RADWIMPS「HINOMARU」はこうして生まれた(生き残ったC案として)

RADWIMPSの新曲「HINOMARU」。

古語の用法が間違ってるとか戦時中の軍歌を連想させるとか何が悪いんだとかで話題ですね。

HINOMARU RADWIMPS 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

 

作者である野田さんは、意味深なコメントしたり謝罪したり開き直ったりと慌ただしい。

 

RADWIMPSをよく知る知人に言わせると、ある意味で彼らしくない、しかし別の意味でとても彼らしい、そんな曲だそう。

たしかに、このバンドのこれまでの作品がもつ味わいやクオリティと、「HINOMARU」のそれとは一貫性が見えない。彼らしくない。だけど、聴いててくすぐったくなるほどのピュアさ青臭さという点では、その道(現代史や古典文学や文芸批評やその他のいろんな方面)のプロに「稚拙」と言われてしまう無邪気さ脇の甘さに通じてるのではないか、とのこと。

この分析、自分が目を通したいろんな記事のなかではかなり腑に落ちるものでした。

 

 

というわけで前回DA PUMPの妄想企画会議でちょっとだけ話題になった当ブログ、今回はこの難物件に立ち向かいます。

 

タイアップ仕事

まず押さえておきたい事実として、「HINOMARU」は「カタルシスト」という、2018フジテレビ系サッカー テーマ曲のカップリングとしてリリースされたということ。

 

今回の件を考えるにあたり「カタルシスト」がどんな曲かを見ていく必要があると思っている。

 

ということでこの「カタルシスト」。

ストリート感のあるワルそうなビートのヒップホップで始まりラップが乗り、ドラムンベースっぽいビートに変わって、サビみたいなBメロ、さらに大きなメロディのサビという展開。

 

それぞれのパーツごとに違った味わいになっており、サッカー中継において、Aメロ・Bメロ・サビのどの部分が使われてもいいようになっている。たとえば番組のオープニングにはBメロ、CM前のジングル的にイントロのビート、エンディング(試合終了後)には雄大なサビ、といった具合。

作詞作曲の野田さんが職人の技を駆使して作り上げた、ひと皿で三回おいしいコスパの楽曲といったところかなと。

 

クライアント筋から依頼されたときには、「なんかこうギラギラしてるっていうかこれからやってやるぜ的なヤバめな感じのオープニング」「CM前の3秒で口ずさめる印象的なメロディ」「戦い終わった戦士たちを日本中でたたえるようなやさしさ」が詰まったような曲にしてほしいみたいなことをいろいろ注文されたかもしれない。

野田さんは「好き勝手言いやがって」と正直ムカついたんだけど、「よっしゃじゃあそれ全部一曲にしてやろうじゃないの」と逆に燃えたのかもしれない。あくまで妄想だけど。

 

あと「カタルシスト」で大事なこととしては、「HINOMARU」と違ってこの曲の歌詞には「国家」とか「民族」といった視点はまったく含まれていない。

勇気を持って立ち向かうんだってこと、君の応援が力になるってこと、みたいな、スポーツ全般に言えてさらには生きることにも通じる内容になっている。そういった意味でもすごく使いやすくて優秀な楽曲。

この曲がサッカー中継のテーマ曲として機能するであろうことは想像しやすい。

 

C案としての「HINOMARU

じゃあ「HINOMARU」とは何なのか。

また妄想なんだけど、フジテレビからサッカー中継のテーマ曲を依頼されたとき、最終的に採用された「カタルシスト」以外に、実はもう2曲作ったんじゃないか。

そのうちの1曲が「HINOMARU」だっだんじゃないか。

 

デザイナーとかクリエイターの人が発注された仕事に対して作品をプレゼンするとき、何パターンか毛色の違うものを作ってみてクライアントにハマるものを探ることがある。

たとえば依頼に対してど真ん中でクオリティ的にも自信がある本命のA案、同じくらい自信あるけどちょっと方向性を変えてみたB案、あえて振り切ってぶっ飛んだC案みたいな感じで用意するなど。

 

世の中に知られるいわゆる「名曲」の中には、もともとC案として作られたにもかかわらず案外クオリティが高かったり肩の力が抜けたぶん大衆性を獲得したっていうパターンが多々あるし、ひとつのお題に対してさまざまな角度からアプローチしてみるのはよくある話。

 

で今回でいうと「カタルシスト」はA案がそのまま採用されたのではないか。

その陰に、「『前前前世』みたいな感じで1曲つくってみてもらえませんかね」みたいな安直かつ大人の発想としてありがちなオーダーに応えて作ってあげたB案とかがあったのではないか。そして本人が気乗りせずに作ったので案の定ボツったのではないか。

そしてさらに、サッカー中継のテーマ曲ってお題に対して、考えうる限りでもっともぶっ飛んだC案として、「HINOMARU」が作られたのではないか。

個人的にはそう考えることでいろいろ腑に落ちる感じがする。

 

もともとの「HINOMARU

無茶を承知でもうひとつ仮説に仮説を重ねるとすると、「HINOMARU」は最初はこんなアレンジじゃなかったのではないか。

C案らしく、たとえばもっとテンポが速くてオルタナでロックな曲調で、ボーカルも拡声器みたいなエフェクトではっきり歌詞が聞き取れないようなもの(初期の椎名林檎っぽい)だったとしたら?

というのも、先ほどみたように「カタルシスト」は一曲でたくさんのニーズに応えられる曲なので、これに対するC案はかなりぶっ飛んだものだったに違いないと思ったから。ま、妄想ですけど。

 

ともあれ、そんな曲調にあの歌詞が乗ることで、全体として批評性が出てくるようなバランス感覚だったとしたら、自分が思ってるRADWIMPSっぽさとつじつまが合うんだよな。そんなによく知ってるわけじゃないけど。

 

なんなら歌詞ももっと違ってて、サビで「HINOMARUHINOMARU!」って連呼してたかもしれない。イメージは忌野清志郎がパンクっぽくカバーした「君が代」な。

 

 

で、宅録したデモ音源を会議の席で流したときに、「まあさすがにこれはね(苦笑)」「そうっすかね、ちょっと好きなんですけどねー(半笑い半分本気)」みたいなやりとりがあって、「さてじゃあ本命のやつ聴きましょうか」ってなるような。

 

 

なぜか生き残ったC案

そんなC案、タイアップ曲にこそ選ばれなかったものの、正式にレコーディングされカップリングとしてリリースはされたわけで。

なぜボツらずに生き残ったのか、さらに妄想に妄想を重ねてみる。

 

もしかしたらこっちがハマるかもって大穴としてC案を作ってみて、案の定ボツって、さて本題ってなるはずが、会議の席で異様にC案を推すスタッフもしくはクライアント筋がいたとしたら?しかも微妙に偉い人だったりしたら?

