森の掟

J-POPやメタルやフェスや音楽番組なんかの批評(という名の無益な墓掘り行為)

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」のよかったところと、どうしても気になったところ

正月に「ローグ・ワン」を観てきました。

starwars.disney.co.jp

小学2年生の甥っ子も連れていってあげたんだけど、さすがにスターウォーズシリーズがまったくの初見という状態で「ローグ・ワン」から入るというのもどうかと思い、エピソード3と4を急いでレンタルしてきた。

ぜんぶで9つある話のうち、これから観る映画は3と4の間なんだよと説明したんだけど、どこまで伝わっているかは怪しい。

しかも時間がなくて結局エピソード3しか観せられなかった!

 
彼と同じ年頃に4→5→6をテレビで観てきて、大学生のときにエピソード1が公開されたという自分の体験からすると、ちょっと変則的でかわいそうな入り方になってしまったけど、まあ仕方がない。と思おう。

 

しかし、甥っ子のためだけじゃなく自分のためにも、エピソード4の冒頭ぐらいはやはり観返しておいたほうがよかったな。


自分はそんなにマニアというわけではないので、4の冒頭がどんな状態だったかの記憶がわりとあやしいなと、「ローグ・ワン」を観始めてすぐに後悔しはじめた。これから「ローグ・ワン」を観る人には4の冒頭だけでも復習しておくことをオススメしておく。

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今回の「ローグ・ワン」の主役たちはいわゆるジェダイの騎士やスカイウォーカー家の人間ではない。

基本的に、泥くさい戦い方しかできないおっさんたちの映画。

ベタだけどわかりやすくガンダムにたとえると、アムロやシャアみたいなニュータイプではなく、ランバ・ラルみたいな戦士が戦って死んでいく「哀・戦士みたいな話だった。

 

「ローグ・ワン」のエンディングからエピソード4の冒頭まではほんと数分の時間差しかないので、4に出てきていない人は、つじつまを合わせるためにとりあえず全員死ぬ。

そういうストーリー構成上の制約があってのことだと思うけど、この死んでいくというのが、これまでのスターウォーズ本編とは違った味わいを生んでいて、賛否両論あるだろうけど個人的には結構よかった。
特に後半の、それぞれの人がそれぞれの場所で同時進行で奮闘する感じはめっちゃ興奮した。ドニー・イェンたちアジア系の活躍はふつうにうれしいし。
 
それなりに思い入れのあるスターウォーズシリーズの新作が好きな感じに仕上がっていて良かったと思う。

 

だけど、そういういいところがある一方で、どうにも引っかかってしまった点があったのも事実。

ただ、ひと通りネットで探してみた感じだとあんまり他の人はその部分に言及していないっぽい。ほとんどの人は気にならないレベルなのかもしれない。


引っかかってしまった点をネタバレしないように説明すると、やるのかやらないのかっていう重大な決断をするシーンで、その決断をした理由を語るところ。

 

「これまでさんざん汚い仕事もやってきたけど、それもこれも目的のためだとおもってやってきた。ここであきらめたら、今までやってきたことがぜんぶ無駄になってしまうじゃないか!」っていうようなセリフを、すごくかっこいい感じで言ってる。

 

たしかに、「あきらめたらそこで試合終了」「続けたやつが全員成功するとは限らないけど続けたやつしか成功できない」みたいなことはいろんなところで言われてきたし、それはそれで正しいと思う。

でもこのセリフで引っかかるのは、「今までやってきたことが無駄になってしまう」っていうところかな。


これって、ギャンブル中毒の人もよく言うロジックじゃないか。

今日すでに3万円スッてる人が、さらにお金を突っ込んでしまうとき、「今やめたらスッた3万円が無駄になる。ここからスッたぶんをとりかえさねば」みたいなことを言い。そして結局10万円負けて終了。

あと、アメリカとの戦争を開始してしばらくたった日本軍。各地で玉砕しまくっている報告はあがってきているのに、戦争をやめられない。「今やめたら亡くなった英霊が無駄死にになってしまう」みたいなことを言って、さらに無駄死にを増やしてしまい、ついに原爆まで落とされてしまう。

