしょう。

なのでもういっそ、グラフィックは萌えな感じのテイストにして、人気声優に声をあててもらってもいい。

さっきの三国志のヤバいやつみたいに、美少女キャラにしてしまってもいい。病みかわなカート・コバーンや妹キャラのリアム・ギャラガーツンデレアクセル・ローズや優等生キャラのデヴィッド・ボウイを見てみたい。

 

「The」から始まるバンドはなぜ多いのか(多い気がするのか)問題

ロックバンドって「The」から始まるバンド名がやたら多い気がする

昔、カセットテープにレタリングシートでアルバム名とアーティスト名を記載していったとき、特定の文字だけが減るのが早かった。

(レタリングシートがわからないという若い人は各自ググってください)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c4/Letraset-boegen.JPG

減るのが早かった特定の文字っていうのは、「T」と「S」。

なぜこの2文字が?って考えたときにひとつの仮説があって、「The ◯◯s」という名前がやたら多いからじゃないかって。

「The ◯◯s」というバンド名を記載するときに必ず「T」と「S」を使うわけで。

 

昔からThe BeatlesThe Rolling StonesThe Beach BoysThe Doors、The Sex PistolsThe Stone Rosesなどなど、挙げればキリがないほどで、「The ◯◯s」というのはバンド名の定番な気がする。

そりゃ「T」と「S」減るわ。

 

 

でも、「The」で始まるバンド名って本当に多いんだろうか。

多いとして、どれぐらい多いんだろうか。

 

という素朴な疑問を、ちゃんと調べて定量化した人がいた!

2006年~2017年のロッキンジャパンフェスの主要ステージ出演者のバンド名をすべてカウントしてる。すばらしい。

 

note.mu

 

 

結論としては、ここ10年のロッキンジャパンフェスに出たバンドのうち、「The」で始まるバンドは、30組。割合でいうと5%しかいなかった。

思ってたよりもだいぶ少ないなと感じる人が多いのではないだろうか。

 

思い込みと実態のこの落差、個人的にめちゃめちゃおもしろかったので、今日はそこらへんの背景を読み解いてみます。

 

なぜロックバンドは「The ◯◯s」を名乗るのか

「The ◯◯s」という名前は、ロックバンドという形態がこの世の中に誕生した直後からあった。

つまり1960年代。

The BeatlesThe Rolling StonesThe Beach BoysThe Kinksあたりですね。

リードボーカル、ギター、ベース、ドラムという4人編成またはギター2人やキーボードも含めたロックバンドの典型的な構成というものが出来上がってきた時期。

 

日本でも60年代なかば頃に「グループサウンズ」という名前でロックバンドが生まれた頃は、ザ・タイガースザ・スパイダース、ザ・テンプターズってな具合に「The ◯◯s」のフォーマットに則ってバンド名がつけられていた。

https://www.rittor-music.co.jp/pickup/images/20171002_pu7.png

 

 

おもしろいのが、「おれたちはそこらの普通のバンドと一緒にされたくないぜ」的な、とんがった思想のバンドであっても、60年代にはお行儀よく「The ◯◯s」的な名前を名乗っていたということ。

具体的にいうとThe DoorsやThe StoogesとかThe Velvet Undergroundとかのことね。

 

バンド名ってそういうもの、っていう暗黙の前提があったかのよう。

実際あったんでしょうね。

 

バンド名のThe離れ

その後、70年代に入ってロックバンドの音楽性やルックスなどが多様化していくにつれ、「The ◯◯s」じゃないバンド名が増えていく。

Led ZeppelinQueenKing CrimsonGrand Funk Railroad、KISS、サディスティック・ミカ・バンドはっぴいえんど、外道、NEU!KRAFTWERKAC/DCなどなど。

英米日独豪問わず世界中で、いろんな自由な発想でバンド名がつけられるようになり、The離れが進んでいく。

 

Theじゃなくてもいいんだ!っていう気分。

それは、「このバンドは古い価値観に縛られず新しいことをやりそう!」っていうイメージを身にまとうにあたって有効だったに違いない。

 