 

B案が早々にボツになった後、A案に絞って話が進むと思いきや、一部の熱い思いに引きずられてA案かC案かで決着がつかず、デモでは判断できんってことになって両方レコーディングしてみることに。

しかもここに至ると「HINOMARU」はぶっ飛んだC案としてではなくAダッシュ案として検討されることになるので、ふさわしい歌詞やアレンジに「洗練」させましょうって話になってくる。

その過程で、当初あった批評性は抜け落ち、リリースされた「HINOMARU」に近づいていったのではないか。もしかすると、その「洗練」は本人にとって不本意だったかもしれない。

 

しかし、ワールドカップまでに完成させてリリースするという期日が決まっていたり、どれを採用するかの決定権がアーティスト側になかったり、現場から遠いところに声の大きな大人がいたり、普段の作品作りとは全然ちがうフローにならざるを得ない事情があったかもしれない。

 

 

クライアント「野田くんさ、悪いんだけどあのC案の曲、もう1パターンアレンジ変えて録ってみてもらえないでしょうか?事業部長がぜひそれも聴いてみて判断したいって言ってまして、っていうか例の清志郎っぽい感じだと歌詞が聞き取れないって言ってまして」「申し訳ないんですけど事業部長が海外出張でして、タイアップが決まる会議が来週になります」

レコード会社「シングルのリリース日から逆算するとそろそろ収録曲を確定させないといけないんですけど、どっちがタイアップになったかまだ決まってないんですよね?じゃあA案カタルシストとC案HINOMARU(仮)の両方にしますよ?」

クライアント「いやー、事業部長はHINOMARU(仮)を最後まで推してたんだけど、もっと上からダメ出しくらっちゃいました」

レコード会社「収録曲はもう変えられないので2曲ともリリースします」「結局完パケしたのは歌詞もアレンジも事業部長オススメバージョンしかないのでそれ使います」

「あれ?そういえば清志郎バージョンのやつはデモしか録ってなかったっけ?」

 

どんな経緯であれ我が子はかわいい

そんな感じの不本意な生い立ちになってしまった「HINOMARU」。

 

とはいえ、たとえ自分たちの狙いと違う着地になってしまっても、RADWIMPS名義で世の中にリリースするからには、責任は持ちたい。

難産だろうと、気に入らない遺伝子が入っていようと、我が子は我が子。

 

賛否両論がはげしくまきおこるほどに、自分の子供が容疑者になった母親のような気持ちになる野田さん。自分だけはこの子のことをわかってあげたい。変に祭り上げられるのも、筋違いに批判されるのも、どちらの側も全然わかってないなと思う。誤解して傷ついた人に謝れと言われれば謝るけど、あくまで誤解だと思う。

 

といったような気持ちになっているんじゃないか。

そう考えると、リリース後のいろんな言動が腑に落ちるんだよな。

 

イデオロギー云々よりもっと手前の話なんじゃないかって。

 

DA PUMP「U.S.A.」はこうしてつくられた(KPIとしての「ダサい」)

DA PUMPの新曲「U.S.A.」が話題ですね。

なんといってもサビが「カーモンベイビーアメリカ」の連呼、しかも音の乗せ方がカタカナ英語のそれで、ボキャブラリーも小学3年生レベル。

「ダサい」「ダサいけどクセになる」「ダサかっこいい」など、とりあえず「ダサい」ってことを共通認識とした上でその破壊力にみんなやられちゃってる様子。

 


DA PUMP / U.S.A.

 

「ダサい」は想定外か

じゃあその「ダサい」って反応は、本人たちの想定外だったのか。

リーダーISSAはこんなふうに語ってる。

これを録音するのか、今やらなくてもいいんじゃないか、と思いました。歌詞も、どうなんだろうと。ユーロビート自体はなじみのあるジャンルで抵抗はないんですけど、チームとして考えたときに、今これで大丈夫かと。

やっぱり「U.S.A.」は本人たちもダサいと思っており、わかった上でやっているらしいことがわかる。

 

そしてこのインタビューの別のところでは、「自分たちが予想していなかったところで反響が大きい」とも言っており、こんなにバズるとは思っていなかったらしいこともわかる。

 

つまり、自分たちでも「ダサい」と感じていたしそう言われるだろうことも想定していたけど、こんなに評判になるとは思っていなかったって感じか。

でもそれって、どういうことか。

DA PUMPとして数年ぶりのシングルに、メンバーが微妙だと感じるような曲をわざわざやるっていうのは。

 

渋るDA PUMPに、ダサいけど絶対にバズるから信じてやってみてくれって誰かが説得したんじゃないだろうか。

 

妄想のDA PUMP戦略会議

2018年初頭あたりに開かれたであろう、DA PUMPの戦略会議を妄想してみる。

2014年に久しぶりにm.c.A・Tの楽曲で新曲をリリースするもいまいち世間に浸透していない今のDA PUMPを売るにはどうすればいいか、っていうテーマだったと思う。

たとえばISSAが、昨今のR&Bのトレンドを踏まえた方向性を提案したり、avexのスタッフが若手とのコラボを模索したりしたかもしれない。

 

だけど、その会議にはメンバーやマネジメントなどの内輪の人間だけじゃなく、たぶんいい意味でこれまでのDA PUMPの活動にリスペクトのない外部の人間が絶対いたと思う。

その人間が、「あえてズバリいいますけど、今のDA PUMPがまっとうな音楽性の曲をリリースしたとして、話題になりますか?」とか言ったんじゃないだろうか。

 

「中途半端に上質な楽曲をリリースしたところでどうなります?DA PUMPってそういうグループでしたっけ?ISSAさん、音楽評論家どもに評価されることと、もう一度紅白に出ること、どちらがやりたいことですか?」

「そりゃ紅白だけど…」
「ですよね?じゃあ紅白出たいなら、自分の提案を信じてください。必ずバズらせてみせます」

「そんなに簡単にいくかねえ?」

「ネット発で紅白っていう道筋が自分には見えてます」とか。

 

ここでパワーポイント登場

ここまでで会議の場の空気を一旦支配しといて、満を持してパワポの資料をプロジェクターに投影。

 

f:id:guatarro:20180612125107p:plain

内部資料が流出したっていうつもりでご覧ください。

 

縦軸はスキルとフレッシュさ。横軸は親しみやすさと尊敬。

競合するであろう男性ダンス&ヴォーカルグループをプロットしていき、さてDA PUMPはどこを狙いますかっていう問いかけをしたと思う。

 

さすがにDA PUMPにはフレッシュさはもう望めないので、スキルフルにならざるを得ない。

あとは横軸でどこを狙うかで、DA PUMPのキャリアで普通に考えるとスキルフルで尊敬の対象っていうポジショニングになるんだけど、ただその場所にはEXILEや(グループじゃないけど)三浦大知っていう横綱がすでに鎮座している。

 

すでに立派なキャリアがあるアーティストとしては、スキルフルで尊敬の対象をエグザイル以上に極めたいとか思いがちだけど、そんなレッドオーシャンに飛び込むのは勝ち目ないですよって。それよりもスキルフルで親しみやすいところががら空きですよって。そう説得されたはず。

 

「スキルフルで親しみやすい」っていうポジションは実はネット的な文脈と相性が良くて、これからの時代オススメですと。ただ中途半端にやっても印象に残らないので、「ダサい」って言われるぐらいの強い印象を与えましょうと。

 

そう。この戦略に乗ったからには、とにかくやり切ることが必須。

だから音楽性でもっともダサいところとしてユーロビートを持ってきて、歌詞も小学生レベルの語彙であててきて。

あとは「◯◯ダンス」っていう素人でもギリギリまねできる要素を入れれば完璧。

その会議では「TTポーズ」とか「ランニングマン」とかが例として挙がっていたでしょう。

 

