サブスクリプション時代のメタル小商い(中学の卒アルとしてのApple Music)

先日Apple Musicが便利すぎて生活が一変したという話をしたんだけど、リスナーの生活だけじゃなくミュージシャンの生活にも大きな影響を与えてるんじゃないかって思うできごとがあったので、今日はそれについて。

 

参考:先日の記事 

大量のレコードとCDに囲まれて暮らしてた生活がApple Musicを2年半使って一変した話 - 森の掟

 

 

例によってフィルターバブルにたゆたうおじさん

過去記事で書いたように、Apple Musicを使いこなせば使いこなすほど自分好みの音楽ばかりがレコメンドされてくるようになり、心地よいフィルターバブルが仕上がっていく仕組みになっている。

 

メタル畑で育ったおじさんのApple Musicのタイムラインには、今日も「アイアン・メイデン 隠れた名曲」だの「スレイヤーに影響を受けたアーティスト」だのといったタイトルのプレイリストが並んでおり、そこをぐるぐる回遊してるだけで十分な感じになってしまっているわけ。

 

しかも、「さてはこいつ特定の時代に思い入れがあるな」ということがApple Musicにバレてしまっており、「ロックヒッツ 1991年」みたいな、世代をピンポイントで突いてくるプレイリストまでオススメしてきやがる始末。

でまたホイホイのせられてそのプレイリストを再生しちゃうっていうね。Apple Musicめの思う壺。

 

そんなある日、「ロックヒッツ 1991年」みたいなプレイリストをだらーっと聴いていて気づいたことがあって。

 

こういうプレイリストには、いわゆる一発屋みたいな曲もたくさん入ってる。こういう機会でもないと聴くことないだろうなっていう。たしかにあの頃に聴いてたんだけど、今の今までその存在もアーティスト名も忘れ去っていたような。

そういうアーティストからすると、過去に一発でもかすっていたおかげで30年ぶりに世界中のフィルターバブルおじさんに聴いてもらうことができたってことになる。

 

一発屋たちの収入について考える

ブームの頃にある程度人気が出たものの、ジャンルや時代を超えるようなA級にはなれなかったバンドはたくさんいる。

そのなかで、現在も細々とライブ活動を続けている人たちも結構いる(これはSNS時代およびフェス時代になって可視化された)。

 

でも、そういう細々とがんばってるバンドでは、ニューアルバムをレコーディングしたとしても、CDをプレスして流通に乗せて、っていうビジネスはもう成り立ちにくい。全世界のCD店の、限られた棚のスペースを確保できるほどのネームバリューはさすがにないよねっていう。

たとえベテランにやさしいメタルの世界であっても、勢いのある若手の新譜がひしめきあってる中に割り込むほどの人気も実力もさすがにない。どうしてもライブでの物販かファンクラブみたいなルートで通販中心にやってくしかない。

 

また、過去の音源はいったん廃盤になってしまったら、中古市場でいくら高値がついても、アーティスト本人には1円も入ってこない。ファンの聴きたい気持ちがアーティスト本人の収入に繋がるルートが存在しなかった。

 

そういう人たちにとって、Apple MusicやSpotifyのようなサブスクリプションの時代というのは大きなビジネスチャンスになってるんじゃないだろうかと思ったわけです。

 

L.A.GUNSさんのこと 

80年代末から90年代初頭にかけてちょっと人気があった、L.A.GUNSというバンドがいる。

あのガンズ・アンド・ローゼズの初期メンバーであるトレーシー・ガンズという人が中心となって結成された、いわゆるLAメタルのバンド。

 

実はわたくしこのバンドが好きで、来日公演も見に行ったほどだった。

軽薄で脳天気なLAメタルのバンドたちの中で、ちょっとダークでイルな雰囲気を醸し出していたのが、なんかかっこいいなって思っていたのだった。

 


L.A. Guns - Rip and Tear

 