30代以上の人にはわかってもらえると思うんだけど、野球チームの名前といえば「タイガース」「ライオンズ」「ドラゴンズ」的な、動物の名前の複数形でつけるもんだと思っていたところに、いきなり「ブルーウェーブ」が登場したときの驚きね。

あのイチローの新人類感と「ブルーウェーブ」っていうチーム名は不可分だと思う。

https://i.daily.jp/mlb/2016/08/08/Images/d_09366621.jpg

 

というわけで、バンド名のThe離れは80年代以降も基本的に続いていた。

むしろ、ここまできたらあえて「The」を名乗ることに意味が生じるぐらいの話になってると思う。

 

祝日に日の丸を飾る人

そう。どんなバンド名(「!!!」っていうバンドもいるぐらい)もアリなこの世の中で、

いまや「The」を名乗ることには意味が生じてる。

60年代のバンドがみんなそうしていたように「The」を名乗るというのは、それらのバンドのようにありたいんですウチは、っていう意思表示が含まれてるわけ。

 

典型的なのはヒロトマーシーで、「The Blue Hearts」「THE HIGH-LOWS」「ザ・クロマニヨンズ」と、徹底して「The ◯◯s」にこだわってる。

海外でも、The StrokesだったりThe HivesだったりThe White Stripesだったり、21世紀に「The」を名乗るバンドはみんな、あの時代の空気感を身にまといたがってる感じ。

 

この「あえて」感は、祝日に日の丸を飾る家みたい。

ロックバンドたるものそうすべき!と主張したいとか、うちは伝統的なロックンロールのバンドですと表明する役割がある。

 

実家ぐらしでおじいちゃんの習慣を引き継いだとかならまだしも、自分が世帯主の家で、祝日に日の丸を掲げるという行為、2018年の社会ではかなりメッセージ性が強いと思う。

 

しかしおそらく、80年前であればむしろ日の丸を掲げてない家のほうが少なかったのではないか。祝日とはそうするもんでしょっていう暗黙の空気があったはず。

 

旗日(はたび)とは - 旗日の読み方・日本語表現辞典 Weblio辞書

↑こんな言葉もいまや死語なわけで。

 

バンド名をつけてみよう

自分たちでバンドを組んだらまずはバンド名をつけなければいけない。

高校の軽音部でも凄腕ミュージシャンの集まりでもそこはみんな同じ。

 

で、いざバンド名をつける段階になるとですね、たいがいなかなか決まらない。どんなバンドにしたいかという思いがどうしても乗るので、そもそもそこが認識があってないと決められないしな。

どんなバンドにしたいかの認識が揃ってたとしても、そのことを反映させたバンド名にするかどうかでまた一悶着。

たとえばメタルをやるバンドの名前がデスなんとかとかメタルなんとかでいいのか。そのまんまやろって意見が絶対メンバーから出る。

かといって、ひねりすぎるとそれはそれで中二ってか高二っぽくてあとあと恥ずかしい。

バンド名なんてなんでもいいんだよっていう立場は結局、思想がないという思想性を帯びてしまう。

 

バンド名は難しい。

今までの人生で何度かバンド名をつけてきたけど、 すんなり決まったためしがない。

初ライブの直前まで決まっていないことなんてザラで、下手するとバンド名で揉めて解散しかけたことすらある。

 

むりやりにでも決めたとしても、自分以外の誰かの意見で決まった場合、自分で違和感なく名乗れるようになるまで半年ぐらいかかったり。

 

かつて「The ◯◯s」はめちゃめちゃ便利だった

そんな経験から言えるのは、名前なんてなんでもいいんだよって一見そういう態度をにおわせつつも、どんな音がしそうかちゃんとイメージさせられるのが、いいバンド名だと思う。

(長く活動してるとバンド名の由来を何百回と聞かれるので、後悔しないようにだけ気をつけて)

 

それでいうと、「The ◯◯s」ってのはほんと便利なんすよ。

「The ◯◯s」って名乗ってるだけで、古き良きブリティッシュな香りが勝手に漂ってくれる。◯◯の部分はなんでもいい。そこにセンスを見せればいいの。無造作にポンって言葉を置けば、いい感じのバンド名のできあがり。