そこまで言われてISSAも腹をくくったんでしょうね。
わかった。どんな曲でも乗ってみせようと。

こうして「U.S.A.」が誕生したわけです。絶対そうです。

 

KPIとしての「ダサい」

こうして世に出たDA PUMPの新曲プロジェクト。

この取り組みが成功したかどうかは、最終的には「U.S.A.」の売上ってことになるんだろうけど、そのゴールに至るまでのプロセスをみるKPI(Key Performance Indicator=重要業績評価指標)として、「ダサい」って言われた回数を計測していてもまったくおかしくない。

 

つまりきみたちが上から目線だかで「ダサい」とツイートするたびに、「U.S.A.」は成功に一歩近づき、ISSAは「あのときの判断は間違ってなかった」と自信を深める構造になっています。

こうしているうちにも、紅白で「U.S.A.」コールが起こる可能性が日に日に高まっているところ。

その前にFNS歌謡祭でスペシャルメドレーとして「ごきげんだぜっ!」からの「U.S.A.」でお茶の間をロックするであろうし、ダンスサークルが学祭でキレキレのいいねダンスを披露するであろう。

 

個人的には、こういうイチかバチかの勝負のタイミングで洋楽の日本語カバーが選ばれたことがうれしい。

世の中にまたひとつ、ものすごい破壊力をもった日本語カバー曲が生まれたわけで、そういう意味では西城秀樹「Y.M.C.A.」の系譜と考えてもいいと思う。

 

あの頃メタルがパンクに片思いしていた

今日もしつこく1990年前後のメタルの話をします

メタルのことをよく知らない人によく聞かれるのが、「メタルとかハードロックとパンクってどこが違うの?」っていうやつ。

たしかにどれもこれも、歪んだギターがザクザクいってるうるさいロックであり、同じように聴こえてもしょうがないかもしれない。

だけど、当事者にとってはその違いは明確で、お互いに「あいつらと一緒にされるなんて心外だ」と思っていたりする。

 

特に80年代にはメタルとパンクは仲が悪かった。ハードコア・パンクの怖い人たちが「メタル狩り」と称してメタルバンドのライブを襲撃するみたいな話はよく耳にした。
どちらも暴れたい若者のための激しいロックであることは同じなんだけど、テクニックがあることや様式美を重んじるメタルと、テクニック以外の面を重んじるパンクでは、思想的に相容れない。

たとえばもっとも有名なパンクロッカーの一人であるシド・ヴィシャスという人は、セックス・ピストルズに加入するまでは楽器を触ったことがなかったというし、なんならそれがかっこいいこととされている。メタルの世界ではそんなこと絶対にありえない。(似た例としては、脱退したギタリストの代わりにザ・タイガースに加入したのにギターが弾けなかった岸部シローぐらい)


実は一部で両者のいいとこ取りみたいなムーブメントもあって、個人的はそのあたりの音は大好物なんだけど、一般的には犬猿の仲だった。

 

 1990年にはこんな番組がNHKで放送されたりもした。

 

対立構造の緩和

それが90年ぐらいになってくると、対立構造が徐々になくなってくる。

 

まずその頃のパンクは、グラインドコアみたいな方向に先鋭化したりネオアコグランジに流れたりしたことで、分散していったイメージがある。

ロディックパンクが盛り上がってくるまでの数年間、パンクはおとなしかった印象。
たとえば日本でいうと90年代に活躍したスガシカオカジヒデキ片寄明人といった人たちはもともとパンクロッカーだったそうで、だけどミュージシャンとしてはパンクという出自から発展していった先で開花している。

そうやって先鋭化と分散化が進んで、保守本流のパンクロックというものの姿が一瞬消えたように見えていたのがこの時代。

 

一方その頃メタルもじわじわ時代遅れになっていく流れがあり、両者ともにかつての勢いがなくなって、メタル対パンクの対立構造はなくなっていった。

 

その傾向の行き着く先に、メタル界でちょっとした流行が発生したのだった。

 

90年代メタル界で発生した謎の流行

それは何かというと、メタルのバンドたちが一斉にパンクロックの名曲をカバーしはじめるという動き。

 

たとえばLAメタルトップランナーであるモトリー・クルーやスラッシュ四天王のメガデスが、ともにセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」というど定番をベタにカバーしたり、ガンズ・アンド・ローゼズがダムドやイギー・ポップらをカバーしたカバーアルバムをリリースしたり。またメタリカは一足早くて1987年にカバーアルバムをリリースしており、その中でパンクも取り上げている。

カバーアルバムといえばボン・ジョヴィの弟分として登場したスキッド・ロウもリリースしており、ラモーンズなんかをカバーしてる。

B‐SIDE OURSELVES

B‐SIDE OURSELVES

 

 

もう少しマイナーどころでは西海岸のエクソダスっていうバンドもエルビス・コステロのカバーをアルバムに収録したし、先日このブログで書いたL.A.GUNSも、ビリー・アイドルなどをカバーしたカバーアルバムをリリースしてる。

 

1990年前後の数年間だけに集中したこの流行、いったいどういうことなのか。

メタル対パンクの対立構造がなくなってきたという土壌の上に、2つの理由が乗っかっているんじゃないか、という推測が今日の本題です。

1ミリも興味ないですよね、ほんと申し訳ありません。

 

理由その一

 まず、ハードロック/ヘヴィメタルというジャンルを作った第一世代ではなく、ヘヴィメタルの影響を受けてヘヴィメタルをやり始めた第二世代に世代交代が進んできたこと。

第一世代とは既存のブリティッシュ・ロックのグッとくる部分を誇張し、パンクのいいとこ取りをしつつ、激しく強く悪く重く進化させていくことで「ヘヴィメタル」っていうジャンルそのものを作っていった人たち。具体的にいうとオジー・オズボーンであり、ジューダス・プリーストであり、アイアン・メイデンでありってことなんだけど。

 

それが1990年頃になると次の世代、つまり第一世代のつくった新ジャンルとしてのメタルを聴いてメタルの道を志した世代が登場してくる。

その中には、実はメタルと同じぐらいグラムロックも好きだしパンクも好きっていう70~80年代のいろんなロックを聴いてきた人たちが少なからずいたはずで。

オリジネーターである第一世代と違って、参照するものがいろいろ存在したため、カバーをやろうという機運が盛り上がりやすかったのではないか。

 

理由その二

もう一つの理由として考えられるのが、ヘヴィメタルがモテなくなりはじめてきたという時代の変化の影響。

 

メタルがダサいものになっていく流れって1991年のNIRVANAで決定的になるんだけど、ちょっと前から予兆はあったわけで、そんな向かい風の予感を感じたメタル勢が、パンクをカバーすることでブランディング面で保険をかけようとしたのではないだろうか。

 

「たしかに今やってる音楽はメタルっぽく聴こえるかもしれないけど、なんていうかこれはマネージャーに言われるがままにビジネスとして誇張してる?みたいなもんで。もうちょっと幅広く、アグレッシブでラウドなロックっていうくくりで捉えてもらえるとありがたいよ。ああ、たしかにメタル一辺倒のダサい人たちっているよね、でもオレたちはそういうのとは違って実はきみらと同じ側の人間なんだぜ?その証拠にパンクも大好き!ラモーンズ最高だよな!」みたいな。

 

ここまで露骨に言い切ってる例は見たことないけど、オブラートにくるんで似たようなことを言ってるインタビューは当時ちらほら見かけた。

 