以前にすげー長文の記事で書いたように、ヘヴィ・メタルやハードロックという音楽は、1991年以降、急速に勢いを失っていくんだけど、このL.A.GUNSも例に漏れず音楽性を時代にあわせてブレさせた挙句に消息がわからなくなってしまった。

ヘヴィ・メタルはなぜ滅んだか(メタルの墓) - 森の掟

 

自分もその頃にはメタルへの興味を失っていたので、90年代中盤以降はこのバンドのことを思い出すこともなく、平和な日常を送っていたのだった。

 

そしたら2000年代の中頃、内田裕也が毎年やってる「ニューイヤーロックフェスティバル」をぼんやり観ていたら、海外と同時開催ってやってる、アメリカの会場に、なんと「L.A.GUNS」の文字が!

キャパ200人ぐらいのちっちゃいライブハウスで、往年のダークでセクシーな雰囲気をどっかに置いてきてしまって変わり果てた姿のL.A.GUNSが、悪ノリとしか言いようのないライブパフォーマンスをやっていたのであった。メンバーもよくわからない感じに入れ替わっていたし。

どういう経緯があってのことかはわからないけど、その姿にものすごく悲しくなってしまった。見てられないっていうか。

 

そんなわけで、L.A.GUNSの最後の印象は、落ちぶれた姿だったんだけど、そこからさらに10年が過ぎた最近、Apple Musicを通じて再開したっていうわけ。


中学の卒アルとしてのApple Music

落ちぶれた姿の印象のまま記憶から消えていたL.A.GUNSの存在。

来日公演に行ったほどの自分ですらそうなんだから、99.99%の人にとってはさらに思い出す理由がない。

映画「リメンバー・ミー」の設定でいうと、死者の世界からも消えてしまう状態。

 

ところが、Apple Musicの「ロックヒッツ 1991年」みたいなプレイリストのおかげで、偶然L.A.GUNSに再会する人が続出しているはず。もしかしたら初めてL.A.GUNSに出会って、好きになる人だって出てくるかもしれない。

 

そう、AppleMusicの「ロックヒッツ 1991年」は、いわば中学の卒アルみたいなもんで。

「そういえばいたなこんなやつ、元気にしてるかなー」ってな具合で再会できるようになっている。

 

 

しかもご丁寧に、アーティスト名をクリックしたら当時から最新までの全アルバムが出てきたりする。

そのおかげで、中学の一時期にめっちゃつるんでたやつと久しぶりに飲みに行くみたいな感じで、L.A.GUNSの2018年のライブアルバムを聴くことができた。

 

 

どうやらイタリアのミラノでのライブの様子を収録したアルバムのようです。

 

どれぐらいの小バコがわからないけど、世界中をまわってがんばって活動を続けていることが知れたし、再生することでわずかでも本人の収入を増やすことができた。

 

L.A.GUNSみたいなバンドは世界中の40代男性の中学の卒アルに載ってるはずだから、全部足していったらわりとバカにできない額になるんじゃないだろうか。

しかもライブアルバムだから、新曲をつくってアレンジしてスタジオをおさえて、っていう工程は不要。ライブ音源をちょっと整えるぐらいでお手軽にリリースできてしまう。

 

「小商い」っていうのがキーワードとしてここ数年注目されてるみたいだけど、メタルの世界も小商いの時代になってきているのかもしれない。

 

少なくともL.A.GUNSさんにとっては、ちょうどいいビジネスモデルがなくて落ちぶれざるを得なかった2000年代に比べると、だいぶいい時代になっているのかもしれない。 

 

 

しかしいい年して中学の卒アルを見返すなんてよっぽど心が弱ってるのかって感じだし、わたくしのように定期的に卒アルを見返してああでもないこうでもないと論をこねくりまわすのはちょっとした変態だと思うので、安定した収入源になるほどの話ではないかも。

L.A.GUNSさんもそんなにうまく商売できてないかもしれない。

ちょっと本人に聞いてみたいところである。

 

 

 

