なぜ日本ではもう「バーフバリ」がつくれないのか

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一部で話題になっているインド映画「バーフバリ 王の帰還」を観てきた。

公開から数ヶ月たってる作品が、口コミで話題になり上映館がここにきて増えてるとか。

自分のときも土曜の深夜だったけど満員だった。

 


「バーフバリ 王の凱旋」予告編

 

 

 カレー味の「花の慶次

「バーフバリ 王の帰還」がどんな映画だったか、一言でいうならカレー味の「花の慶次」って感じ。

 

主人公バーフバリの優しくて強くて筋を通して誰からも愛される男っぷり、それをケレン味たっぷりに描いてるこの感じ、どこかで味わったことあるなーって思ってて、あ「花の慶次」だって思った。

renote.jp

 

そしてストーリーの背景には、シヴァ神とかの信仰、バラモンとかの身分格差、法(ダルマ)の意識などがあって、そのあたりを安直に「カレー味」と表現してみた。

だからカレー味の「花の慶次」。

 

もう少し補足すると 

少し補足すると、橋田壽賀子かよっていうレベルの嫁姑のいざこざもすごくて、インドの豪華絢爛な王宮が幸楽の2階みたいになります。

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国母シヴァガミ

 

さらに補足すると、全体的に荒唐無稽(だがそれがいい!)なんだけど、特に合戦シーンはもうコーエーテクモ無双シリーズ。総大将みずから打って出るし何百人をバッタバッタとなぎ倒すし。

ちょっと真剣に無双シリーズをインドで制作するのアリかもって思った。

(そっち方面うといから的外れかもだけど、もし10億人のインドで巨大なゲーム市場が生まれてるとしたら、「バーフバリ無双」にはお金の匂いがしまくり)

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無双シリーズスクリーンショットが完全にバーフバリ

 

あとはインド映画といえば歌と踊りね。特に歌は歌詞がストーリーにそった内容になってる。昭和のアニメ主題歌なみ(もえあがーれーガンダム―的な)で、21世紀の日本人には逆に新鮮に感じられるし、またそのおかげでこの映画が伝説とか神話っぽい雰囲気をまとうことに。

 

などなど、さまざまな要素がひとつの映画にすべてぶち込まれており、全体的にとにかく過剰。

それに加えてインド映画って尺の長さとかお話づくりの方法論とか、ハリウッド式の映画とはいろいろ異なってて、そこも「なんだかわからんけどすごいもん観た」な気分のひとつの要因になってると思うし、そりゃ話題になるわって。

 

うらやましい 

感想はいろいろあるけど、とにかくインドがうらやましいなー!と。映画館で観てるときからずっと感じていた。

 

だってまったく屈託がないじゃないですか。

今の日本からはもう完全に失われてしまったものがあるじゃないですか。 

それがうらやましくて。

 

 

日本だってかつては、長嶋茂雄石原裕次郎小林旭みたいな、バーフバリ的スターが存在できていた。

しかし1980年代ぐらいを境にモードが完全に変わってしまい、現在もその流れが続いているんだと思う。

たとえばビートたけしみたいな人が、バーフバリ的スターのおおらかなあり方を「ボケ」と捉え、そこにツッコミを入れるという笑いを作り出したことも大きいと思う。

ビートたけし松本人志って、21世紀の日本人の笑いのツボを変えたし、それってつまりものの考え方も変えたはず。

 

80年代にバーフバリ的スターへのカウンターとして始まったツッコミ感覚が、30年たって世の中全体に広がり、当時は尖ったものだったのが今ではもっともベタで誰にでもなぞれるものになってきたのかなと。

別の言い方をすると、「王様は裸だ」って最初に言い出したビートたけしは革命家だったけど、その枠組みがテンプレ化・コモディティ化して、いまではそのへんの中学生でも同じことを言えちゃうようになったというか。

それがいわゆる「一億総ツッコミ時代」。

一億総ツッコミ時代 (星海社新書)

一億総ツッコミ時代 (星海社新書)

 

 

インドのポップカルチャー史を想像してみると

21世紀に「バーフバリ」みたいな映画をつくれちゃうインドのポップカルチャーの歴史には、たぶんだけどビートたけし松本人志は存在していない。あとタモリも。

 