そんな取り組みがどれほど効果を発揮したかはわからないけど、歴史的事実として、この後ほどなくしてメタルは音楽シーンの表舞台から消えていくことになる。

まあ、ちょっと保険をかけたぐらいでは抵抗しきれないレベルの地殻変動だったということか。

 

メタルの片思い

以上、1990年前後にメタルの人たちが一斉にパンクをカバーした流れを見てきたわけだけど、おもしろいのが逆パターンは皆無ってこと。

つまりパンクの人がメタルをカバーするって例は聞いたことがない。AC/DCとかブラック・サバスぐらいまでならパンクの人がカバーするパターンはあるけど、ど真ん中のヘヴィメタルはさすがに手を出す人はいない。(パンクバンドがサウンド面をまじめに強化していった結果どんどんメタル化するパターンはわりとあるんだけどね、筋肉少女帯とかスーサイダル・テンデンシーズとか)

 

リスナーとしても「メタルも好きっていうパンクの人」よりも「パンクも好きっていうメタルの人」のほうが多い印象。

なんだろうか、この片思い。

 

「パンクはヘタクソなくせに開きなおってるから嫌いだ」みたいな筋の通った意見をもったメタルの人は確かに少なからず存在するけど、「激しいロックが好きなんだよねー」っていうぐらいで特にこだわりのない人にとっては、思想的な対立は関係なく(あえて無視してでも)かっこいいと思うものを聴いていたんだと思う。自分もそういう節操ないタイプだった。

 

 

まあ、いろんな思惑や背景があったにせよ、メタルバンドによるパンクカバーっていう流行が、メタル一辺倒のキッズたちがいろんな音楽に触れるきっかけをつくってくれたことは間違いない。

うまくいってるカバーもあれば、残念な仕上がりになってるものもあったけど。

 

というわけで最後に、いろんなパンクカバーがある中で個人的に激推ししたい最高のやつを紹介します。

 

西海岸スラッシュメタルのバンドによる、デッド・ケネディーズの代表曲のカバー。

毒々しいジャケットのイメージそのまんまの歪みまくったギターがやばいでしょ。最高最高。

 

いや、それとも、やっぱりパンクの人ってやっぱこれ聴いたら怒るんだろうか。

せつない片思いなんだろうか。

サブスクリプション時代のメタル小商い(中学の卒アルとしてのApple Music)

先日Apple Musicが便利すぎて生活が一変したという話をしたんだけど、リスナーの生活だけじゃなくミュージシャンの生活にも大きな影響を与えてるんじゃないかって思うできごとがあったので、今日はそれについて。

 

参考:先日の記事 

大量のレコードとCDに囲まれて暮らしてた生活がApple Musicを2年半使って一変した話 - 森の掟

 

 

例によってフィルターバブルにたゆたうおじさん

過去記事で書いたように、Apple Musicを使いこなせば使いこなすほど自分好みの音楽ばかりがレコメンドされてくるようになり、心地よいフィルターバブルが仕上がっていく仕組みになっている。

 

メタル畑で育ったおじさんのApple Musicのタイムラインには、今日も「アイアン・メイデン 隠れた名曲」だの「スレイヤーに影響を受けたアーティスト」だのといったタイトルのプレイリストが並んでおり、そこをぐるぐる回遊してるだけで十分な感じになってしまっているわけ。

 

しかも、「さてはこいつ特定の時代に思い入れがあるな」ということがApple Musicにバレてしまっており、「ロックヒッツ 1991年」みたいな、世代をピンポイントで突いてくるプレイリストまでオススメしてきやがる始末。

でまたホイホイのせられてそのプレイリストを再生しちゃうっていうね。Apple Musicめの思う壺。

 

そんなある日、「ロックヒッツ 1991年」みたいなプレイリストをだらーっと聴いていて気づいたことがあって。

 

こういうプレイリストには、いわゆる一発屋みたいな曲もたくさん入ってる。こういう機会でもないと聴くことないだろうなっていう。たしかにあの頃に聴いてたんだけど、今の今までその存在もアーティスト名も忘れ去っていたような。

そういうアーティストからすると、過去に一発でもかすっていたおかげで30年ぶりに世界中のフィルターバブルおじさんに聴いてもらうことができたってことになる。

 

一発屋たちの収入について考える

ブームの頃にある程度人気が出たものの、ジャンルや時代を超えるようなA級にはなれなかったバンドはたくさんいる。

そのなかで、現在も細々とライブ活動を続けている人たちも結構いる(これはSNS時代およびフェス時代になって可視化された)。

 

でも、そういう細々とがんばってるバンドでは、ニューアルバムをレコーディングしたとしても、CDをプレスして流通に乗せて、っていうビジネスはもう成り立ちにくい。全世界のCD店の、限られた棚のスペースを確保できるほどのネームバリューはさすがにないよねっていう。

たとえベテランにやさしいメタルの世界であっても、勢いのある若手の新譜がひしめきあってる中に割り込むほどの人気も実力もさすがにない。どうしてもライブでの物販かファンクラブみたいなルートで通販中心にやってくしかない。

 

また、過去の音源はいったん廃盤になってしまったら、中古市場でいくら高値がついても、アーティスト本人には1円も入ってこない。ファンの聴きたい気持ちがアーティスト本人の収入に繋がるルートが存在しなかった。

 

そういう人たちにとって、Apple MusicやSpotifyのようなサブスクリプションの時代というのは大きなビジネスチャンスになってるんじゃないだろうかと思ったわけです。

 

L.A.GUNSさんのこと 

80年代末から90年代初頭にかけてちょっと人気があった、L.A.GUNSというバンドがいる。

あのガンズ・アンド・ローゼズの初期メンバーであるトレーシー・ガンズという人が中心となって結成された、いわゆるLAメタルのバンド。

 

実はわたくしこのバンドが好きで、来日公演も見に行ったほどだった。

軽薄で脳天気なLAメタルのバンドたちの中で、ちょっとダークでイルな雰囲気を醸し出していたのが、なんかかっこいいなって思っていたのだった。

 


L.A. Guns - Rip and Tear

 

以前にすげー長文の記事で書いたように、ヘヴィ・メタルやハードロックという音楽は、1991年以降、急速に勢いを失っていくんだけど、このL.A.GUNSも例に漏れず音楽性を時代にあわせてブレさせた挙句に消息がわからなくなってしまった。

ヘヴィ・メタルはなぜ滅んだか(メタルの墓) - 森の掟

 

自分もその頃にはメタルへの興味を失っていたので、90年代中盤以降はこのバンドのことを思い出すこともなく、平和な日常を送っていたのだった。

 

そしたら2000年代の中頃、内田裕也が毎年やってる「ニューイヤーロックフェスティバル」をぼんやり観ていたら、海外と同時開催ってやってる、アメリカの会場に、なんと「L.A.GUNS」の文字が!