3歳児に学ぶ、自分の機嫌を自分で直す方法

 

すごく話題になったこのツイート。

こちとら40歳すぎたいい大人なのに、これ実践するのって難しいなって日々痛感してる。

 

ところが、我が家には若干3歳にして自分の機嫌を自分で持ち直すことができる達人がいます。

今日はその達人の技を紹介しようと思う。

 

達人のプロフィール

現在3歳4ヶ月のうちの長男。

最近おむつが外れてきた、箸はまだ使えない、0歳の弟にやきもちを焼く、長男。

同年齢の他の子ができていることができなかったりその逆もあったりで、まあ多少の発達の凸凹はあるよねっていう程度の、ごくふつうの子供。

そして好きなものと苦手なもの見ればわかる通り、まあ典型的な男児オブ男児

 

好きなもの

特殊車両、緊急車両。ダンス。楽器。棒をふりまわすこと。布団にダイブすること。レゴで車をつくること。ミニオンズ。カーズ。ディズニー全般。ゴーストバスターズマイケル・ジャクソン。餃子。焼きそば。のり。イクラ。エビ。

 

苦手なもの

野菜。クリーム。人からレクチャーされること。15分以上じっとしていること。4以上の数の概念。段差から飛び降りること。着替え。三輪車を漕ぐこと。

 

達人が自分の機嫌を直す方法

一見ごくふつうのこの3歳児、自分で機嫌を直すことに関してだけは大人顔負けなのである。

 

といっても、何をされても一切感情が揺れ動かないとか、そういう偉いお坊さんみたいな話ではない。

そりゃ3歳児なので、むしろ感情は揺れ動きまくる。テンション上がりすぎて親がひくぐらいの奇声を発することもあるし、盛り上がりすぎてものを壊すといった、大人にはちょっと理解しがたい男児メンタリティを発揮することもある。

 

そして泣くときは泣くし、怒るときは怒る。

そこまでは特にすごいことはなくて、問題はそこからの機嫌の立て直しっぷり。

 

 

たとえば何か気に食わないことや痛いことがあったら、ぼろぼろ涙をこぼして泣く。

数分ぐらい手がつけられなくなることもある。

しかししばらくすると、おもむろに「おめめふいて」と頼んでくる。

親はタオルやハンカチで涙をふいてあげる。

 

実はこれこそが達人にとっての機嫌直しの儀式になっていて、涙をふいたらもう泣き止んで気持ちが切り替えられている。

叱ったりして親が泣かせた場合であっても、その泣かせた張本人がおめめをふいてもOK。ノーサイド
その儀式が済むと、「さっきないちゃったんだよねー」などと自己を客観視して振り返る余裕すら生じてる。

 

となりで一部始終に接していると、切り替えの速さに毎回驚かされる。

この分野に関しては、親だけど弟子入りしたいと思う。達人。

 

今朝の場合

「おめめふいて」以外にも、達人には機嫌を直すための儀式がいくつか存在するんだけど、今朝のはちょっとすごいパターンだった。

 

この4月から新しい保育園に通い始めた達人。

大人でさえ転職や引っ越しは大きなストレス要因になると言われているのに、いわんや3歳児においてをや。

しかも以前の園は保育士さん1人あたりの子供の人数が少なく、またベテランの保育士さんが多く、わりとのびのび過ごしてきたんだけど、4月からの保育園は保育士さんの数が少なくしかもみんな若い。

そんな環境でさすがの達人も少し気持ちが不安定なことが多い。

 

今朝は保育園に行きたくないと、はっきりと拒否してきた。

 

それでもなんとかなだめすかして、保育園の建物の中には入ることができた。

しかし、3歳児クラスの部屋には断固として入ろうとしない。部屋の前の廊下にある椅子に腰掛けて、「きょうはここにいる」と。

困ったなと思ったけど、いいからさっさと行くぞみたいに頭ごなしにやっても逆効果でますます頑なになるだけなのはわかっていた。


なので一旦自分も対面に座って、さてどうしようかなみたいに目線を合わせてみた。

 