 

高速増殖炉もんじゅに税金を突っ込み続ける政府も同じ気持ちなのかもしれない。他にも洋の東西を問わずいろいろ例はあるでしょう。人はときどきこういう非論理的なことを言ってしまうものらしい。


「ローグ・ワン」の名台詞も、なんだかそういうのと同じロジックのように聞こえてしまって、なんともモヤモヤしたのでした。

「おんな城主 直虎」は大河じゃなくて"小川ドラマ"の予感

 先週こういう記事を書いて、「おんな城主 直虎」について妄想をふくらませていた者です。

guatarro.hatenablog.com

いろいろ書いたけど一言でいえば基本的に半信半疑の姿勢。
いい方向に転べば、大河ドラマに新しい風を吹きこんでくれる作品になるかもしれないなと思ったし、そうでなければ、地味だしヌルいしって感じの作品で終わるかもしれないなと。

 

そんな気持ちで第一話を観終えての感想。

戦国時代っていうと、日本の歴史上でも屈指の有名人が全国各地に同時多発でたくさん出てきた時代。そして、鉄砲・西洋文明・茶・歌舞伎・法律・土木など、今につながる文化の流れが作られた時代。そして江戸時代以降の日本人が数百年間いろんな物語を通じて慣れ親しんできた時代。

1560年〜1615年までの50年ほどは日本のどこを切り取っても、キャラ立ちした人物たちがしのぎを削って、新しい価値観に出会い、過酷な運命に翻弄されてるわけで、これほど大河ドラマにしたくなる時代はほかに幕末ぐらいしか見当たらないわけで。

なので大河ドラマはほっとくと幕末と戦国時代を交互にやってたまに源平合戦をやるだけで十分になりがち。視聴者もそれを求めてるし。あえてそれ以外の時代に挑戦した作品といえば「北条時宗」とかごく一部。

 

その点、「おんな城主 直虎」も、戦国時代もののひとつとして、時代設定としては安全パイを切ってきた感じなのかなと最初は思った。

でもよくよくキャストを見てみると、おそろしく地味なのでびっくりした。これたぶん前半のボスキャラは今川義元だわ。桶狭間の戦いによって世間の認知度がかろうじてあるレベルの今川義元が、ドラマ前半の最大の有名人っていう事態になりそう。

織田・豊臣・徳川・上杉・真田・石田・伊達あたりの主役級がこれでもかと登場した「真田丸」の派手さと比べると、これはかなりのこと。

 

結構な挑戦になるとは思うけど、大河ドラマっぽさのカタチだけなぞって中身のない作品になるぐらいなら、地味さを逆手に取ったようなアプローチでやってくれるほうが、見ごたえありそうだとも思う。
山奥でひっそり暮らしていた豪族が、世界の片隅で翻弄されていくお話をしっかり見せてくれれば。

脚本家は朝ドラの「ごちそうさん」を書いた人だそうで、この地味さを丁寧にやってくれるのではないかと期待したい。

www.oricon.co.jp

さっそく第一話からそういったところは散見されてる。歴史に名を残すような偉大な人はいなくて、ただただ必死に生きてる地方豪族の姿があった。そういったふつうの人たちの内輪もめをじっくり見せてもらえるドラマなんだなと理解したわけ。それはそれでおもしろそうなので、期待しておく。

 

ただ、もしその路線で成功したとして、それって大河ドラマって呼べるのかという話になってくる。作品の出来不出来とは別に、そこは気になる。

教科書に載るような大事件や、現代人が「尊敬する人物」に名前を挙げるような偉人の大活躍を描いてこその大河ドラマなんじゃないかと、自分なんかはそう思っているクチなもんで、第一話を観てると、なんか朝ドラみたいだなという感じがした。

 

でももしあえてそこをやらないのであれば、それはそれでいいけどね。大河っていうスケール感はなくても、すごくおもしろい小川みたいなものを丁寧につくってくれればいい。

そしたら今年はもう「真田丸」のような怒涛の展開(武田滅亡〜本能寺〜小田原攻めとか)を求めるのはやめて、じっくり地方豪族の右往左往を味わおうって腹をくくれるから。

よろしくお願いします。

ここ10年の大河ドラマの傾向から「おんな城主 直虎」を大胆予測してみた

2017年の大河ドラマの主人公は井伊直虎
はっきりいって無名の人物ですよ。

 