キャパ200人ぐらいのちっちゃいライブハウスで、往年のダークでセクシーな雰囲気をどっかに置いてきてしまって変わり果てた姿のL.A.GUNSが、悪ノリとしか言いようのないライブパフォーマンスをやっていたのであった。メンバーもよくわからない感じに入れ替わっていたし。

どういう経緯があってのことかはわからないけど、その姿にものすごく悲しくなってしまった。見てられないっていうか。

 

そんなわけで、L.A.GUNSの最後の印象は、落ちぶれた姿だったんだけど、そこからさらに10年が過ぎた最近、Apple Musicを通じて再開したっていうわけ。


中学の卒アルとしてのApple Music

落ちぶれた姿の印象のまま記憶から消えていたL.A.GUNSの存在。

来日公演に行ったほどの自分ですらそうなんだから、99.99%の人にとってはさらに思い出す理由がない。

映画「リメンバー・ミー」の設定でいうと、死者の世界からも消えてしまう状態。

 

ところが、Apple Musicの「ロックヒッツ 1991年」みたいなプレイリストのおかげで、偶然L.A.GUNSに再会する人が続出しているはず。もしかしたら初めてL.A.GUNSに出会って、好きになる人だって出てくるかもしれない。

 

そう、AppleMusicの「ロックヒッツ 1991年」は、いわば中学の卒アルみたいなもんで。

「そういえばいたなこんなやつ、元気にしてるかなー」ってな具合で再会できるようになっている。

 

 

しかもご丁寧に、アーティスト名をクリックしたら当時から最新までの全アルバムが出てきたりする。

そのおかげで、中学の一時期にめっちゃつるんでたやつと久しぶりに飲みに行くみたいな感じで、L.A.GUNSの2018年のライブアルバムを聴くことができた。

 

 

どうやらイタリアのミラノでのライブの様子を収録したアルバムのようです。

 

どれぐらいの小バコがわからないけど、世界中をまわってがんばって活動を続けていることが知れたし、再生することでわずかでも本人の収入を増やすことができた。

 

L.A.GUNSみたいなバンドは世界中の40代男性の中学の卒アルに載ってるはずだから、全部足していったらわりとバカにできない額になるんじゃないだろうか。

しかもライブアルバムだから、新曲をつくってアレンジしてスタジオをおさえて、っていう工程は不要。ライブ音源をちょっと整えるぐらいでお手軽にリリースできてしまう。

 

「小商い」っていうのがキーワードとしてここ数年注目されてるみたいだけど、メタルの世界も小商いの時代になってきているのかもしれない。

 

少なくともL.A.GUNSさんにとっては、ちょうどいいビジネスモデルがなくて落ちぶれざるを得なかった2000年代に比べると、だいぶいい時代になっているのかもしれない。 

 

 

しかしいい年して中学の卒アルを見返すなんてよっぽど心が弱ってるのかって感じだし、わたくしのように定期的に卒アルを見返してああでもないこうでもないと論をこねくりまわすのはちょっとした変態だと思うので、安定した収入源になるほどの話ではないかも。

L.A.GUNSさんもそんなにうまく商売できてないかもしれない。

ちょっと本人に聞いてみたいところである。

 

 

 

3歳児に学ぶ、自分の機嫌を自分で直す方法

 

すごく話題になったこのツイート。

こちとら40歳すぎたいい大人なのに、これ実践するのって難しいなって日々痛感してる。

 

ところが、我が家には若干3歳にして自分の機嫌を自分で持ち直すことができる達人がいます。

今日はその達人の技を紹介しようと思う。

 

達人のプロフィール

現在3歳4ヶ月のうちの長男。

最近おむつが外れてきた、箸はまだ使えない、0歳の弟にやきもちを焼く、長男。

同年齢の他の子ができていることができなかったりその逆もあったりで、まあ多少の発達の凸凹はあるよねっていう程度の、ごくふつうの子供。

そして好きなものと苦手なもの見ればわかる通り、まあ典型的な男児オブ男児

 

好きなもの

特殊車両、緊急車両。ダンス。楽器。棒をふりまわすこと。布団にダイブすること。レゴで車をつくること。ミニオンズ。カーズ。ディズニー全般。ゴーストバスターズマイケル・ジャクソン。餃子。焼きそば。のり。イクラ。エビ。

 

苦手なもの

野菜。クリーム。人からレクチャーされること。15分以上じっとしていること。4以上の数の概念。段差から飛び降りること。着替え。三輪車を漕ぐこと。

 

達人が自分の機嫌を直す方法

一見ごくふつうのこの3歳児、自分で機嫌を直すことに関してだけは大人顔負けなのである。

 

といっても、何をされても一切感情が揺れ動かないとか、そういう偉いお坊さんみたいな話ではない。

そりゃ3歳児なので、むしろ感情は揺れ動きまくる。テンション上がりすぎて親がひくぐらいの奇声を発することもあるし、盛り上がりすぎてものを壊すといった、大人にはちょっと理解しがたい男児メンタリティを発揮することもある。

 

そして泣くときは泣くし、怒るときは怒る。

そこまでは特にすごいことはなくて、問題はそこからの機嫌の立て直しっぷり。

 

 

たとえば何か気に食わないことや痛いことがあったら、ぼろぼろ涙をこぼして泣く。

数分ぐらい手がつけられなくなることもある。

しかししばらくすると、おもむろに「おめめふいて」と頼んでくる。

親はタオルやハンカチで涙をふいてあげる。

 

実はこれこそが達人にとっての機嫌直しの儀式になっていて、涙をふいたらもう泣き止んで気持ちが切り替えられている。

叱ったりして親が泣かせた場合であっても、その泣かせた張本人がおめめをふいてもOK。ノーサイド
その儀式が済むと、「さっきないちゃったんだよねー」などと自己を客観視して振り返る余裕すら生じてる。

 

となりで一部始終に接していると、切り替えの速さに毎回驚かされる。

この分野に関しては、親だけど弟子入りしたいと思う。達人。

 

今朝の場合

「おめめふいて」以外にも、達人には機嫌を直すための儀式がいくつか存在するんだけど、今朝のはちょっとすごいパターンだった。

 

この4月から新しい保育園に通い始めた達人。

大人でさえ転職や引っ越しは大きなストレス要因になると言われているのに、いわんや3歳児においてをや。

しかも以前の園は保育士さん1人あたりの子供の人数が少なく、またベテランの保育士さんが多く、わりとのびのび過ごしてきたんだけど、4月からの保育園は保育士さんの数が少なくしかもみんな若い。

そんな環境でさすがの達人も少し気持ちが不安定なことが多い。

 

今朝は保育園に行きたくないと、はっきりと拒否してきた。

 

それでもなんとかなだめすかして、保育園の建物の中には入ることができた。

しかし、3歳児クラスの部屋には断固として入ろうとしない。部屋の前の廊下にある椅子に腰掛けて、「きょうはここにいる」と。

困ったなと思ったけど、いいからさっさと行くぞみたいに頭ごなしにやっても逆効果でますます頑なになるだけなのはわかっていた。


なので一旦自分も対面に座って、さてどうしようかなみたいに目線を合わせてみた。

 

カリオストロの城」の儀式

向かい合って椅子に座ってると、達人は「じゃんけんしよう」と言い出した。
何かわからなかったけどつきあってみた。
すると自分が負けた。そしたら達人いわく「タイヤかえるんだよ」って。

 

あ、これあれだ。

 

映画「ルパン三世 カリオストロの城」の最初の方で、乗ってる車のタイヤがパンクしてルパンと次元がじゃんけんしてどっちが修理するか決めるっていうシーン。

数日前に見たことが記憶に残っていて、それをやろうと言ってるらしい。

f:id:guatarro:20180418001642j:image

 