どっちが上とか下とか、進んでるとか遅れてるとか、そういう話ではなくて、ただただこの映画を通じて違いを思い知ったわけ。

 

 

そりゃ自分はダウンタウンタモリ以降の笑いが大好きだし、めちゃめちゃ影響をうけてる。小沢健二は「日本の笑いは独特だからっていうのは日本人の思い込みにすぎない」って言ってたけど、やっぱり独自の進化を遂げたものになってると思う。

ただそれによって、日本人がものをつくるときの姿勢に、もう絶対に後戻りできない影響を与えてしまったってことも間違いない。

 

作り手側の心のなかにビートたけし松本人志が棲みついてしまって、ベタなものをベタなままで真正面からつくることはもう難しくなってしまった。

 

 

映画館で「バーフバリ」の圧倒的なおおらかさを味わいながら、同時に圧倒的な不可能性をかみしめていたのでした。

「LL教室の試験に出ない90年代シリーズ 1998年」をふりかえって

構成作家/ミュージシャンの森野誠一、批評家/DJ/音楽ライターの矢野利裕、そしてわたくしハシノイチロウの3人で結成した、DJ、評論、イベントなどを通じて音楽を語るユニット「LL教室」。

 

2018年2月11日(日)荻窪ベルベットサンにて、かなり久々にトークイベントをやりました。

題して「LL教室の試験に出ない90年代シリーズ 1998年」。

 

以前にイベントで90年代J-POPを扱ったところ非常に盛り上がり、その反面、ちょっと話が広がりすぎて時間が全然足りなくなるという事態になったため、90年代を1年ごとに取り上げてシリーズでやっていこうということに。

今回はその1回目として、日本でCDが最も売れた年である1998年に焦点をあててみた。

 

1998年とはどんな年だったか

こちらが、当日イベントで投影した資料。これだけ見ても何も伝わらないかと思うけど、1998年の世相やオリコンCDランキング(シングル/アルバム)を整理してたり、イベントの流れは掴んでいただけるかも。

 

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「おんな城主 直虎」を1年間完走した感想

2017年のNHK大河ドラマおんな城主 直虎」を最後まで観終わった。

終わってみると、あまりダレることなく観続けることができて上々だったかなと。

近年との比較でいうと、「真田丸」「平清盛」ほど夢中になったほどではないけど、「八重の桜」のように途中で観なくなってしまったほどではないという、ちょうど中間ぐらい。

 

1年前、主人公や周囲の人物のあまりのマイナーさに、これは大河じゃなくて小川ドラマになりそうだなと、でもそれはそれでおもしろいかもと、ブログで書いていたりしたんだけど、半分は当たっていて半分は外れたなと。

guatarro.hatenablog.com

 

たしかに前半期は、今川家という大大名に翻弄される地方豪族の悲哀がメインテーマだったし、柳楽優弥が率いる非定住民の集団は網野善彦せんせいが扱った「悪党」のイメージで、そういう世界が描かれるだろうというのも予測が的中した。

さらにいうと、女性が主人公の大河ドラマによくある、「史実以上に活躍しすぎ問題」はやはり今回も見受けられた。そこも予想通り。

 

で予想通りでつまらなかったかというと、決してそういうことはなく、吹越満高橋一生による小野親子の2代にわたる嫌われ役が実は‥っていうあたりはすごくドラマ的に盛り上がった。

あと、今川ににらまれてホームタウン井伊谷の支配権を近藤とかいうやつに奪われた後の、寺を拠点とした地元との関わり方は、いろんな権力構造が並立してごちゃごちゃしていた戦国期の感じとしてすごくリアルでおもしろかった。織田ー豊臣ー徳川が中央集権的な国を完成させていく前の、中世っぽいありかた。

そんな感じで、まあそこそこおもしろく前半を観てきた。

 

 

しかし、10月頃になると主人公が直虎から菅田将暉演じる井伊直政に交代するようなかたちに。

舞台も井伊谷の山村から、浜松の徳川家に移ってくる。

自分としては、ここから一気におもしろみが増した感じがしていました。

 