幕末と戦国時代とその他の時代を適度にローテーションしつつ、主人公の性別も適度に女性というバランスから考えて、たしかに2017年が戦国時代の女性というのは納得できる。
しかし、なぜ井伊直虎なのか。

そこにどんなメッセージを読み取れるのか、そして期待していいのか、といったあたりをいろいろ妄想してみた。

 

なぜ井伊直虎なのかを考える上でまず押さえておきたいのが、ここ10年の大河ドラマに存在している、2つの大きな流れ。

 

リアル志向

ここ10年の大河ドラマに存在する傾向のうちひとつめは、リアル志向。

龍馬伝」や「平清盛」などは特に顕著だった。

平清盛は画面が暗くて地味だ」と兵庫県知事が文句を言ったニュースを覚えている人もいるかもしれない。

 

昔の時代劇、つまり歌舞伎の流れをくむ様式美な作り方ではなく、リアルな設定、リアルな美術、リアルな時代考証を追求したいという意図が感じられる大河ドラマがいくつかつくられた。
(ちなみに言葉遣いに関しては、逆にリアルから遠ざかっている気がする。往年のジェームス三木脚本などは、21世紀の日本人にはもはや聞き取れないレベルでガチ)

 

このリアル志向については個人的には大好物なんだけど、世間的には賛否が分かれるようで、大河ドラマの作り手のなかでも少数派っぽい。
そろそろこの路線でまたやってほしいなと思っていたところ、今度の主人公は井伊直虎だというニュースが飛び込んできたわけ。

 

井伊直虎っていう、わざわざこんな無名な人物を取り上げるからには何か意図があるに違いないわけで、それは地元の自治体の招致活動が実を結んだというのもあるだろうけど、それだけじゃないと思いたい。

ではどういうわけなのか。
考えていくと、近年のリアル志向のことに思い至る。

 

そしてちょうど本屋に行ったらちょうどこんな新書が出ていた。

井伊直虎 女領主・山の民・悪党 (講談社現代新書)

井伊直虎 女領主・山の民・悪党 (講談社現代新書)

 

 

帯のコメントに「2017年大河ドラマの主人公はリアル「もののけ姫」だった!」とある。完全にピンときてしまった。

当時の井伊一族の領地は現在でいう浜松市引佐町という、静岡と長野の県境になっているかなりの山奥一帯。つまり田畑を耕して暮らすというよりは、炭を焼いたり、鉄を生産したり、獣を狩ったり、川を使って交易したりといった感じになるだろうと。そんな土地の女領主ってことで、「もののけ姫」とか書いてるけど、おそらくエボシ御前みたいな感じだろう。

 

よく知られていることだが、「もののけ姫」の世界観の背景には、網野善彦の影響がある。

網野善彦って人の功績についてものすごくざっくり説明すると、いわゆる「士農工商」じゃない人たちにスポットをあてたこと。川や海や山を拠点にした人々や、芸能や技術を身につけて定住せずに暮らしていた人々が実は日本の歴史上とても重要なんだよということを明らかにした。

もしもそんな網野史学が色濃く反映された大河ドラマになるんだとしたら、リアル志向の流れがいよいよここに極まってくる感じだ。

山奥を転々として暮らしている山の民である井伊一族が、京の都のカルチャーにめっちゃ影響された大大名・今川家とぶつかることで、価値観のゆらぎを体験する、みたいな話だったら最高だなと。

 

女性主人公

ところで、ここ10年の大河ドラマのもう一つの流れというのが、女性が主人公になる頻度が上がっていること。
篤姫」「江」「八重の桜」「花燃ゆ」と、4割が女性主人公の作品になっており、その前の10年間では「利家とまつ」しかないのと比べると明らかに増えている。

 