 

という価値観が、20世紀の終わり頃から21世紀の初め頃までは通用していた。

その時期はたぶん今よりも「The ◯◯s」が多かったと思う。

 

しかし、おそらく「The ◯◯s」がもつ便利な感じは、年々薄れてる気がする。

かつてはそういう効力があったことを知らずになんとなく「The ◯◯s」を名乗ってる子らも結構いるのかもしれないけど、基本的にはルーツ志向な気持ちがないと「The ◯◯s」は名乗らないわけで。

 

で、よく言われるように今どきの若いもんはルーツを掘り下げて聴くということをあまりしないらしい。

SpotifyやAppleMusicの登場で今後は変わってくるかもしれないけど、21世紀になったぐらいからは、好きなアーティストのルーツを掘り下げたいという若い人は少なくなっている。実際に「音楽好きっス」ていう人たちに聞いた実感で。

 

リスナーもアーティストもルーツを掘り下げないとなると、「The ◯◯s」の効力は半減するよな。

 

実際、前述の「The」で始まるロッキンジャパンフェスに出た30組のバンドをよく見てみると、theピーズやTHE PRIVATES、the brilliant greenTHE YELLOW MONKEYなどのベテラン勢や、THE STARBEMS、The Birthdayのようにバンドとしては新しいけどやってる人がベテランというバンドがかなり含まれている。つまり「The ◯◯s」の魔法が有効だった時代から活動しているミュージシャンたちね。

 

https://ro69-bucket.s3.amazonaws.com/uploads/text_image/image/244740/width:750/resize_image.jpg

 

となると新しい世代のバンドが「The ◯◯s」を名乗る割合は、5%よりももっと低そう。

 

イメージと実態のギャップはどこから

そういったわけで、ここ10年の日本のバンドからは「The」が失われている。「The ◯◯s」の魔法が効かなくなってきているから。

それが実態。

 

なんだけど、20世紀のイメージで「The ◯◯s」が多いような印象をみんなまだ持ってる。

そこがギャップを生んでいるのではないでしょうか。

 

ただ、今後なにかの拍子に「The ◯◯s」がまた増えてくる可能性は十分にある。

日の丸を掲げる家が増えるかもしれないのと同じで、「うちはそういう家です」と表明したいとかそう表明したほうが得だぞとか考える人が増えるかどうか、時代の空気次第でどうなるかわからんよね。

引き続き、10年ぐらいのスパンで眺めるとおもしろいと思う。

 

 

そういえば、 バンド名から途中で「The」を外すひとたちもいて、これはこれで味わい深い動きだと思う。

若い頃に勢いでつけた「The」に、いい年して違和感を覚えたりとかしたのかな。「The」のせいで幅が限られてるような息苦しさを感じたりしたのかな。

 

逆に、いい年だからこそ「The」っていいよなーって改めて気づくこともありそう。

 

ビートルズを好きになるのって、最初はキャッチーな初期から入って途中でサイケ期の中毒性に気づいたりいろんな方向に深まっていって音楽性の高い後期にハマっていく流れをたどる人が多いと思うけど、それが一周して、初期の赤盤のシンプルなロックンロールが愛おしくてたまらないって気持ちになるときがくる。

いい年して「The」をつけたくなるのはたぶんそういうとき。

 

 

ちなみに、「ジ・アルフィー」はデビュー当時「The」がついてなくて、デビューから数年たった後、この曲をリリースしたタイミングで「The」をつけてます。


THE ALFEE SWEAT & TEARS P 1986

 

たしかに「The」を名乗りたくなる曲ですね(しらんけど)。

 

BARBEE BOYSのスゴさ、知ってるつもり?