カリオストロの城」の儀式

向かい合って椅子に座ってると、達人は「じゃんけんしよう」と言い出した。
何かわからなかったけどつきあってみた。
すると自分が負けた。そしたら達人いわく「タイヤかえるんだよ」って。

 

あ、これあれだ。

 

映画「ルパン三世 カリオストロの城」の最初の方で、乗ってる車のタイヤがパンクしてルパンと次元がじゃんけんしてどっちが修理するか決めるっていうシーン。

数日前に見たことが記憶に残っていて、それをやろうと言ってるらしい。

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そのことに気づいたので、長男と一緒に座席の下にタイヤがあるていで、ジャッキアップのふり、タイヤを外すふり、新しいタイヤをはめるふり、ネジを締めるふりをやり切った。
タイヤ交換完了、よかったねなんて言い合ってると、なんか落ち着いた顔になってる。

 

今この瞬間を逃すまいと思い、流れで教室まで連れて行くと、すんなり部屋に入ってみんなに合流。さっきまで断固拒否してたのが嘘みたい。

よくわからないけど、一緒にタイヤ交換の儀式をする過程で気持ちの整理がついたらしい。

 

というわけで、達人が自分で機嫌を直す技は今日も冴え渡っていた。

 

急がば回れ

朝の忙しい時間にタイヤ交換につきあうのはリスクがあった。3歳児の遊びマインドに火がついてしまって、そこから延々つきあわされるおそれがあったし、つきあったところで機嫌が直るという保証もない。

 

しかし、これまでの経験上、これは達人なりに手打ちができる落としどころを探ってきてるなという感触があった。

単なる遊びではなく、機嫌を直すための儀式だということが理解できたので、つきあってあげることにしたわけ。

 

結果、あっさりと機嫌は直った。

カリオストロの城のタイヤ交換ごっこに誘われたとき、「うんうんまた今度ね」とか「いいから早く来なさい」って言ってしまわなくてよかった。

 

焦って達人の儀式を見逃してしまうと、逆に機嫌を直すチャンスを棒に振ってしまう。

今日はそこに気づけてよかったなと自分で誇らしいのと、さすが達人だなー!という尊敬の気持ちの両方を味わえた今朝だった。

 

「柳生一族の陰謀」を観た

今日はなんとなく2時間ぐらい空いたので、Amazonビデオで「柳生一族の陰謀」という映画を観た。

1974年に大ヒットした大作時代劇で、監督は「仁義なき戦い」シリーズの深作欣二

おもしろいらしいという噂は耳に入っていたけど、今までなんとなく観る機会がなかった。

 

柳生一族の陰謀 [DVD]

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歴史好きの王道

日本で「歴史好き」を自認する人は多いけど、実はその8割ぐらいは戦国時代と幕末だけが好きな人って印象。自分ももちろん戦国と幕末から入ったクチだし、大河ドラマだって戦国と幕末のどっちかが圧倒的に多いじゃないですか。

あと残りの2割のほとんどは古代史好きでなぜか団塊世代に多い。

 

まあ戦国も幕末も古代も、いずれも要するに世の中が乱れていろんなことが起こった時代がやっぱりおもしろいよねってこと。

当事者として乱れた時代に生きるのは勘弁してほしいけど、後世から他人事として眺めるぶんには、乱れているほどいい。平和な時代には能力を発揮できてなかったような強烈なキャラクターがいっぱい出てきて、みんなそれぞれの立場で激しく生きてたし。

(ちょっと脱線するけど中国の歴史好きはやっぱり三国志が好きみたい。むかし同じ会社だった四川省出身の張さんは、退職のあいさつ代わりに、社員みんなを三国志の武将に例えてくれた。ハシノは蜀の参謀・法正なんだって)

 

なので、江戸時代が好きっていう人はアカデミズムの世界ならまだしも素人の歴史好きにはあまり見当たらない。浮世絵とか落語や歌舞伎といった庶民の芸能としての江戸が好きっていう人は多いけど、いわゆる歴史ってやつとは別ジャンルと思ってる。

大河ドラマでも、どっぷり江戸時代だけを描いた作品ってあったっけ?忠臣蔵ぐらい?