よく言われるように、いわゆる「歴史」といえば男性中心のものとされてきた(historyという言葉を「his+story」と分解できることが象徴的だよねという話もよく引き合いに出される)。
たしかに教科書に出てくる人名といえば圧倒的に男性ばかり。
洋の東西を問わず昔は女性の地位が低かったわけで、歴史上の人物が活躍する大河ドラマの主人公だってどうしても男性ばかりになりがち。

とはいえ、現代は男女同権であり、国や都市や企業のトップが女性であることも珍しいことではなくなってきた。つまり、未来からみた「歴史上の人物」の男女比はどんどんフラットになりつつある。

そんな時代に、過去の歴史上の人物を大河ドラマ化するとなると、主人公が男ばかりというのはいかがなものか。視聴者も半分は女性なのだから、男ばかりだと感情移入しづらいだろう。などという議論が、NHKのなかで行われているに違いない。
そんな思いが反映されたのが、女性が主人公になる割合。

 

その心意気、大いにアリだと思う。
基本的には大賛成なんだけど、ただしもろ手を挙げて‥っていう気持ちにはなれない。というのも、女性が主人公の大河ドラマは構造上、致命的な問題を抱えているから。
どういうことかというと、女性主人公たちについてわかっていることが少なすぎる。そういう人物が実在したことと、かろうじて生まれた年と死んだ年ぐらいしか、一次資料では確認できないことがほとんど。本当の名前すら怪しいケースだってある。
あとは、その人物が何年にどこにいたかを推測していくぐらいしかできなくて、どんなことをやったかはすべて想像。

 

活躍しすぎる問題

この想像というのがくせ者で、大河ドラマの女性主人公たちは必要以上に活躍しすぎるのである。
たとえば篤姫なんかは、西郷隆盛を説得して江戸城無血開城を実現させたりしている。たしかに、その時期に江戸城にいたことは事実だろうけど、そこからあまりにも想像力を羽ばたかせすぎてる。
こんな感じで、大河ドラマの女性主人公はとにかく歴史を裏であやつりすぎる傾向があるわけ。

 

あ、念のためだけど、「女にそんなことできるわけない」とかそういうことが言いたいわけではないですよ。それに男性主人公であっても、たとえば真田丸だって、実際の真田信繁があれほどの切れ者だったかは怪しいと言われているし、多少の主人公補正や飛躍はドラマとして楽しめばいいと思っている。

ただ、女性主人公は史実として使えるネタが少なすぎるため、どうしても想像の割合が大きくなってしまうということ。いきおい、それはないだろうという大活躍をやってしまいがちで、それがやりすぎると観ているこちらとしてはどうにも白けてしまう。

 

今回の直虎についても、そういう匂いがプンプンする。
幼い徳川家康の命を救って今川家に届けたり、桶狭間の戦いに参戦して大活躍したり、それぐらいのことはやりかねない。気をつけて見守りたい。

 

どちらに転ぶか

というわけで、ここ10年の大河ドラマの傾向から「おんな城主 直虎」を大胆予想してみたんだけど、どちらに転ぶかは正直わからない。


大河ドラマ「おんな城主 直虎」3分でみどころ紹介<2017年1月8日放送開始>

 

これを観るかぎりでは、網野史学っぽさ、もののけ姫っぽさはあまり感じられない。

単に登場人物が地味なだけの作品になってしまうおそれもある。ちょっと嫌な予感がする。

 

そこでもう一本の公式動画。


大河ドラマ「おんな城主 直虎」ライブ編

鎮座DOPENESSがラップするというノリは、「平清盛」でエマーソン・レイク・アンド・パーマーの曲を使ったのと同じ匂いがするし、映像の質感もそっち寄りの感じ。

もしももしも「おんな城主 直虎」が全編こちらのテイストで作られてるんだとしたら、めっちゃ楽しみ。可能性は低いけど。

 

どちらに転ぶかはわからないけれど、少しは期待しておこうと思いました。

10年ぶりにブログやってみる

今週のお題「2017年にやりたいこと」

 

大昔にブログやってたんだけど、Twitterを始めたことと、あと特に書きたいことがなくなったのが原因で、10年ほどブランクができてしまった。

しかるに昨今の情勢を見るにつけ、また言いたいことが出てきた感じがあり、始めることにしました。

 

よろしくお願いします。