森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

突然ですがガンズのドラマーの話

ガンズはすごかった

Guns N' Roses(以下ガンズ)というアメリカのハードロックバンドがいる。

パンクロックとグラムロックと王道ハードロックのいいとこ取りをした音楽性と、メンバーのルックスやキャラ立ちがとにかくかっこよく、1987年のデビューアルバムがいきなりビルボードで1位になり世界中でも大ヒットした。

 

https://lastfm-img2.akamaized.net/i/u/770x0/763ffb0fcad04bd2baa70d2a83d3c54d.jpg#763ffb0fcad04bd2baa70d2a83d3c54d

この写真を見てもわかるとおり、男前であるのと同時に、とにかく「悪そう」っていうところが日本でも中高生男子の心を刺激しまくったのだった。

有名人にだっていろんな人に影響を与えており、B'zの短パンとか、WANDSのバンダナや、TOKIO全員のファッションはみんなガンズ憧れ。

 

あと「ファイナルファイト」っていうゲームには、ガンズのメンバーと同じ名前の敵キャラが出てくる。

https://videogameforce.files.wordpress.com/2010/09/axl-slash1.jpg?w=300&h=223

左がアクセルで右がスラッシュ。

 

そして人気絶頂の1992年にはなんと東京ドームで来日公演を3日間やっている。

ロックバンドで東京ドーム3DAYSってちょっとすごくないですか。

 

30代以下の人にはなかなか伝わりづらいかと思うけど、ものすごいカリスマ的なバンドだったのである。

 

 

アクセル・ローズという人

そんなガンズのフロントマンといえば、バンダナや短パンでWANDSTOKIOに影響を与えた、アクセル・ローズという人。

コワモテなイメージがある一方で、フレディ・マーキュリーエルトン・ジョンに影響された繊細なピアノ曲をたくさん作っていたりもする。ガンズは作曲はメンバーみんなで共作しているというクレジットになってるけど、アクセルがひとりで作ってきたと思われる曲も多い。ただ歌うだけじゃなく、音楽面でも力関係的にもバンドのリーダー的存在。

 

このアクセル・ローズという人、音楽の才能がめっちゃあることは誰もが認めるところだけど、まあとんでもないトラブルメーカーでもある。

ライブのスタートが2時間ぐらい遅れることは日常茶飯事。気に入らないことがあると誰彼なしにケンカを売る。ドラッグやりすぎで死にかける。

 

極めつきはこの「Get In The Ring」って曲。


Guns N' Roses - Get in the Ring (the best)

なんと自分に批判的な音楽ライターとかジャーナリストの実名を出して、「文句があるならかかってこいよ」って歌ってる。

 

日本だとなかなか比較できる人はいないですが、YOSHIKI松居一代ショーケンを足して5倍ぐらいにしたみたいな感じ。

 

 

ドラマー交代(ここからが本題)

デビューアルバムでいきなりロックスターになった5人の若者。一方で周囲からの期待はめちゃめちゃでかくなってたはず。

正気を保つのは難しかったのか、ドラマーのスティーブン・アドラーがドラムを叩けないレベルでドラッグにハマってしまい、クビに。

そして 後任にはザ・カルトという中堅ハードロックバンドのマット・ソーラムという人が選ばれ、バンドは2枚めのアルバム制作にとりかかることに。

 

前置きが長くなりすぎたんだけど、実は今回、このドラマー交代のことが書きたかった。ここからが本題です。

 

旧ドラマーの スティーブン・アドラーという人は、前のめりなスタイルのドラマーで、初期ガンズのパンクっぽさや性急な感じはこの人のおかげな気がしてる。

一方、新ドラマーのマット・ソーラムは、安定感があってどっしりしたドラムを叩く人で、この2人はスタイルが結構真逆なんだけど、個人的にはどうしてもスティーブン・アドラーのほうが好み。

 