 

なので「柳生一族の陰謀」は、徳川三代将軍である家光の話ということで、「なんだ江戸時代かー遠山の金さんみたいなチャンバラのやつかー」ってな感じで敬遠してたところもある。

同じ千葉真一なら「戦国自衛隊」観るわーって。

 

虚構のさじ加減による適度な戦国っぽさ 

そんな印象があったので、あまり期待せずに「柳生一族の陰謀」を観始めたんだけど、結論から申し上げると、これがとてもおもしろかった。


柳生一族の陰謀(予告編) 

三代将軍家光の頃なので、どっぷり江戸時代といえばそうなんだけど、わりと史実を無視した設定がいろいろ入ってる。実在の人物にしても死んだ時期とか死因が史実と違ってたりして。

そのへんが、史実を崩さずその隙間でドラマをつくっていく大河ドラマとはまったく違うバランスになってるんだけど、多少のウソをまぜて戦国っぽいノリに寄せようとしてる感じがした。天下統一されたとはいえ、ちょっとしたきっかけでまた戦国になるよっていうヒリヒリした空気。

 

また、将軍家の内輪もめに乗じて公家が外様大名を利用して権力を奪い返し、天皇中心の国をつくろうと暗躍するという設定もあったりして、その設定のおかげで幕末っぽさまでかもしだされてる。

つまりみんな大好きな乱れた時代のやつとして観れる作品です。

 

それでいて、江戸時代のサムライものの良さもあるんだよな。

自分にとってサムライものの良さっていうと、サラリーマンものにも通じる、組織の論理に振り回される個人の悲哀。

そして刀は持ち歩いてるけど、滅多なことでは抜かないし抜けないっていう緊張感。戦国時代とかと違って、基本的に秩序が保たれた世界なんだけど、いざというときは抜くよっていう。抜いたからにはどちらか死ぬよっていう。

ここもう少しくわしく説明すると、戦国時代の人ってさ、基本的に血の気が多すぎる首刈り族だし正直いって感情移入はリアルにはできないわけ。だけど、江戸時代のサムライは基本的に秩序のなかで粛々と仕事をしてる人たちなので、はるかに感情移入できる。そんな、身近な存在なのに、何かのきっかけでいきなり首狩り族のノリが出ちゃうから、観ててショックが大きい。

織田信長が何千人殺す話よりも、ささいなことでブチ切れた殿様に手打ちにされる一人のサムライの話のほうが、断然「うわー」ってなる。

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イメージとしては平田弘史せんせいの劇画など

 

どんなお話かというと兄弟げんかです

柳生一族の陰謀」のストーリーをひとことで言うと、将軍家の兄弟げんか。

実際に三代将軍が家光に決まるまでにゴタゴタしたらしいんだけど、そこにあることないこと盛り込んでお話ができてる。

 

柳生一族っていうのは将軍家の剣術指南役の柳生宗矩とか柳生十兵衛とかのこと。

この一族が将軍家の兄弟げんかの背後で暗躍して、さらに京都の公家とか、まだまだ一発逆転を狙う浪人たちとかも絡んでくる。

 

当時すでに下火になっていた時代劇を復興させるために東映が威信をかけてつくったというだけあって、いろいろ豪華。

往年のチャンバラに加え、柳生十兵衛の役が千葉真一で、真田広之とか志穂美悦子もいるしで、アクション要素は強め。

キャストもよい。深作欣二監督だからか、松方弘樹とか金子信雄成田三樹夫といった仁義なき戦いシリーズの人とか、圧倒的に重みがある萬屋錦之介とか。

出番は少ないながらも、ちゃんと強烈な印象を残していく丹波哲郎原田芳雄。この二人ってそういうの多くないか。

 