そのことに気づいたので、長男と一緒に座席の下にタイヤがあるていで、ジャッキアップのふり、タイヤを外すふり、新しいタイヤをはめるふり、ネジを締めるふりをやり切った。
タイヤ交換完了、よかったねなんて言い合ってると、なんか落ち着いた顔になってる。

 

今この瞬間を逃すまいと思い、流れで教室まで連れて行くと、すんなり部屋に入ってみんなに合流。さっきまで断固拒否してたのが嘘みたい。

よくわからないけど、一緒にタイヤ交換の儀式をする過程で気持ちの整理がついたらしい。

 

というわけで、達人が自分で機嫌を直す技は今日も冴え渡っていた。

 

急がば回れ

朝の忙しい時間にタイヤ交換につきあうのはリスクがあった。3歳児の遊びマインドに火がついてしまって、そこから延々つきあわされるおそれがあったし、つきあったところで機嫌が直るという保証もない。

 

しかし、これまでの経験上、これは達人なりに手打ちができる落としどころを探ってきてるなという感触があった。

単なる遊びではなく、機嫌を直すための儀式だということが理解できたので、つきあってあげることにしたわけ。

 

結果、あっさりと機嫌は直った。

カリオストロの城のタイヤ交換ごっこに誘われたとき、「うんうんまた今度ね」とか「いいから早く来なさい」って言ってしまわなくてよかった。

 

焦って達人の儀式を見逃してしまうと、逆に機嫌を直すチャンスを棒に振ってしまう。

今日はそこに気づけてよかったなと自分で誇らしいのと、さすが達人だなー!という尊敬の気持ちの両方を味わえた今朝だった。

 

「柳生一族の陰謀」を観た

今日はなんとなく2時間ぐらい空いたので、Amazonビデオで「柳生一族の陰謀」という映画を観た。

1974年に大ヒットした大作時代劇で、監督は「仁義なき戦い」シリーズの深作欣二

おもしろいらしいという噂は耳に入っていたけど、今までなんとなく観る機会がなかった。

 

柳生一族の陰謀 [DVD]

柳生一族の陰謀 [DVD]

 

 

歴史好きの王道

日本で「歴史好き」を自認する人は多いけど、実はその8割ぐらいは戦国時代と幕末だけが好きな人って印象。自分ももちろん戦国と幕末から入ったクチだし、大河ドラマだって戦国と幕末のどっちかが圧倒的に多いじゃないですか。

あと残りの2割のほとんどは古代史好きでなぜか団塊世代に多い。

 

まあ戦国も幕末も古代も、いずれも要するに世の中が乱れていろんなことが起こった時代がやっぱりおもしろいよねってこと。

当事者として乱れた時代に生きるのは勘弁してほしいけど、後世から他人事として眺めるぶんには、乱れているほどいい。平和な時代には能力を発揮できてなかったような強烈なキャラクターがいっぱい出てきて、みんなそれぞれの立場で激しく生きてたし。

(ちょっと脱線するけど中国の歴史好きはやっぱり三国志が好きみたい。むかし同じ会社だった四川省出身の張さんは、退職のあいさつ代わりに、社員みんなを三国志の武将に例えてくれた。ハシノは蜀の参謀・法正なんだって)

 

なので、江戸時代が好きっていう人はアカデミズムの世界ならまだしも素人の歴史好きにはあまり見当たらない。浮世絵とか落語や歌舞伎といった庶民の芸能としての江戸が好きっていう人は多いけど、いわゆる歴史ってやつとは別ジャンルと思ってる。

大河ドラマでも、どっぷり江戸時代だけを描いた作品ってあったっけ?忠臣蔵ぐらい?

 

なので「柳生一族の陰謀」は、徳川三代将軍である家光の話ということで、「なんだ江戸時代かー遠山の金さんみたいなチャンバラのやつかー」ってな感じで敬遠してたところもある。

同じ千葉真一なら「戦国自衛隊」観るわーって。

 

虚構のさじ加減による適度な戦国っぽさ 

そんな印象があったので、あまり期待せずに「柳生一族の陰謀」を観始めたんだけど、結論から申し上げると、これがとてもおもしろかった。


柳生一族の陰謀(予告編) 

三代将軍家光の頃なので、どっぷり江戸時代といえばそうなんだけど、わりと史実を無視した設定がいろいろ入ってる。実在の人物にしても死んだ時期とか死因が史実と違ってたりして。

そのへんが、史実を崩さずその隙間でドラマをつくっていく大河ドラマとはまったく違うバランスになってるんだけど、多少のウソをまぜて戦国っぽいノリに寄せようとしてる感じがした。天下統一されたとはいえ、ちょっとしたきっかけでまた戦国になるよっていうヒリヒリした空気。

 

また、将軍家の内輪もめに乗じて公家が外様大名を利用して権力を奪い返し、天皇中心の国をつくろうと暗躍するという設定もあったりして、その設定のおかげで幕末っぽさまでかもしだされてる。

つまりみんな大好きな乱れた時代のやつとして観れる作品です。

 

それでいて、江戸時代のサムライものの良さもあるんだよな。

自分にとってサムライものの良さっていうと、サラリーマンものにも通じる、組織の論理に振り回される個人の悲哀。

そして刀は持ち歩いてるけど、滅多なことでは抜かないし抜けないっていう緊張感。戦国時代とかと違って、基本的に秩序が保たれた世界なんだけど、いざというときは抜くよっていう。抜いたからにはどちらか死ぬよっていう。

ここもう少しくわしく説明すると、戦国時代の人ってさ、基本的に血の気が多すぎる首刈り族だし正直いって感情移入はリアルにはできないわけ。だけど、江戸時代のサムライは基本的に秩序のなかで粛々と仕事をしてる人たちなので、はるかに感情移入できる。そんな、身近な存在なのに、何かのきっかけでいきなり首狩り族のノリが出ちゃうから、観ててショックが大きい。

織田信長が何千人殺す話よりも、ささいなことでブチ切れた殿様に手打ちにされる一人のサムライの話のほうが、断然「うわー」ってなる。

http://blog-imgs-62.fc2.com/f/u/l/fullusedbook/20130522172749c60.jpg

イメージとしては平田弘史せんせいの劇画など

 

どんなお話かというと兄弟げんかです

柳生一族の陰謀」のストーリーをひとことで言うと、将軍家の兄弟げんか。

実際に三代将軍が家光に決まるまでにゴタゴタしたらしいんだけど、そこにあることないこと盛り込んでお話ができてる。

 

柳生一族っていうのは将軍家の剣術指南役の柳生宗矩とか柳生十兵衛とかのこと。

この一族が将軍家の兄弟げんかの背後で暗躍して、さらに京都の公家とか、まだまだ一発逆転を狙う浪人たちとかも絡んでくる。

 

当時すでに下火になっていた時代劇を復興させるために東映が威信をかけてつくったというだけあって、いろいろ豪華。

往年のチャンバラに加え、柳生十兵衛の役が千葉真一で、真田広之とか志穂美悦子もいるしで、アクション要素は強め。

キャストもよい。深作欣二監督だからか、松方弘樹とか金子信雄成田三樹夫といった仁義なき戦いシリーズの人とか、圧倒的に重みがある萬屋錦之介とか。

出番は少ないながらも、ちゃんと強烈な印象を残していく丹波哲郎原田芳雄。この二人ってそういうの多くないか。

 