ニューアルバムは超大作に

ドラマーを交代したガンズは、1990年ごろからニューアルバムの制作にとりかかる。

メンバーのクリエイティビティが爆発しまくった結果、なんと2枚組の全30曲、トータル2時間半というボリュームでリリースされることに。

しかも前作の延長線上にあるような、疾走感あるハードロック曲をはじめ、オーケストラも入った9分弱の大作バラード、カントリーっぽい曲やヒップホップ風まで、それはそれはバラエティに富んだ内容。

当時高校生だったけど、まあ何度も何度も聴いたものだった。

 

何度も何度も聴いたけど、まあ正直スティーブン・アドラーがもたらしていた初期のパンクっぽさに未練を感じていたし、マット・ソーラムは上手だけど退屈な感じがしていた。この2枚組は7分8分の超大作が多くて、たっぷりしたドラムが似合うっちゃ似合うんだけど。

 

気づいたこと

でさらに何度も何度も聴いていると、あることに気づく。

このアルバムの全30曲のうち、かなりの曲でドラムのオカズが同じフレーズになってるってことに。

(オカズっていうのはフィルとも言うんだけど、曲の展開が変わる直前とかに、通常のリズムパターンから離れて、「タタツタッタタ」とか「ダチーチーチー」みたいなちょっとしたフレーズを叩くやつのこと)

 

たとえばこの曲。

この埋め込みプレーヤーで聴ける範囲だと後半に出てくるし、ほんとのこの曲の冒頭でもドラムが入ってくるところでも出てくる。「んタッタタドン」ってやつ。

 

あとこの曲。 

埋め込みプレーヤーで聴ける範囲の最後の方に出てくる「タットンタカトン」ってやつ。

 

よく聴くと、この2つのフレーズが全30曲のアルバムの中でやたら出てくることに気づいてしまったのだった。

 

完全に妄想で謎解き

オカズのパターンがやたら少ないことに気づいた当時は、反マット・ソーラムな気分のままに、プロのくせにフレーズのひきだしが少なすぎるとかバカにしてたもんだった。

引き算の美学とかそういうところに思い至らない若者だった(引き算の美学がわかる子はそもそもメタルなんか聴かない)。

 

そのままガンズはメンバーチェンジや訴訟やその他トラブルを抱えまくりながら失速しやがて活動しなくなり、こちらはこちらで引き算の美学がわかる大人になっていき、ガンズは聴かなくなっていった。

 

 

しかし大人になってからも、ふとしたときにマット・ソーラムのことを思い出すことがあった。

ある程度大人になって、自分で音楽をやるようになって、意見の異なる他人とものをつくるようになって、なんとなくマット・ソーラムの気持ちがわかるようになってきた気がしたことがあった。

あのアルバムのオカズがワンパターンなのは、こういうことなんじゃないかって。

 

基本的にボーカリストというのは(ドラマー以外の全メンバーはと言い換えてもいい)、ドラムのことをあまりよくわかっていない。ドラムの細かいフレーズにまで普通は口出ししない。

ただ前述したように、中心人物であるアクセル・ローズという人はかなり性格に難があるし、完璧主義者。

 性格に難がある完璧主義者は、あまりわかっていない分野にも口出ししてコントロールしたがる。

すると何が起こるか。

 

ある日のレコーディングでマット・ソーラムが考えてきたオカズが、アクセルはどうにも気に入らない。でも代替案を言えるほどドラムのことがわかってるわけではない。でも知識がないなりに相手のことをコントロールしたい気持ちになっている。

さらにいけないと思いつつ頭のなかでは前任のスティーブン・アドラーと比べてしまってることにも気づいてる。そんな自分の気持ちを隠したくてさらに意固地になる。

といったようなこじらせ方をした結果、アクセルはマット・ソーラムに理不尽なダメ出しを繰り返し、レコーディングスタジオは険悪な空気に。

そしてマット・ソーラムはなかばやけくそになって「これなら文句ないだろ」と、以前に別の曲でアクセルがいいねって言ったフレーズを叩いてみた。1曲の中で何回も。

普通そんなことしたら、バカにしてんのかってアクセルは怒るだろう。マット・ソーラムもバカではないのでそんなことはわかる。わかるけど、これがおれなりの精一杯の抗議って気持ち。