構造としては、武田と織田に挟まれた小大名としての徳川家の悲哀ってことで、今川と織田に挟まれた井伊家という前半期と同じ。

信長の疑いをはらすために我が子を切腹させなければいけなくなった家康という、戦国時代のいろんなエピソードのなかでも屈指のドラマ性をもつシーンも、見事に描いてたと思う。海老蔵の信長も、阿部サダヲの家康も、よかった。

 

で、同じ構造だけど後半のほうが盛り上がった感じがしたのは、何よりも徳川家臣の面々がつくりだすグルーヴ感にぐいぐい引っ張られたからだと思う。

榊原康政尾美としのり酒井忠次みのすけ本多忠勝高嶋政宏本多正信の六角精児という布陣ね。

温厚でかっちりした榊原、ちょっと嫌なやつの酒井、豪快な忠勝、不気味な正信という感じでキャラが立っていて、徳川家が巻き込まれるいろんな事件のたびに、この名バイプレーヤーおじさんたちがああでもないこうでもないと議論する様子が、見てるだけで楽しかった。

信長の野望」なんかのゲームだと、榊原康政酒井忠次は中途半端な能力値しかなくて使いづらいイメージが強いし、大活躍したという歴史上のエピソードも実際ほぼない。ただ、古くから家康をずっと支えてきた忠臣たちっていう。そんな人物を超いい感じに立ち上がらせてくれたなって思う。

 

 

ただ徳川家まわりで気になったのが、家康の心がきれいすぎるっていうところ。

こんなきれいな家康が、この15年後ぐらいに、秀吉亡き後にありとあらゆる手を使って天下を獲りにいくようにはどうしても思えなかった。

もちろん、このドラマの中ではそこまで描かないので、きれいな家康のまま終わっていっても何の問題もないんだけど、この家康ならやりかねんなと思わせてほしかった。

 

大河ドラマって直虎に限らず、良いことも悪いこともたくさんやってきた人物の場合、有名な悪エピソードは無視するわけにもいかず、でも脚本家としてキャラをぶらすこともしたくないっていう難しさにぶつかることが結構ある。

豊臣秀吉なんてその最たるもので、若い頃のみんなに愛されるエピソードと、晩年のヤバすぎる狂ったエピソードの落差がすごいわけ。それを両方ちゃんと描いて、一人の人物の中に両方の面が存在していることを示し、「だから人間ってすごい/こわい」って思わせてくれるのが最高の大河ドラマのあり方だと思ってる。

 

ただそういうのって本当に難しいだろうなと素人でも感じる。

そこで、悪いことは別のキャラの入れ知恵にするとか、何か事情があって仕方なくやったとか、そういう処理が一般的に大河ドラマではよく使われている。それでいくと、もし「おんな城主 直虎」で関ヶ原の戦いまで描いたとしたら、この家康の悪いエピソードは、すべて本多正信のせいにしていたんだろうか。

 

 

などなど、いろいろ脈絡なく書いてきたけど、大河ドラマはやっぱりおもしろいなと。

歴史上の人物を、史実を歪めすぎない程度にキャラをふくらませて、現実の俳優をキャスティングする。

歴史上の有名なエピソードに対して、事実関係は歪めず、資料がない部分をふくらませて、ドラマのテーマに沿うような解釈をほどこす。

っていう縛りの中でのクリエイティブな作業を、毎年、潤沢な予算と才能で見せてもらえるわけだから、みんなもチェックしておいたほうがいいと思います。

 

 

<おまけ>

酒井忠次のひとの30年前の姿。ドラム叩いてる。


筋肉少女帯 - 釈迦

 

1998年のこと

1998年、今から20年前。

大学4回生だったにもかかわらず、就職活動を一切やらず、バンドやDJやバイトや麻雀に明け暮れていた。

その前の年、大学の同級生で結成したバンドが関西では知られたコンテストで優勝してしまい、またライブではそこそこ動員できるようになっており、レコード会社から声をかけられたりしたため、すっかり音楽で食っていけると思い込んでしまったのであった。

なんといっても、音楽業界の景気がよかった。自分たちレベルのバンドがどんどんメジャーデビューしていたし、なんならデビュー前の青田買いの段階で月10万ぐらい給料をもらっているなんて話も耳にした。