特に、成田三樹夫演じる烏丸少将っていう公家のキャラがすごかった。

時代劇における公家ってふつうナヨナヨしててヘタレって相場が決まってるけど、烏丸少将はそこらの剣豪よりも強いっていうおもしろい設定。

検索したらやっぱみんな大好きなキャラみたいで、最近だとアニメ「ポプテピピック」 のたまたま見逃してた回に烏丸少将ネタが出てきてた。

togetter.com

 

多彩なキャラが入り乱れ、いろいろあって柳生一族の陰謀は成就するっていうストーリーなんだけど、最後の最後で虚実のバランスが大きく乱れるぶっ飛んだラストに。

たしかに柳生宗矩は主人公だけど徹底的に目的のためには手段を選ばないので、この人の望みどおりになったとしてもハッピーエンドとは言い難いよなっていうのはある。なのでああいうラストにすることで観てる人の気持を落ち着かせることにしたのかなと思った。

 

実際はどんな兄弟だったのか

三代将軍の座をめぐって争った徳川家光と徳川忠長。

映画では、父である先代の将軍秀忠は忠長を跡継ぎにと考えており家光は疎まれていたという設定だった。家老たちも忠長派が多く、また忠長自身にも人望があっていい人って感じのキャラ設定。家光を担ぐ柳生宗矩やその一派の陰謀に巻き込まれてしまう受け身の存在になっている。

 

これ実際はどうだったのか調べてみたところ、忠長って人にはかなり残虐で狂ったエピソードがあるみたい。

江戸城で狩りをして父秀忠を激怒させたり、家臣にイラついて手打ちにしたり、家康ゆかりの浅間神社で神聖な扱いだった猿を大量に狩ったり。いろいろ重なって最終的には領地を没収され、自害したという。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/18/Tokugawa_Tadanaga.jpg/200px-Tokugawa_Tadanaga.jpg

あれ、これだと「柳生一族の陰謀」でのキャラと全然違う。

映画と同じなのは、当初は父秀忠は見た目のいい忠長をかわいがって次期将軍にしたがっていたというところまで。

 

 

でも、忠長が暗愚だったという話って、あくまでそういうエピソードが残っているというだけ。本当はどっちかは確かめようがない。

むしろ、忠長に暗愚なイメージを植えつけるためにそんなエピソードをわざわざ残したって説もありえる。

 

自分が徳川幕府の人間だったら、父秀忠がかわいがった忠長ではなく家光が将軍になったとき、それをなんとかして正当化しようとするだろうなと。どうやって正当化するかというと、兄弟のうち弟忠長は明らかに将軍の器じゃなかったのでこれはもう兄家光しかないよなって空気をつくる。後世の人間に、忠長が暗愚だっていう印象をもってもらうためにいろいろ工作すると思う。

 

だって途中までは父が贔屓したくなるような優秀な子だったわけで、それがいきなり頭おかしい暗君になるだろうか。

やっぱり忠長にそういう印象をつけるような家光派による世論操作があって、そのせいで忠長の評判は300年後まで落ちたままなんじゃないだろうか。

そして将軍のまわりでそういう闇の仕事って、ちょうど剣術指南でありながら諸大名へも影響力をもっていたという柳生宗矩あたりに適任だったのかもしれない。

 

そうなるとこの印象操作こそがリアル「柳生一族の陰謀」で、その陰謀は大成功してるんじゃないだろうか。

「LL教室の試験に出ない90年代シリーズ 1991年」をふりかえって

さる4月1日、LL教室のトークイベントがいつものように荻窪ベルベットサンで開催された。

今年に入ってから、90年代J-POPを1年ごとに取り上げるイベントをやっており、今回は2回目。

前回は1998年編として、ゲストにBEAT CRUSADERS?THE STARBEMSの日高央(ヒダカトオル)さんをお招きし、CDバブルの時代とインディーズシーンの勃興について、危険球が飛び交う半分以上がオフレコな感じで語って大盛り上がり。