さすがのアクセルもそんなマット・ソーラムの抗議の意思を感じ取った。でもここで怒ることは大人げないのではないかとなぜか思ってしまった。とはいえ、自分が悪かったと折れるつもりもない。

その結果、ヤケクソで繰り返した同じフレーズに誰も反対せず、OKテイクとして採用されてしまった。

 

以上、完全に妄想なんだけど、もしこういった経緯があったのであれば、同じようなフレーズが頻出するのもわかる気がするなと。

 

自分自身の中にこういう意固地で頑固な面があって、そのせいで誰も得しない結末になることがちょいちょいあって。自分でさえそうなんだからアクセル・ローズなんかもっとそうだろうって。完全に妄想なんだけど。

 

2018年にマット・ソーラムの話をこんなにするとは思わなかったけど、アウトプットしないと気がすまなくなってしまったので書きました。とはいえ口頭で誰かとの会話で「そういえばマット・ソーラムってさー」なんて話せる文脈がどこに繋がってるのかがわからなくて。

なのでなんの脈絡もない状態でブログに書きました。失礼しました。

なぜ日本ではもう「バーフバリ」がつくれないのか

http://eiga.k-img.com/images/special/2694/baahubali_01.jpg

一部で話題になっているインド映画「バーフバリ 王の帰還」を観てきた。

公開から数ヶ月たってる作品が、口コミで話題になり上映館がここにきて増えてるとか。

自分のときも土曜の深夜だったけど満員だった。

 


「バーフバリ 王の凱旋」予告編

 

 

 カレー味の「花の慶次

「バーフバリ 王の帰還」がどんな映画だったか、一言でいうならカレー味の「花の慶次」って感じ。

 

主人公バーフバリの優しくて強くて筋を通して誰からも愛される男っぷり、それをケレン味たっぷりに描いてるこの感じ、どこかで味わったことあるなーって思ってて、あ「花の慶次」だって思った。

renote.jp

 

そしてストーリーの背景には、シヴァ神とかの信仰、バラモンとかの身分格差、法(ダルマ)の意識などがあって、そのあたりを安直に「カレー味」と表現してみた。

だからカレー味の「花の慶次」。

 

もう少し補足すると 

少し補足すると、橋田壽賀子かよっていうレベルの嫁姑のいざこざもすごくて、インドの豪華絢爛な王宮が幸楽の2階みたいになります。

http://amanatu9359.com/wp-content/uploads/2016/06/IMG_1655-300x227.jpg

国母シヴァガミ

 

さらに補足すると、全体的に荒唐無稽(だがそれがいい!)なんだけど、特に合戦シーンはもうコーエーテクモ無双シリーズ。総大将みずから打って出るし何百人をバッタバッタとなぎ倒すし。

ちょっと真剣に無双シリーズをインドで制作するのアリかもって思った。

(そっち方面うといから的外れかもだけど、もし10億人のインドで巨大なゲーム市場が生まれてるとしたら、「バーフバリ無双」にはお金の匂いがしまくり)

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無双シリーズスクリーンショットが完全にバーフバリ

 

あとはインド映画といえば歌と踊りね。特に歌は歌詞がストーリーにそった内容になってる。昭和のアニメ主題歌なみ(もえあがーれーガンダム―的な)で、21世紀の日本人には逆に新鮮に感じられるし、またそのおかげでこの映画が伝説とか神話っぽい雰囲気をまとうことに。

 

などなど、さまざまな要素がひとつの映画にすべてぶち込まれており、全体的にとにかく過剰。

それに加えてインド映画って尺の長さとかお話づくりの方法論とか、ハリウッド式の映画とはいろいろ異なってて、そこも「なんだかわからんけどすごいもん観た」な気分のひとつの要因になってると思うし、そりゃ話題になるわって。

 

うらやましい 

感想はいろいろあるけど、とにかくインドがうらやましいなー!と。映画館で観てるときからずっと感じていた。

 

だってまったく屈託がないじゃないですか。

今の日本からはもう完全に失われてしまったものがあるじゃないですか。 

それがうらやましくて。

 