自分も、まわりのやつらも、当たり前のようにCDを買いまくっていた。あまりお金のない大学生だったけど、輸入盤とか中古とかで何とか安くあげて毎月何枚もアルバムを買っていた。音楽に特に興味がなさそうな同級生でも、カラオケで歌うためにシングルCDを買ってMDに録音してた。WinnyYoutubeもない時代、みんなそうやって音楽を手に入れていた。それが当たり前だった。

 

だいたい、タワーレコードで視聴できるようになったこと自体が画期的だったわけで。

それまではラジオやテレビで聴くか、雑誌や店頭の文字情報なんかをたよりにCDを買っていたわけで。

こうやってあらためて書いてみると、隔世の感どころの騒ぎじゃない。

おれたちの頃の恋愛はな相手の顔も見ず声も聞かずただ和歌のやり取りで口説いてたんだぞ、って平安時代の人が現代人に説明しているような感覚。

 

どんな音楽を聴いてたか

このあたりの時期、90年代なかばから活動していたバンドがどんどんビッグになっていった印象が強い。

イエローモンキーとかジュディマリブランキージェットシティとか、電気グルーヴとか。10代20代のわりと音楽好きな層のものだと思っていたバンドが、CDバブルの追い風に乗ってお茶の間レベルのヒットを放って驚いたもんだった。

ヴィジュアル系もXやGLAYラルクのおかげで市民権を得ていて、地方のほうだと男子がバンドに憧れることイコールそっち系というのが自然な感覚で、楽器屋のいい場所を占めていたのはV系やメタル系御用達のIbanezとかの、なんか変な青い光沢があったり尖ってたりするギターだった。

あと当時はあまり興味もてなかったけどメロコアとか日本語ラップも盛り上がってきていて、自分たちより数年若い世代は断然そっちだった。

洋楽でいうと、UKのブリットポップおよびUSのグランジという90年代を代表するムーブメントが終息した後の時期。UKではケミカル・ブラザーズプロディジーといったあたりが「ビッグビート」なんて呼ばれて人気だったのと、USではミクスチャーロックとかメロディックパンクが人気だった。そのあたりが売れ筋で、よりコアなところで「ポストロック」っていう呼び名が定着していく頃。

UK/USともに全体的に暗くて重い音が多かった印象がある。

 

個人的には、レコード屋で古いのを発掘するほうに興味が移ってた。特にGSとか和モノ周辺。

サニーデイゆら帝やハッピーズやピチカートあたりの影響で、全国的にそういう流れがあったと思う。関西ではキングブラザーズやちぇるしいといったバンドを中心にシーンがあった。

 

フジロック

前の年に開催されたフジロックの第1回目にバンドメンバーや友達と一緒に参加して死にかけたんだけど、98年の第2回目は豊洲の広大な埋立地での開催になったということでまた参戦。

印象に残っているのは、貴重な杉村ルイ時代のスカパラと、客をステージにあげまくって大変なことになったイギー・ポップ。特にThe Stoogesのアルバムは無人島に持ってくリストに常に入ってるほどなので、動くイギーが見れただけでも感動だったのに期待以上にワクワクさせてくれた。あと、幼い娘さんを肩に抱え上げた上半身裸の中村達也が客席のエリアをゆうゆうと横切っていく姿。なんだか神々しくてまわりのみんなが見とれていた。 


iggy pop- I wanna be your dog - Passenger-

 

伝説のミサワランド

かつて大阪の南茨木というところの幹線道路沿いにミサワランドという複合アミューズメント施設があったことを覚えている北摂人はいるだろうか。

ボーリング場、ゲーセン、書店、CDショップ、レストランが一体になっていて(昔はカラオケボックスもあったみたいだけど98年にはすでに倉庫として使われていた)、毎日朝5時まで営業していた。

実は98年頃からそこで深夜バイトしていたのだった。

 

ミサワランドは名物ワンマン社長のいろんな思いつきがぶちこまれ、秘宝館スレスレの存在感を放っていた。

深夜に車で来るような、今だったらドンキと親和性があるような客層にあわせて、ユーロビートとかチャラ箱でかかるようなダンスポップがよく売れていたんだけど、粗利率を高めるため、そして他の店にない品揃えを追求するあまり、海外のレーベルと直で 取り引きし始め、結果ハードコア・テクノとかガバが日本屈指の充実度になっていたりもした。