BARBEE BOYSバービーボーイズ)を知っていますか。

natalie.mu

30年前に東京ドームで単独公演をやったほど売れてたんだけど、驚くほど後の世に影響を与えていない気がする。

同時代のBOOWYとかブルーハーツとかが山ほどフォロワーを生んだのと比べると、BARBEE BOYSに憧れて音楽の道に進みましたってミュージシャンとか聞いたことないし、BARBEE BOYSの楽曲にインスパイアされた映画とか小説とかマンガとかも見たことない(あったらごめん)。

 

売れたのは売れたがあくまで流行歌として売れただけであって、音楽性が薄っぺらいから忘れ去られたんじゃないか、というパターンはよくあるけど、BARBEE BOYSに関しては違うと思う。まったくあたらないとおもいますよ(スガ官房長官ふうに)。

 

逆に、やってることがオリジナリティの塊すぎて、誰もマネできなかったんじゃなかろうかと。

だいたい男女がほぼ同じ比率でかけあいでリードボーカルをとるバンドってなると、日本はおろか世界的にもあまりなさそう。

 

BOOWYとかブルーハーツには、実際のスゴさとは別に、自分たちにもできるかも!って思わせる感じがあったしカリスマだけど身近な感じがあったけど、BARBEE BOYSは中高生のバンドマンの憧れをかきたてるものが皆無だったよね。

 

それに、日本のロックを語る文脈といえば、当時なんて特にロッキング・オン的な語り口が幅を利かせていたわけで、そうなると自分語りで内省的な人たちのほうが乗っかりやすい。

享楽的な男女の駆け引きの歌、騙し騙されな世界ばかり歌っていたBARBEE BOYSは、ちょっとそういう文脈では扱ってもらいづらい。また解散後も語り継がれるような伝説とかもないし、まあ文字になりづらいバンドってことだわな。

 

おそらく当時のBARBEE BOYSのメインの客層も、ブルーハーツを正座して聴くようなまじめで青臭い層ではなかったであろう。もっと大人だったはず。

で大人な分、音楽に対して過剰な思い入れもなく淡々としていたんじゃなかろうか。なので解散後はわりとあっさりBARBEE BOYSのことを忘れた。

そういうファン層はいつまでも終わったバンドをネチネチ語るタイプじゃないため、後世に語り継ぐこともしない。

 

フォロワーがいない、語られる言葉もない、語り継ぐ人もいない、となるとなかなか後世には残りづらいってのも仕方がないかなと。

 

でもですね、BARBEE BOYSはほんとにいいバンドなのです。
いろいろあるけど、特に強調したいのがギタリストいまみちともたかのスゴさ。

 


80年代と90年代のギターの役割の変化

90年代のロックバンドのギタリストって、歪ませた音色でジャカジャカいくスタイルが一般的だと思う。ギターは楽曲の音像のなかでベターッと空間を埋めていく、厚みをだす役割。日本だと奥田民生、 海外だとオアシスとかがわかりやすい例。

 

一方、80年代のギターは歪んでないクリーンな音色で、打楽器っぽく機能していることが多い。 サザンでもボウイでもいいけど、 80年代のロックバンドの音像って、ギターがどこで鳴ってるか一瞬わからなかったりする。

BARBEE BOYSいまみちともたかも典型的にこちらのスタイルのギタリスト。

そういう意味で、わかりやすいギターヒーロー的な人ではないんだけど、あの布袋寅泰がライバル視していたというほどの凄腕なのです。演奏のキレ、そして独創的なフレーズ。


そのスゴさはパッと聴きでは伝わりづらいんだけど、ギターのフレーズに耳をそばだててみると、 かなり異様なことをしていることに気づくであろう。

 

具体的に聴いてみましょう


BARBEE BOYS 目を閉じておいでよ


たとえばいちばん有名なこの曲とかどうですか。

 

印象的なイントロのフレーズ、右耳と左耳でほぼ同じフレーズを別のテイクで弾いてる。さらにコードの変わり目ごとにジャーンって音も入ってる。

Aメロになると、真ん中左寄りで8分音符を刻む音、右端でツチャッ、チャーララってフレーズ。「激しいときを夢見てたい夜」のところで突然もう一本入ってくるよね。

Bメロは一旦オルガンに主導権を渡しつつ、サビ直前でまた新しい音色のギターが登場。

でサビ。ここでも右耳と左耳からそれぞれ別のギターが聴こえてくる。「close your eyes」のところでまたトリッキーな別の音色が登場するという具合。

 