 

日本だってかつては、長嶋茂雄石原裕次郎小林旭みたいな、バーフバリ的スターが存在できていた。

しかし1980年代ぐらいを境にモードが完全に変わってしまい、現在もその流れが続いているんだと思う。

たとえばビートたけしみたいな人が、バーフバリ的スターのおおらかなあり方を「ボケ」と捉え、そこにツッコミを入れるという笑いを作り出したことも大きいと思う。

ビートたけし松本人志って、21世紀の日本人の笑いのツボを変えたし、それってつまりものの考え方も変えたはず。

 

80年代にバーフバリ的スターへのカウンターとして始まったツッコミ感覚が、30年たって世の中全体に広がり、当時は尖ったものだったのが今ではもっともベタで誰にでもなぞれるものになってきたのかなと。

別の言い方をすると、「王様は裸だ」って最初に言い出したビートたけしは革命家だったけど、その枠組みがテンプレ化・コモディティ化して、いまではそのへんの中学生でも同じことを言えちゃうようになったというか。

それがいわゆる「一億総ツッコミ時代」。

一億総ツッコミ時代 (星海社新書)

一億総ツッコミ時代 (星海社新書)

 

 

インドのポップカルチャー史を想像してみると

21世紀に「バーフバリ」みたいな映画をつくれちゃうインドのポップカルチャーの歴史には、たぶんだけどビートたけし松本人志は存在していない。あとタモリも。

 

どっちが上とか下とか、進んでるとか遅れてるとか、そういう話ではなくて、ただただこの映画を通じて違いを思い知ったわけ。

 

 

そりゃ自分はダウンタウンタモリ以降の笑いが大好きだし、めちゃめちゃ影響をうけてる。小沢健二は「日本の笑いは独特だからっていうのは日本人の思い込みにすぎない」って言ってたけど、やっぱり独自の進化を遂げたものになってると思う。

ただそれによって、日本人がものをつくるときの姿勢に、もう絶対に後戻りできない影響を与えてしまったってことも間違いない。

 

作り手側の心のなかにビートたけし松本人志が棲みついてしまって、ベタなものをベタなままで真正面からつくることはもう難しくなってしまった。

 

 

映画館で「バーフバリ」の圧倒的なおおらかさを味わいながら、同時に圧倒的な不可能性をかみしめていたのでした。

「LL教室の試験に出ない90年代シリーズ 1998年」をふりかえって

構成作家/ミュージシャンの森野誠一、批評家/DJ/音楽ライターの矢野利裕、そしてわたくしハシノイチロウの3人で結成した、DJ、評論、イベントなどを通じて音楽を語るユニット「LL教室」。

 

2018年2月11日(日)荻窪ベルベットサンにて、かなり久々にトークイベントをやりました。

題して「LL教室の試験に出ない90年代シリーズ 1998年」。

 

以前にイベントで90年代J-POPを扱ったところ非常に盛り上がり、その反面、ちょっと話が広がりすぎて時間が全然足りなくなるという事態になったため、90年代を1年ごとに取り上げてシリーズでやっていこうということに。

今回はその1回目として、日本でCDが最も売れた年である1998年に焦点をあててみた。

 

1998年とはどんな年だったか

こちらが、当日イベントで投影した資料。これだけ見ても何も伝わらないかと思うけど、1998年の世相やオリコンCDランキング(シングル/アルバム)を整理してたり、イベントの流れは掴んでいただけるかも。

 

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「おんな城主 直虎」を1年間完走した感想

2017年のNHK大河ドラマおんな城主 直虎」を最後まで観終わった。

終わってみると、あまりダレることなく観続けることができて上々だったかなと。

近年との比較でいうと、「真田丸」「平清盛」ほど夢中になったほどではないけど、「八重の桜」のように途中で観なくなってしまったほどではないという、ちょうど中間ぐらい。

 