また、やんちゃな若者のなかでもアンテナが高いほうの層にあわせて、アナログレコードの取り扱いにはじまりDJのミックステープなんかも売ってたりして、ストリートへの目配せも効いていた感じ。 

 

いやもうミサワランドのことは話し始めると長くなるのでこのへんにするけど、とにかく98年のCDバブル期を、そういう場所でCDを売る側として体験してたのでした。

 

売る側からみたCDバブル

あの頃はほんとに、日雇いっぽい仕事帰りのにーちゃんでも3,000円のアルバムを2〜3枚レジに持ってくるのが普通だった。「スーパーユーロビート」シリーズは毎月のように発売され、VOL.100とかになってたけど、出るたびにみんなちゃんと買ってく。FM802でかかったのをチラッと聴いていいなと思ったらうろ覚えのまま店員の前で歌ってみせて「あのララララーっていうやつある?」ってな感じでさくっとお買上げ。

当時はそれが普通だと思っていたけど、2018年の感覚からするとやっぱりすごいなー。

 

告知

こんな感じの話とか批評とかを織り交ぜて1998年のことを語るイベントをやります!

われわれLL教室、久々のトークイベントです。

 

 

LL教室の試験に出ない1990年代シリーズ「1998年」編

2018年2月11日(日)

18時半開場/19時開演

1500円+1ドリンク

場所は、荻窪ベルベットサン

 

LL教室の他のメンバー(森野誠一さん、矢野利裕くん)にとってもそれぞれの98年があるし、さらに1998年といえばメジャーだけじゃなくてインディーズも同じように盛り上がっていたわけで、そのあたりのことをお伺いすべく、ゲストにはなんとあの元ビークルの日高央(ヒダカトオル)さんをお迎えします!

 

あまり大人数は入れないハコですので、予約はお早めに! 

当日はみんなの1998年も聞きたいですね。

 

矢沢永吉やドリカムや松田聖子にできなかったことをX JAPANとBABYMETALができた理由(世界一やさしいヘヴィメタルという音楽)

X JAPANやBABYMETALが海外でめっちゃ売れている。

www.oricon.co.jp

www.barks.jp

 

一昔前まで、日本で頂点を極めた大物歌手が次の目標として世界進出に挑戦するっていう流れがあって、ほぼ全員が無残な結果に終わるっていうパターンがあったことを思うと、隔世の感がある。

 

たとえば矢沢永吉

名著『成りあがり』を出版するなど日本では飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃に単身渡米。ドゥービー・ブラザーズらをバックに従えてアルバムをリリースしたものの、目立った売り上げにはならなかった。

たとえば松田聖子

「seiko」を名乗り、当時世界的に人気があったニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックとデュエットするなど様々な戦略を練ったにもかかわらず、こちらも目立った売り上げにはならなかった。

たとえばドリカム。

わざわざレコード会社を移籍するなど万全の体制を整えて海外進出したものの、解散の危機だったと後に語られるレベルの大失敗。

 

これらの事例をみて、当時の大人たちは訳知り顔でいろんなことを言っていた。

いわく、「日本のロックはレベルが低いから本場では通用しない」「英語の発音が下手だからネイティブが聴いたら笑っちゃう」「逆にアメリカ人が歌舞伎をやったら見たいと思う?それと同じこと」などなど。

 

 

そんな時代を知っている世代からすると、X JAPANとBABYMETALが成し遂げたことって、ほんと奇跡みたいに感じる。

でもそれと同時に、なぜ矢沢永吉やドリカムや松田聖子にできなかった海外でのリリース的な成功をX JAPANとBABYMETALができたのか、その理由についていくつか思い当たることもある。

 

まあ、いくつかの理由が複合的に作用したのは間違いないと思うし、すでにいろんな人が言及しているので、この場ではできるだけまだ誰も指摘していない点について無責任に述べてみたい。

 

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荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」のリバイバルはどう考えても必然


輝く!日本レコード大賞 ダンシングヒーロー

 

ダンシング・ヒーロー」は日本語カバーですよ

登美丘高校ダンス部の「バブリーダンス」で今年リバイバルヒットした荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」。