とにかくものすごく細かくて手のこんだ仕事だってことがわかってもらえると思います。この曲に限らず、BARBEE BOYSにおいては万事がこの調子である。

一聴しただけではシンプルで隙間の多い編曲に感じるんだけど、個々の楽器のパートに注目してみると、特にギターがいろんなことやってることに気づく。

 

自分ももともと中学生の頃に何気なく聴いていたのを、自分が楽器やるようになってから聴き直したらなんじゃこりゃーってなった。その感動をみんなに届けたくて、今回これを書きました。

とにかくBARBEE BOYSはすげーいいから聴いてほしい。

 

歌詞の性格の悪さやキャッチーかつヒステリックなメロディもたまらないし、アルバムを追うごとにKONTAと杏子という2人のボーカリストのクセの強さが仕上がっていくさまも味わいどころ。

 

BARBEE BOYSのそういう良さはすでに知ってるよナメんなという方には、ギターに注目して聴き直すことをオススメします。また印象が違ってくると思う。

 

 

 

最後に東京事変によるBARBEE BOYSのカバーを貼っとく。 


東京事変カモンレッツゴー浮雲&椎名林檎

 

「NHKのど自慢」の民藝J-POPにみる「用の美」

日本では日曜日の昼は「NHKのど自慢」ということになっている。

実家で親とそうめんをたぐっているときなぞはなおさら。

 

今日もどこか四国の山あいの街だったり東北の漁師町だったり、あるいは隣の県なのに存在を知らなかった地味な市だったり、日本のどこかから生中継されている。

 

予選を勝ち抜いた出場者たちは、若干緊張しながら自慢ののどを披露する。

公立高校の数学教師(40代独身)の尾崎豊

女手ひとつで子ども2人を育て上げたおかあさんの天童よしみ

おそろいのオーバーオールに身を包んだ選果場の小太りPUFFY

90歳の長老が歌うバタやんはバックバンドの演奏を1小節追い越す。

信用金庫の新卒社員は自分が生まれる前の曲をどこで覚えさせられたのか。

 

もうずっと前から、時間が止まったように同じ風景が毎週繰り広がられてる。

地方都市のリアルな息遣いを感じるにはうってつけの番組なのです。

 

役割を果たしているうた

1コーラス前後歌ったところで鐘が鳴り、終了。

そこからは司会のNHKアナウンサーが出場者に「今日はなぜこの曲を?」「誰に届けたいですか?」といった質問を投げる。

 

「入院しているおばあちゃんを勇気づけたくて」

「銀婚式を挙げた妻との思い出の曲で」

「受験勉強しているときにこの歌に勇気をもらいました」

などなどそれぞれに思いを語る、この番組ではおなじみの場面なんだけど、先日あらためてこのことをちゃんと考えてみようと思った。

 

出場者たちにとって、それらの楽曲は生活の中で役に立っているんだなって。

いや、当たり前といえば当たり前のことかもしれないけど、自分自身、もうずっと長いことそういう音楽の聴き方をしてないなって思ったわけ。

 

自分が好きで聴く音楽とその理由なんて、クンビアのいなたいビートが中毒性あるんだよな、とか、アイドルがサイケとニューウェーブを昇華してヤバいことになってる、とか、1986年頃のハードコアパンクとメタルの接点がアツい、とかそんなの。

 

たとえばのど自慢で「風をあつめて」を歌ったあとに、なんで今日はこの歌を?って聞かれて、「日本語でロックをやるというイノベーション精神に感銘をうけ、また失われつつある古き良き東京を「風街」という架空の都市になぞらえた松本隆の詩情にやられたからです!」なんて答える奴いるかよって。

もうちょっとありそうな選曲でいえば「渚にまつわるエトセトラ」を歌った介護系専門学校の同級生コンビがさ、「ちょいダサのフィリー・ソウルっぽいトラックに井上陽水のナンセンスぎりぎりの天才的な歌詞が乗ってるところが大好きだからです!」なんて言うだろうか。「クラスのみんなでカラオケに行くといつもこの曲でめっちゃ盛り上がるから!」が正解。