1年前、主人公や周囲の人物のあまりのマイナーさに、これは大河じゃなくて小川ドラマになりそうだなと、でもそれはそれでおもしろいかもと、ブログで書いていたりしたんだけど、半分は当たっていて半分は外れたなと。

guatarro.hatenablog.com

 

たしかに前半期は、今川家という大大名に翻弄される地方豪族の悲哀がメインテーマだったし、柳楽優弥が率いる非定住民の集団は網野善彦せんせいが扱った「悪党」のイメージで、そういう世界が描かれるだろうというのも予測が的中した。

さらにいうと、女性が主人公の大河ドラマによくある、「史実以上に活躍しすぎ問題」はやはり今回も見受けられた。そこも予想通り。

 

で予想通りでつまらなかったかというと、決してそういうことはなく、吹越満高橋一生による小野親子の2代にわたる嫌われ役が実は‥っていうあたりはすごくドラマ的に盛り上がった。

あと、今川ににらまれてホームタウン井伊谷の支配権を近藤とかいうやつに奪われた後の、寺を拠点とした地元との関わり方は、いろんな権力構造が並立してごちゃごちゃしていた戦国期の感じとしてすごくリアルでおもしろかった。織田ー豊臣ー徳川が中央集権的な国を完成させていく前の、中世っぽいありかた。

そんな感じで、まあそこそこおもしろく前半を観てきた。

 

 

しかし、10月頃になると主人公が直虎から菅田将暉演じる井伊直政に交代するようなかたちに。

舞台も井伊谷の山村から、浜松の徳川家に移ってくる。

自分としては、ここから一気におもしろみが増した感じがしていました。

 

構造としては、武田と織田に挟まれた小大名としての徳川家の悲哀ってことで、今川と織田に挟まれた井伊家という前半期と同じ。

信長の疑いをはらすために我が子を切腹させなければいけなくなった家康という、戦国時代のいろんなエピソードのなかでも屈指のドラマ性をもつシーンも、見事に描いてたと思う。海老蔵の信長も、阿部サダヲの家康も、よかった。

 

で、同じ構造だけど後半のほうが盛り上がった感じがしたのは、何よりも徳川家臣の面々がつくりだすグルーヴ感にぐいぐい引っ張られたからだと思う。

榊原康政尾美としのり酒井忠次みのすけ本多忠勝高嶋政宏本多正信の六角精児という布陣ね。

温厚でかっちりした榊原、ちょっと嫌なやつの酒井、豪快な忠勝、不気味な正信という感じでキャラが立っていて、徳川家が巻き込まれるいろんな事件のたびに、この名バイプレーヤーおじさんたちがああでもないこうでもないと議論する様子が、見てるだけで楽しかった。

信長の野望」なんかのゲームだと、榊原康政酒井忠次は中途半端な能力値しかなくて使いづらいイメージが強いし、大活躍したという歴史上のエピソードも実際ほぼない。ただ、古くから家康をずっと支えてきた忠臣たちっていう。そんな人物を超いい感じに立ち上がらせてくれたなって思う。

 

 

ただ徳川家まわりで気になったのが、家康の心がきれいすぎるっていうところ。

こんなきれいな家康が、この15年後ぐらいに、秀吉亡き後にありとあらゆる手を使って天下を獲りにいくようにはどうしても思えなかった。

もちろん、このドラマの中ではそこまで描かないので、きれいな家康のまま終わっていっても何の問題もないんだけど、この家康ならやりかねんなと思わせてほしかった。

 

大河ドラマって直虎に限らず、良いことも悪いこともたくさんやってきた人物の場合、有名な悪エピソードは無視するわけにもいかず、でも脚本家としてキャラをぶらすこともしたくないっていう難しさにぶつかることが結構ある。

豊臣秀吉なんてその最たるもので、若い頃のみんなに愛されるエピソードと、晩年のヤバすぎる狂ったエピソードの落差がすごいわけ。それを両方ちゃんと描いて、一人の人物の中に両方の面が存在していることを示し、「だから人間ってすごい/こわい」って思わせてくれるのが最高の大河ドラマのあり方だと思ってる。

 