この曲は1985年にリリースされたANGIE GOLDって人の「Eat You Up」に日本語で歌詞をつけて歌った、いわゆる日本語カバー。


ANGIE GOLD - EAT YOU UP ( V.J ANDRES FABIAN C.R AUDIO HQ )

 

80年代後半は、「ダンシング・ヒーロー」以外にも洋楽のヒット曲(特にユーロビート)の日本語カバーがいくつもお茶の間に登場した時代だった。

代表的なのはこんな感じだけど、日本語カバーだと意識せずに聴いていた人が多かったように思う。

小林麻美「雨音はショパンの調べ」1984

石井明美CHA-CHA-CHA」1986年

長山洋子「ヴィーナス」1986年

BaBe「ギヴ・ミー・アップ」1987年

森川由加里「SHOW ME」1987年

Wink「愛が止まらない」1988年

 

他にも売れなかったけど同じ発想で売り出された日本語カバー曲が大量に存在していて、そういったあたりの発掘をライフワークにしている自分のような人間にとって、80年代後半は50〜60年代前半と並ぶ黄金時代になっている。

 

日本語カバーについての大胆な(大ざっぱな)仮説

ではなぜここが黄金時代だったのか、戦後の歌謡曲〜J-POP史のなかで、日本語カバーが多い時期と少ない時期がはっきり分かれる傾向があるのはなぜか。

ほとんどの人にとっては完全にどうでもいいことだと思うけど、その理由を自分なりにまじめに考えてみてひとつの仮説を立てるに至ったので、今日はその話をさせてください。

 

その仮説というのが、「アーティスト主義」の時代は日本語カバー曲が少ない説

 

この先、大ざっぱな話しかしませんが、もしよかったら戦後〜2017年までの歌謡曲〜J-POP史を「アーティスト主義」というキーワードでちょっとふりかえってみて、一緒に仮説を検討してみてほしい。

 

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大量のレコードとCDに囲まれて暮らしてた生活がApple Musicを2年半使って一変した話

2015年に使い始めて2年半。
すっかりApple Musicなしでは生きられない身体になってしまったというお話。

 

 

Apple Musicとは

Apple Musicについて一応おさらいしておくと、Appleが提供している音楽の定額聴き放題サービス。iPhoneに最初から入ってる「Music」ってアプリで聴ける。
月額980円で数千万曲の音楽がストリーミングで聴き放題になり、iPhoneでダウンロードすることも可能。最近ではオリジナルの動画コンテンツもいろいろ始まってる。
3ヶ月間は無料でお試し可能。

 

okmusic.jp

 

コストパフォーマンス

はっきり言って、月980円は決して高くない。
毎月こんな安くていいのかなって申し訳ない気持ちで決済させていただいてる。
年契約で支払うとさらに割引されるらしいんだけど、恐縮すぎてやってない。

 

登録後に、年間プランに切り替えることができます。年間プランなら、Apple Music を 10 か月分の料金で 12 か月利用できます。

iPhone、iPad、iPod touch、Mac、Windows パソコンで Apple Music に登録する - Apple サポート

 

Apple Musicがサービス開始するまでは、CDやダウンロードにだいたい月平均5,000円ぐらいは使っていたので、5分の1の値段で無限かもと思える量の楽曲が聴けてしまう現状は、本当にいい意味でけしからん。 

 

洋楽・邦楽の充実度

洋楽に関しては、アレあるかな?って検索したものはほぼ100%ある。

たとえばN.E.R.D.の新しいアルバムもあるし、S.O.D.もN.W.A.もXTCTLCCCRBCRもEMFもKLFもある。

メタリカメガデスも、ジャンゴ・ラインハルトマイルス・デイヴィスもある。

 

邦楽もサービス開始当初は貧弱だったけど、2017年末の時点ではかなり充実してきた。

検索してヒットする確率は7割ぐらい。ちなみにApple Musicで見つからなかった残り3割は、廃盤だったりでTSUTAYAにもないしあんまりタワレコにもないあたりなので、仕方ないし、いま流行ってるものに限ればほとんど不自由ない。
(逆に、CDではとっくに廃盤だけどApple Musicにはあるって楽曲は大量に存在する)

 