特に、成田三樹夫演じる烏丸少将っていう公家のキャラがすごかった。

時代劇における公家ってふつうナヨナヨしててヘタレって相場が決まってるけど、烏丸少将はそこらの剣豪よりも強いっていうおもしろい設定。

検索したらやっぱみんな大好きなキャラみたいで、最近だとアニメ「ポプテピピック」 のたまたま見逃してた回に烏丸少将ネタが出てきてた。

togetter.com

 

多彩なキャラが入り乱れ、いろいろあって柳生一族の陰謀は成就するっていうストーリーなんだけど、最後の最後で虚実のバランスが大きく乱れるぶっ飛んだラストに。

たしかに柳生宗矩は主人公だけど徹底的に目的のためには手段を選ばないので、この人の望みどおりになったとしてもハッピーエンドとは言い難いよなっていうのはある。なのでああいうラストにすることで観てる人の気持を落ち着かせることにしたのかなと思った。

 

実際はどんな兄弟だったのか

三代将軍の座をめぐって争った徳川家光と徳川忠長。

映画では、父である先代の将軍秀忠は忠長を跡継ぎにと考えており家光は疎まれていたという設定だった。家老たちも忠長派が多く、また忠長自身にも人望があっていい人って感じのキャラ設定。家光を担ぐ柳生宗矩やその一派の陰謀に巻き込まれてしまう受け身の存在になっている。

 

これ実際はどうだったのか調べてみたところ、忠長って人にはかなり残虐で狂ったエピソードがあるみたい。

江戸城で狩りをして父秀忠を激怒させたり、家臣にイラついて手打ちにしたり、家康ゆかりの浅間神社で神聖な扱いだった猿を大量に狩ったり。いろいろ重なって最終的には領地を没収され、自害したという。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/18/Tokugawa_Tadanaga.jpg/200px-Tokugawa_Tadanaga.jpg

あれ、これだと「柳生一族の陰謀」でのキャラと全然違う。

映画と同じなのは、当初は父秀忠は見た目のいい忠長をかわいがって次期将軍にしたがっていたというところまで。

 

 

でも、忠長が暗愚だったという話って、あくまでそういうエピソードが残っているというだけ。本当はどっちかは確かめようがない。

むしろ、忠長に暗愚なイメージを植えつけるためにそんなエピソードをわざわざ残したって説もありえる。

 

自分が徳川幕府の人間だったら、父秀忠がかわいがった忠長ではなく家光が将軍になったとき、それをなんとかして正当化しようとするだろうなと。どうやって正当化するかというと、兄弟のうち弟忠長は明らかに将軍の器じゃなかったのでこれはもう兄家光しかないよなって空気をつくる。後世の人間に、忠長が暗愚だっていう印象をもってもらうためにいろいろ工作すると思う。

 

だって途中までは父が贔屓したくなるような優秀な子だったわけで、それがいきなり頭おかしい暗君になるだろうか。

やっぱり忠長にそういう印象をつけるような家光派による世論操作があって、そのせいで忠長の評判は300年後まで落ちたままなんじゃないだろうか。

そして将軍のまわりでそういう闇の仕事って、ちょうど剣術指南でありながら諸大名へも影響力をもっていたという柳生宗矩あたりに適任だったのかもしれない。

 

そうなるとこの印象操作こそがリアル「柳生一族の陰謀」で、その陰謀は大成功してるんじゃないだろうか。

「LL教室の試験に出ない90年代シリーズ 1991年」をふりかえって

さる4月1日、LL教室のトークイベントがいつものように荻窪ベルベットサンで開催された。

今年に入ってから、90年代J-POPを1年ごとに取り上げるイベントをやっており、今回は2回目。

前回は1998年編として、ゲストにBEAT CRUSADERS?THE STARBEMSの日高央(ヒダカトオル)さんをお招きし、CDバブルの時代とインディーズシーンの勃興について、危険球が飛び交う半分以上がオフレコな感じで語って大盛り上がり。

 

さて今回はまた趣向を変えて、ゲストに精神科医にしてミュージシャンの星野概念くんをお迎えし、1991年を掘り下げることになった。

星野概念といえばつい先日、あのいとうせいこうさんとの共著「ラブという薬」を出したばかりで勢いに乗ってるタイミング。

ラブという薬

ラブという薬

 

 

星野概念のこと

星野くんとは昔お互いバンドをやっていた頃からの繋がりで、何度か対バンしたことも。

I'M SENSITIVE

I'M SENSITIVE

 

このCDが出たのももう20年前か!

 

その後、バンドを離れてお互いにマルチな(=いろんなことに首を突っ込む)人生を送るようになったんだけど、星野くんの動向は常に気にしてた。
去年には何となく流れでサシで飲むようになり(わたくしお酒が弱いので誰かとサシで飲むのは人生で数度)、流れで彼がやってる星野概念実験室というグループのライブにカホンで参加するなどした。

そして今年、LL教室で90年代J-POPを掘り下げようということになり、イベントのゲストに誰を呼ぼうかという会議の際に何気なく星野くんの名前を出し、自分が知ってる彼の人となりを説明したところ、ぜひぜひということに。

 

テーマはどうするか

星野くんに来てもらうならどういうテーマでいくか。

以前に飲んだときにチャゲアスのことがすごく気になっているという話をしていたので、じゃあASKAオリコンチャート上位のヒット曲を連発した1991年だろうと。

1991年といえばSMAPがデビューした年ということで、ジャニーズ研究家の矢野利裕くんとしても語り甲斐があるであろうと。

森野さんや自分は当時高1~中3という多感な時期であり、時代の空気を絡めた話ができそうだし。

ちなみにわたくしハシノがどんな1991年を過ごしたかについてはこの記事を参照のこと。

guatarro.hatenablog.com

 

そんな感じでテーマは決まり、打ち合わせや顔合わせと称した飲み会などを重ねつつ当日へ。

 

イベント前半戦

いよいよイベント当日。
まずは1991年とはどんな時代であったか、いつものようにパワポでつくった資料を投影しながら振り返る。

 

 

前回1998年をテーマにした際には、いうても20年前だし客席と一緒に懐かしむモードで進んでいったんだけど、今回はちょっと様子が違った。わりとベタなあるあるネタのつもりでしゃべったことが、なんか反応薄い。

あとで気づいたけど、1991年ってもうほとんど30年前なわけで、アラサーの人でさえ物心ついてるか微妙なレベルの過去なんだよなー。そりゃ反応薄くもなるわな。

 

たとえば、この年のオリコンアルバムチャート1位はユーミンの「天国のドア」なんだけど、ユーミンが毎年冬にアルバムを出して、アルバムのコンセプトを発表し、それが恋愛の神様のお告げのように世間に受け取られていたことなど、そういう時代の空気みたいなものはなかなか後世に語り継がれづらいし追体験が困難。
またたとえば、アラサー以下の人にとってドリカムといえば男女2人という形態で思い浮かべると思うんだけど、40代以上にとってのドリカムはいまだに男2人女1人の形態。なのでたまにおじさんが「おっ、ドリカム状態だね」などと言うときは男2人女1人のこと。当時はこの編成が珍しかったのですよ。

 