ただそういうのって本当に難しいだろうなと素人でも感じる。

そこで、悪いことは別のキャラの入れ知恵にするとか、何か事情があって仕方なくやったとか、そういう処理が一般的に大河ドラマではよく使われている。それでいくと、もし「おんな城主 直虎」で関ヶ原の戦いまで描いたとしたら、この家康の悪いエピソードは、すべて本多正信のせいにしていたんだろうか。

 

 

などなど、いろいろ脈絡なく書いてきたけど、大河ドラマはやっぱりおもしろいなと。

歴史上の人物を、史実を歪めすぎない程度にキャラをふくらませて、現実の俳優をキャスティングする。

歴史上の有名なエピソードに対して、事実関係は歪めず、資料がない部分をふくらませて、ドラマのテーマに沿うような解釈をほどこす。

っていう縛りの中でのクリエイティブな作業を、毎年、潤沢な予算と才能で見せてもらえるわけだから、みんなもチェックしておいたほうがいいと思います。

 

 

<おまけ>

酒井忠次のひとの30年前の姿。ドラム叩いてる。


筋肉少女帯 - 釈迦

 

1998年のこと

1998年、今から20年前。

大学4回生だったにもかかわらず、就職活動を一切やらず、バンドやDJやバイトや麻雀に明け暮れていた。

その前の年、大学の同級生で結成したバンドが関西では知られたコンテストで優勝してしまい、またライブではそこそこ動員できるようになっており、レコード会社から声をかけられたりしたため、すっかり音楽で食っていけると思い込んでしまったのであった。

なんといっても、音楽業界の景気がよかった。自分たちレベルのバンドがどんどんメジャーデビューしていたし、なんならデビュー前の青田買いの段階で月10万ぐらい給料をもらっているなんて話も耳にした。

自分も、まわりのやつらも、当たり前のようにCDを買いまくっていた。あまりお金のない大学生だったけど、輸入盤とか中古とかで何とか安くあげて毎月何枚もアルバムを買っていた。音楽に特に興味がなさそうな同級生でも、カラオケで歌うためにシングルCDを買ってMDに録音してた。WinnyYoutubeもない時代、みんなそうやって音楽を手に入れていた。それが当たり前だった。

 

だいたい、タワーレコードで視聴できるようになったこと自体が画期的だったわけで。

それまではラジオやテレビで聴くか、雑誌や店頭の文字情報なんかをたよりにCDを買っていたわけで。

こうやってあらためて書いてみると、隔世の感どころの騒ぎじゃない。

おれたちの頃の恋愛はな相手の顔も見ず声も聞かずただ和歌のやり取りで口説いてたんだぞ、って平安時代の人が現代人に説明しているような感覚。

 

どんな音楽を聴いてたか

このあたりの時期、90年代なかばから活動していたバンドがどんどんビッグになっていった印象が強い。

イエローモンキーとかジュディマリブランキージェットシティとか、電気グルーヴとか。10代20代のわりと音楽好きな層のものだと思っていたバンドが、CDバブルの追い風に乗ってお茶の間レベルのヒットを放って驚いたもんだった。

ヴィジュアル系もXやGLAYラルクのおかげで市民権を得ていて、地方のほうだと男子がバンドに憧れることイコールそっち系というのが自然な感覚で、楽器屋のいい場所を占めていたのはV系やメタル系御用達のIbanezとかの、なんか変な青い光沢があったり尖ってたりするギターだった。

あと当時はあまり興味もてなかったけどメロコアとか日本語ラップも盛り上がってきていて、自分たちより数年若い世代は断然そっちだった。

洋楽でいうと、UKのブリットポップおよびUSのグランジという90年代を代表するムーブメントが終息した後の時期。UKではケミカル・ブラザーズプロディジーといったあたりが「ビッグビート」なんて呼ばれて人気だったのと、USではミクスチャーロックとかメロディックパンクが人気だった。そのあたりが売れ筋で、よりコアなところで「ポストロック」っていう呼び名が定着していく頃。

UK/USともに全体的に暗くて重い音が多かった印象がある。

 