最新のオリコンチャートと比較してみると、ジャニーズ以外はだいたい揃ってることがわかる。AKB系もEXILE一派も韓流のグループも聴き放題。

 

機能面の良い点と悪い点

Apple Musicが始まったとき、ある日突然iTunesが勝手に拡張した、みたいな印象をもった。

それまでせっせとCDをリッピングして作り上げた自慢のライブラリ(1万曲とか)のとなりに、いきなり数千万曲がパカっと開放された感じ。

「えっ」と思ったし、なんか癪に障るみたいな気持ちもあったんだけど、そんな気持ちは一瞬だけ。あまりの便利さにすぐ取り込まれた。

そんな感じなので、もともとiPhoneで音楽を聴いてた人には基本的な操作面で不自由は感じないはず。

 

そんなApple Music、機能面で強化されてくのは、やはり数千万曲の中からいかに好きな感じの曲に出会うかって部分になってくる。

自分がよく使っているのが「For You」のプレイリストと、「Radio」機能。

 

Apple Musicに登録したとき、好きなジャンルやアーティストをいくつか選ばされるんだけど、それに基いていろいろオススメしてくれるのが「For You」。登録後もよく聴くやつとかお気に入り(ハートマーク)にしたやつをもとにこっちの好みを学習してくれる。
今の自分の「For You」こんな感じ。

 

「For You」では、オススメのアルバムとプレイリストがいくつか出てくるんだけど、この「プレイリスト」ってのは、いろんなテーマごとに20曲ぐらいが集められたリスト。
これが昔に比べて種類や深みがどんどん向上してる気がする。
たとえば「◯◯に影響を与えたアーティスト」とか、あとプロデューサー軸とかレーベル軸とか、おもしろい切り口のリストがいろいろオススメされてくる。

 

CDだとレコード会社の縛りがあって1枚にまとめるのは不可能なジャンルやカテゴリが、サクッとまとまっていてくれて本当に便利。
(◯◯系っていうのがひとつのレコード会社に収まってる事例なんてモータウンとかエイベックスとかアイランドレコードとかごく一部でしょ)
CDでは実現しづらいこういった企画ができるのも、定額制サービスならでは。

 

最近は有名人や音楽メディアが選曲したプレイリストなんかもあったりして。
これ日本人アーティストのやつも増やしてくれたらおもしろいと思う。

 

ジャンルの中でももう少し時代や文脈を限定したいときは、「Radio」機能が役立つことが多い。
ある曲を再生してるときに、その曲と近い曲を流していってくれる機能。
おそらく過去にその曲を再生したユーザーが他にどんな曲を聴いてるかみたいなビッグデータを活用してるものと思われる。
思ってたのと違う方向に転がってく場合もあるけど、それはそれでアリかなと思えることもある。知らなかった曲に出会えるし。

 

音楽の聴き方そのものが変わった

いろんな活用法があるけど、自分が好きなアーティストと近い感じの曲を見つけるのは簡単だし、フェスの予習なんかもう大活躍してくれる。

個人的には、中高生のときにお金がなくて(レンタル屋に並ぶほどメジャーでもなくて)手に入れられず、結局そのままになってるやつ。そして今この年になってわざわざ買おうとは思わないやつ。
そういうやつを思う存分聴けるのがすごくいい。

90年代に横目でチラ見してたアルバムに20年越しで出会えるおもしろさ、あれはちょっと沼だった。一生その周辺に浸ることもできそうでちょっとこわかった。ノスタル爺になる自分が容易に想像できた。

具体的にいうと90年代初頭のスラッシュメタル勢とか。80年代末のUKインディーダンス周辺とか。
特定のアーティストが好きっていうわけではなくそのジャンルを聴き込みたいってニーズ、かつてはちょうどいい叶え方がなかったんだけど、それもApple Musicならいい塩梅にまとめてくれてる。具体的にいうとサルサとかレゲエとかAORとかフュージョンとか。

 

アーティストへの還元について

しかし、Apple Musicがユーザーにとってこんなにコスパがいいってことは、アーティスト側に皺寄せがいってしまってるのではないか?