チャートを眺めてみてあらためて思うのは、時代の転換期だなということ。

1990年にバンドブームが最盛期を迎え、同時に終わりかけた。1991年にはすでにチャートの100位以内にはほとんどロックバンドがいない。
90年代前半のチャートを席巻するビーイング系は、B'z以外まだ本気を出していない。T-BOLANWANDSZARDはこの年にデビューしている。
つまり、バンドブームとビーイング系の境目。

 

また、この年にデビューしたアーティストがなかなか興味深い。
電気グルーヴフィッシュマンズスピッツBLANKEY JET CITYLUNA SEA、L-R、スチャダラパーなど。
80年代後半からバンドブームまでの若者向け音楽といえばだいたいパンクかメタルだったわけだけど、ここにきてテクノやレゲエ、ヒップホップ、ヴィジュアル系まで音楽性が一気に広がった感じ。
その後の90年代の日本のロックの基盤ができた時代だと言えるかも。

 
 
 

 

一方でチャートの最上位を見てみると、「ラブ・ストーリーは突然に」「SAY YES」「しゃぼん玉」のようにドラマの主題歌から売れた曲が多い。それと同時に、ASKA槇原敬之長渕剛、ドリカムと、その後薬物がらみで問題になった人がベスト10のうち半分を締めているのも何かを示唆しているかもしれない。10位以下にしてもJ-WALKとかいろいろいる。

むりやりこじつけるなら、バブルの狂騒のなかで大衆に響く音楽を100万枚単位で届けるというハイパーで強烈な体験をした人が、祭りがはじけた後、当時のハイパーさを人工的に得ようとしたのかもしれないなとか。

 

イベント後半戦

休憩を挟んで、いよいよ星野くんによるチャゲアス論に。
ジェームス・ブラウン矢沢永吉、フレディー・マーキュリーなど、とにかく昔からジャンルに関係なく強烈な個性のアーティストに魅力を感じるという星野くん。
そうなるとASKA飛鳥涼)という人も強烈さという意味ではかなりの人材。

まずは1991年にリリースされたチャゲアスの代表曲「SAY YES」の歌詞を分析。

このとき壇上には精神科医と文芸批評家と構成作家という、言葉のプロが揃っていたわけで、それぞれの観点から容赦なくメスを入れていく。

 

余計な物など無いよね
すべてが君と僕との愛の構えさ
少しくらいの嘘やワガママも
まるで僕をためすような
恋人のフレイズになる
このままふたりで 夢をそろえて
何げなく暮らさないか
愛には愛で感じ合おうよ
硝子ケースに並ばないように
何度も言うよ 残さず言うよ
君があふれてる
言葉は心を越えない
とても伝えたがるけど
心に勝てない 君に逢いたくて
逢えなくて寂しい夜
星の屋根に守られて
恋人の切なさ知った
このままふたりで 朝を迎えて
いつまでも暮らさないか
愛には愛で感じ合おうよ
恋の手触り消えないように
何度も言うよ 君は確かに
僕を愛してる
迷わずに SAY YES 迷わずに
愛には愛で感じ合おうよ
恋の手触り消えないように
何度も言うよ 君は確かに
僕を愛してる

 

まず間違いなく言えることは、基本的にASKAは自分にしか興味がない人で、自己完結してる。恋愛の歌であっても、相手に語りかけていても、相手がどう考えているかは実はあまり関係ない。
「余計なものなどないよね」の「ね」にはっきりあらわれている。

「君は確かに僕を愛してる」という断言に、根拠はあるのか。とかね。

何よりも、「SAY YES」って命令形だから。YESって言えってことだから。

 

星野くんによると、ライブで「SAY YES」を歌うとき、コールアンドレスポンスになるんだけど、ヒップホップでよくあるように「SAY HO-」ってコールされたらレスポンスは「HO-」だけであって、「SAY YES」って言われたレスは「YES」だけのはず。しかしチャゲアスの場合「SAY YES」ってASKAにコールされたら観客も「SAY YES」ってこたえるらしい。つまりここでの「SAY」は、観客対する呼びかけ(コール)ではなく歌の世界の中でASKAがしつこく相手に語りかける洗脳ワードのパーツであり、観客もコールに対するレスポンスというかたちではなくASKAと同じ目線で洗脳のテクニックを練習するかのごとく「SAY YES」とこたえるのだという。

…この説明、伝わってるかどうか全然自信がないけどいかがだろうか。

 

とにかく、ここまでは言葉の専門家が寄ってたかってASKAの言葉からASKAという人間を解き明かしたパート。

続いてそこからは、ASKAがいかに強烈か、チャゲがいかに女房役として支えているか、フィジカルな存在としてのASKAをライブ動画をまじえてじっくりと味わっていく。

 

いくつかの動画を観た中で、ベルベットサン全体が揺れるほどの笑いとどよめきが起きたこれをご紹介。


BankBand With ASKA - 名もなき詩~YAH YAH YAH

 

ミスチルの「名もなき詩」を完全に自分のものにして歌い上げ、そこから「YAH YAH YAH」へと続く怒涛の展開。

「YAH YAH YAH」の思わず拳をあげたくなるあのカタルシスがライブでさらに増幅されてるし、バケモノかってレベルで歌うまいASKAが、薬物に頼らずにあそこまでブチ上がってるさまは、もう笑いが出るし元気になる。

イベントから数日たった今日までの間にまた何回か観てしまった。

 

まとめ

ASKAの動画でひとしきり盛り上がったあと、そろそろ締めのパートへ。

 

結論めいたことを言うなら、1991年はやはりバブル的なものや昭和的なものの終わりの時期であり、平成的な不景気のはじまりでありって感じ。

キメキメの衣装がダサいものになり、Tシャツとジーパンで客前に出ることがよしとされるようになった。

華やかな歌番組ではなく、ときに内輪ノリにもなるようなバラエティ番組の時代。

アイドルという存在がやりづらくなり、アーティストというパッケージで売り出さざるを得なくなったり(ZARDLINDBERGなど)、ひたすらポジティブで、だけど具体的なことは言わない歌詞のJ-POPがいよいよ時代の真ん中に入ってきたりした。

 

そんな転換期を象徴するような存在としてピックアップした1991年のこの曲を、最後に一緒に味わいましょう。


織田裕二 歌えなかったラヴ・ソング PV

何か大事なことを言ってるような雰囲気だけはするけどっていう、尾崎豊っぽさだけはある歌詞。

 

何曲か歌詞を分析してみたけど、徹底的に抽象的。

誰にでも当てはまるように、聴き手が我が事と感じてくれるような余地をわざと残しているかのよう。

「がんばろう」と歌うとき、「何のために(WHY)」「何を(WHAT)」がんばるのかは一切言わない。「どのように(HOW)」がんばるかをとにかく言い続けるっていう。

 

もしかしたらこれ、昭和40年代ぐらいまであった政治の季節の反動なのかも。

「世の中を良くするために」など、あの時代にはWHYが満ちていた。WHATもあった。

だけど時代は移り変わり、重苦しくてダサい昭和を脱ぎ捨てて、軽やかな平成を生きることになったとき、大きな物語みたいなものは邪魔になる。

 

それがJ-POPの歌詞の背景にある空気なのかもしれない。っていうような話を最後にして、イベント終了。

今回も硬軟織り交ぜてなかなか深いところまで話せたのではないでしょうか!

 

次回は7月1日。また豪華ゲストをお招きしてやりますので、よろしくお願いします!