個人的には、レコード屋で古いのを発掘するほうに興味が移ってた。特にGSとか和モノ周辺。

サニーデイゆら帝やハッピーズやピチカートあたりの影響で、全国的にそういう流れがあったと思う。関西ではキングブラザーズやちぇるしいといったバンドを中心にシーンがあった。

 

フジロック

前の年に開催されたフジロックの第1回目にバンドメンバーや友達と一緒に参加して死にかけたんだけど、98年の第2回目は豊洲の広大な埋立地での開催になったということでまた参戦。

印象に残っているのは、貴重な杉村ルイ時代のスカパラと、客をステージにあげまくって大変なことになったイギー・ポップ。特にThe Stoogesのアルバムは無人島に持ってくリストに常に入ってるほどなので、動くイギーが見れただけでも感動だったのに期待以上にワクワクさせてくれた。あと、幼い娘さんを肩に抱え上げた上半身裸の中村達也が客席のエリアをゆうゆうと横切っていく姿。なんだか神々しくてまわりのみんなが見とれていた。 


iggy pop- I wanna be your dog - Passenger-

 

伝説のミサワランド

かつて大阪の南茨木というところの幹線道路沿いにミサワランドという複合アミューズメント施設があったことを覚えている北摂人はいるだろうか。

ボーリング場、ゲーセン、書店、CDショップ、レストランが一体になっていて(昔はカラオケボックスもあったみたいだけど98年にはすでに倉庫として使われていた)、毎日朝5時まで営業していた。

実は98年頃からそこで深夜バイトしていたのだった。

 

ミサワランドは名物ワンマン社長のいろんな思いつきがぶちこまれ、秘宝館スレスレの存在感を放っていた。

深夜に車で来るような、今だったらドンキと親和性があるような客層にあわせて、ユーロビートとかチャラ箱でかかるようなダンスポップがよく売れていたんだけど、粗利率を高めるため、そして他の店にない品揃えを追求するあまり、海外のレーベルと直で 取り引きし始め、結果ハードコア・テクノとかガバが日本屈指の充実度になっていたりもした。

また、やんちゃな若者のなかでもアンテナが高いほうの層にあわせて、アナログレコードの取り扱いにはじまりDJのミックステープなんかも売ってたりして、ストリートへの目配せも効いていた感じ。 

 

いやもうミサワランドのことは話し始めると長くなるのでこのへんにするけど、とにかく98年のCDバブル期を、そういう場所でCDを売る側として体験してたのでした。

 

売る側からみたCDバブル

あの頃はほんとに、日雇いっぽい仕事帰りのにーちゃんでも3,000円のアルバムを2〜3枚レジに持ってくるのが普通だった。「スーパーユーロビート」シリーズは毎月のように発売され、VOL.100とかになってたけど、出るたびにみんなちゃんと買ってく。FM802でかかったのをチラッと聴いていいなと思ったらうろ覚えのまま店員の前で歌ってみせて「あのララララーっていうやつある?」ってな感じでさくっとお買上げ。

当時はそれが普通だと思っていたけど、2018年の感覚からするとやっぱりすごいなー。

 

告知

こんな感じの話とか批評とかを織り交ぜて1998年のことを語るイベントをやります!

われわれLL教室、久々のトークイベントです。

 

 

LL教室の試験に出ない1990年代シリーズ「1998年」編

2018年2月11日(日)

18時半開場/19時開演

1500円+1ドリンク

場所は、荻窪ベルベットサン

 

LL教室の他のメンバー(森野誠一さん、矢野利裕くん)にとってもそれぞれの98年があるし、さらに1998年といえばメジャーだけじゃなくてインディーズも同じように盛り上がっていたわけで、そのあたりのことをお伺いすべく、ゲストにはなんとあの元ビークルの日高央(ヒダカトオル)さんをお迎えします!

 

あまり大人数は入れないハコですので、予約はお早めに! 