 

ある程度音楽に思いのある人ならここが気になってしまうはず。

980円で無限に聴けるような形態だと、アーティストに入るお金が少ないのではないかと。
あくまで合法的な手段で、アーティストも同意の上で曲を提供した上で聴き放題やってるはずなのに、どこかしら後ろめたい気持ちになってる人も多いと思う。自分もそうでした。

 

そこでちょっと調べてみたら、どうやら1再生あたり0.16円が収入になっているらしい。

swinginthinkin.com


これはこれで悪くないのかもしれない。

たとえば毎日必ず聴く大好きな曲だあったとして、0.16×365=58.4円/年がアーティストに入るらしい。

…ちょっと少ないような気がする。

 

でも同じような人間が何千人いれば話は変わってくるか。

うーん、よくわかりません。

ただひとつ言えるのは、Youtubeよりは明らかにアーティストに実入りがあるってこと。新譜のチェックやカラオケの練習なんかをYoutubeで済ませちゃってる人は、Apple Musicで聴くことでアーティストに還元してあげてほしい。

 

ちなみに、ユーザーとアーティストの関係はそうなるとして、レコード会社も原盤権に応じて収入を得るとして、もっとも割を食うのは誰かというと、CD屋さんですね。

Apple Musicの世界ではアーティストとリスナーの間にはApple社しか存在しないので、CD屋さんとかCDのプレス工場などは商売あがったり。


その中でも特に、「所持しなくてもいいからデータ化して手元に置きたい」っていうニーズでは、TSUTAYAと完全に競合するわけで、案の定レンタルCD店はここ最近減り続けてる。

CDレンタル店舗数は2,370店に減少。大型店舗の割合が64%に増加 - AV Watch

 

ところでこのお金の流れ、何かに似てると思ったら、カラオケだ。

円広志は「とんでとんで」の「夢想花」などでいまだに年間1千万のカラオケ印税があるらしいっていう話、関西人なら一度は聞いたことがあると思う。

そんなノリで、CDとしては売りつくした過去の曲がApple Musicのおかげで突如誰かを潤わせている可能性もあるんじゃないかと。

そんな夢のある話もApple Musicには転がっているかもしれない。知らんけど。

 

結論(こんな人にオススメ)

以上、いろいろあるけど、こんな人にはApple Music絶対オススメです。

  • 過去に音楽を聴き込んでいた時代がある
  • 自分の好みの音がある程度あるし、広げてみたいとも思っている
  • 話題の新人やヒットチャートも少しはチェックしたい
  • 月に1,000円以上CDに使っている

こういう人であれば、月980円以上の価値を必ず得られるし、こんなに良いサービスが980円だなんてなんか恐縮だな申し訳ないなっていう今の自分の気持ちにも共感してもらえるはず。

 

自分はApple Musicに入っている曲でも、本当に好きなものはわざわざCDやレコードでも買ってるし、そうほうが精神衛生上よろしい。

 

 以上、無料期間もあるわけだし、Apple Musicに加入しない理由が本当にないなと。

 

 

とはいえ、今自分が中高生だったとして、Apple Musicがあったらどうかと思うと実は微妙だったりする。

当時は2~3,000円のCD1枚を買うのに毎回清水の舞台から飛び降りてたし、ハズレもさんざん引いたけど、そのぶん1枚のアルバムに対する思い入れはめっちゃ強かった。

そういう音楽体験を若いときにやってきて、今Apple Musicに出会ってるからこそ、良い距離感で付き合えてる感じがする。

 

そうではなく、最初からApple Musicだけで聴いていると、音楽への思い入れや距離感というものはどうなっていくんだろう。

大枚はたいて買ったのになんかピンとこないアルバムを、意地でも気に入ってやるってな感じでずっと聴いて、そのうちなんかよく感じられてくる瞬間ってのがあの頃はあった。なんなら、子供にはわからない良さとかスルメ感はそうやって意地で聴いているうちにわかってくるものかもしれないし。

数秒ぐらいで検索して見つけた音を数十秒聴いてみてちょっと違うなと思って捨てる、ってのが今の基本になるから、スルメ感ってのはもう生まれないのではないか。

 

だから若者にはApple Musicオススメしたくないって気持ちもある。

30代以上である程度確立された音楽観をもってる上で 楽しんでもらいたい。
そういうサービスだと思いました。