 

のど自慢という場所では、ちゃんと生活の中で役割を果たしてこその音楽ってこと。

音楽のための音楽ではなく、機能美。

つまりこれはあれだ、民藝ってやつだと思った。

 

民藝(みんげい)とは

「民藝(みんげい)」という概念がある。

大正時代の日本で提唱された、装飾的なアーティスティックな工芸品ではなく、ふつうの人が生活の中で使ったものに宿る「用の美」を見出す運動。

 

民藝品とは「一般の民衆が日々の生活に必要とする品」という意味で、いいかえれば「民衆の、民衆による、民衆のための工芸」とでもいえよう。

» 「民藝」の趣旨―手仕事への愛情

 

今では「民芸調家具」みたいなかたちで一般的に定着してる言葉だけど、もともとは結構ラディカルな、「ふつうが一番ヤバい」的ないわゆる「ノームコア」みたいな言葉だった。

 

そう。「NHKのど自慢」で歌われるうたは、民藝なのではないか!

(大学の先輩にこの分野の専門家がいるので内心ビクビクしながら断言)

 

やれ、サウスっぽい重いビートに三連符で言葉を詰め込んでいく現在形のヒップホップだの、情報量過多のメロディが生み出すヤケクソの躁状態現代日本の生きづらさをうきぼりにするだの、そういう言葉とは関係ないところで存在し、日常生活で役割を果たしている「用の美」。

 

そして民藝とは、有名な大作家先生の作品ではなく、名もなき職人が作った工芸品のことだそう。

2018年にもなって、いまだにのど自慢で「未来へ」「涙そうそう」を歌う地方の女子高生にとって、もはやキロロや夏川りみは名もなき職人と同じような存在でしょう。やっぱり民藝。

 

NHKのど自慢」でよく歌われるランキング

ここ10年間の「NHKのど自慢」で歌われた歌を集計している人がいた。 

 

100per22.com

1位:未来へ / Kiroro(歌われた回数:51回)

2位:ありがとう…感謝 / 小金沢昇司(歌われた回数:50回)

3位:涙そうそう / 夏川りみ(歌われた回数:49回)

4位:WINDING ROAD / 絢香×コブクロ(歌われた回数:48回)

5位:home / 木山裕策(歌われた回数:41回)

6位:TOMORROW / 岡本真夜(歌われた回数:41回)

7位:まつり / 北島三郎(歌われた回数:40回)

8位:恋のバカンス / ザ・ピーナッツ(歌われた回数:40回)

9位:Story / AI(歌われた回数:39回)

10位:最後の雨 / 中西保志(歌われた回数:38回)

 

とりあえずベスト10を引用させていただいたんだけど、どうですかこれ。

ちょっとすごくないですか。

 

オリコンチャートや歌番組、ましてやフェスのラインナップなんかとも絶対に連携してこない、この番組独特の、民藝J-POPの定番たち。

 

 

東京に住んでて音楽やっててとか、そうでなくても比較的若い業界で仕事してたりすると、「おれもおじさんと言われる年齢になったけどまわりで演歌を聴いてる人に出会う機会なんてないなー」とか「自分のまわりでEXILEを好きっていう人に一人も会ったことがないから本当に売れていることが信じられない」といった声をよく聞く。

信頼できる筋からの口コミとか、SNSから流れてくるニュースとか、フェスで出くわしたとか、そういうソースで新しい音楽を日々発見するような刺激的な音楽生活をしていると、そんな感覚になっても不思議はない。

 

だけど、「NHKのど自慢」が巡業してくる地方都市には、そんな音楽生活は存在しない。そして東京にいると忘れがちだけど、「NHKのど自慢」が巡業してくる地方都市が日本の9割なわけ。

民藝J-POPというサイレントマジョリティ、ちゃんと意識しておきたい。

 

キロロが1位になった理由を考えることはとても大事だし、この先10年でランキング上位がどう変わっていくのか、または驚くほど変わらないのかも気にしていきたい。