当日はみんなの1998年も聞きたいですね。

 

矢沢永吉やドリカムや松田聖子にできなかったことをX JAPANとBABYMETALができた理由(世界一やさしいヘヴィメタルという音楽)

X JAPANやBABYMETALが海外でめっちゃ売れている。

www.oricon.co.jp

www.barks.jp

 

一昔前まで、日本で頂点を極めた大物歌手が次の目標として世界進出に挑戦するっていう流れがあって、ほぼ全員が無残な結果に終わるっていうパターンがあったことを思うと、隔世の感がある。

 

たとえば矢沢永吉

名著『成りあがり』を出版するなど日本では飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃に単身渡米。ドゥービー・ブラザーズらをバックに従えてアルバムをリリースしたものの、目立った売り上げにはならなかった。

たとえば松田聖子

「seiko」を名乗り、当時世界的に人気があったニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックとデュエットするなど様々な戦略を練ったにもかかわらず、こちらも目立った売り上げにはならなかった。

たとえばドリカム。

わざわざレコード会社を移籍するなど万全の体制を整えて海外進出したものの、解散の危機だったと後に語られるレベルの大失敗。

 

これらの事例をみて、当時の大人たちは訳知り顔でいろんなことを言っていた。

いわく、「日本のロックはレベルが低いから本場では通用しない」「英語の発音が下手だからネイティブが聴いたら笑っちゃう」「逆にアメリカ人が歌舞伎をやったら見たいと思う?それと同じこと」などなど。

 

 

そんな時代を知っている世代からすると、X JAPANとBABYMETALが成し遂げたことって、ほんと奇跡みたいに感じる。

でもそれと同時に、なぜ矢沢永吉やドリカムや松田聖子にできなかった海外でのリリース的な成功をX JAPANとBABYMETALができたのか、その理由についていくつか思い当たることもある。

 

まあ、いくつかの理由が複合的に作用したのは間違いないと思うし、すでにいろんな人が言及しているので、この場ではできるだけまだ誰も指摘していない点について無責任に述べてみたい。

 

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荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」のリバイバルはどう考えても必然


輝く!日本レコード大賞 ダンシングヒーロー

 

ダンシング・ヒーロー」は日本語カバーですよ

登美丘高校ダンス部の「バブリーダンス」で今年リバイバルヒットした荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」。

この曲は1985年にリリースされたANGIE GOLDって人の「Eat You Up」に日本語で歌詞をつけて歌った、いわゆる日本語カバー。


ANGIE GOLD - EAT YOU UP ( V.J ANDRES FABIAN C.R AUDIO HQ )

 

80年代後半は、「ダンシング・ヒーロー」以外にも洋楽のヒット曲(特にユーロビート)の日本語カバーがいくつもお茶の間に登場した時代だった。

代表的なのはこんな感じだけど、日本語カバーだと意識せずに聴いていた人が多かったように思う。

小林麻美「雨音はショパンの調べ」1984

石井明美CHA-CHA-CHA」1986年

長山洋子「ヴィーナス」1986年

BaBe「ギヴ・ミー・アップ」1987年

森川由加里「SHOW ME」1987年

Wink「愛が止まらない」1988年

 

他にも売れなかったけど同じ発想で売り出された日本語カバー曲が大量に存在していて、そういったあたりの発掘をライフワークにしている自分のような人間にとって、80年代後半は50〜60年代前半と並ぶ黄金時代になっている。

 

日本語カバーについての大胆な(大ざっぱな)仮説

ではなぜここが黄金時代だったのか、戦後の歌謡曲〜J-POP史のなかで、日本語カバーが多い時期と少ない時期がはっきり分かれる傾向があるのはなぜか。

ほとんどの人にとっては完全にどうでもいいことだと思うけど、その理由を自分なりにまじめに考えてみてひとつの仮説を立てるに至ったので、今日はその話をさせてください。

 

その仮説というのが、「アーティスト主義」の時代は日本語カバー曲が少ない説

 

この先、大ざっぱな話しかしませんが、もしよかったら戦後〜2017年までの歌謡曲〜J-POP史を「アーティスト主義」というキーワードでちょっとふりかえってみて、一緒に仮説を検討してみてほしい。

 

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