 

さて今回はまた趣向を変えて、ゲストに精神科医にしてミュージシャンの星野概念くんをお迎えし、1991年を掘り下げることになった。

星野概念といえばつい先日、あのいとうせいこうさんとの共著「ラブという薬」を出したばかりで勢いに乗ってるタイミング。

ラブという薬

ラブという薬

 

 

星野概念のこと

星野くんとは昔お互いバンドをやっていた頃からの繋がりで、何度か対バンしたことも。

I'M SENSITIVE

I'M SENSITIVE

 

このCDが出たのももう20年前か!

 

その後、バンドを離れてお互いにマルチな(=いろんなことに首を突っ込む)人生を送るようになったんだけど、星野くんの動向は常に気にしてた。
去年には何となく流れでサシで飲むようになり(わたくしお酒が弱いので誰かとサシで飲むのは人生で数度)、流れで彼がやってる星野概念実験室というグループのライブにカホンで参加するなどした。

そして今年、LL教室で90年代J-POPを掘り下げようということになり、イベントのゲストに誰を呼ぼうかという会議の際に何気なく星野くんの名前を出し、自分が知ってる彼の人となりを説明したところ、ぜひぜひということに。

 

テーマはどうするか

星野くんに来てもらうならどういうテーマでいくか。

以前に飲んだときにチャゲアスのことがすごく気になっているという話をしていたので、じゃあASKAオリコンチャート上位のヒット曲を連発した1991年だろうと。

1991年といえばSMAPがデビューした年ということで、ジャニーズ研究家の矢野利裕くんとしても語り甲斐があるであろうと。

森野さんや自分は当時高1~中3という多感な時期であり、時代の空気を絡めた話ができそうだし。

ちなみにわたくしハシノがどんな1991年を過ごしたかについてはこの記事を参照のこと。

guatarro.hatenablog.com

 

そんな感じでテーマは決まり、打ち合わせや顔合わせと称した飲み会などを重ねつつ当日へ。

 

イベント前半戦

いよいよイベント当日。
まずは1991年とはどんな時代であったか、いつものようにパワポでつくった資料を投影しながら振り返る。

 

 

前回1998年をテーマにした際には、いうても20年前だし客席と一緒に懐かしむモードで進んでいったんだけど、今回はちょっと様子が違った。わりとベタなあるあるネタのつもりでしゃべったことが、なんか反応薄い。

あとで気づいたけど、1991年ってもうほとんど30年前なわけで、アラサーの人でさえ物心ついてるか微妙なレベルの過去なんだよなー。そりゃ反応薄くもなるわな。

 

たとえば、この年のオリコンアルバムチャート1位はユーミンの「天国のドア」なんだけど、ユーミンが毎年冬にアルバムを出して、アルバムのコンセプトを発表し、それが恋愛の神様のお告げのように世間に受け取られていたことなど、そういう時代の空気みたいなものはなかなか後世に語り継がれづらいし追体験が困難。
またたとえば、アラサー以下の人にとってドリカムといえば男女2人という形態で思い浮かべると思うんだけど、40代以上にとってのドリカムはいまだに男2人女1人の形態。なのでたまにおじさんが「おっ、ドリカム状態だね」などと言うときは男2人女1人のこと。当時はこの編成が珍しかったのですよ。

 

チャートを眺めてみてあらためて思うのは、時代の転換期だなということ。

1990年にバンドブームが最盛期を迎え、同時に終わりかけた。1991年にはすでにチャートの100位以内にはほとんどロックバンドがいない。
90年代前半のチャートを席巻するビーイング系は、B'z以外まだ本気を出していない。T-BOLANWANDSZARDはこの年にデビューしている。
つまり、バンドブームとビーイング系の境目。

 

また、この年にデビューしたアーティストがなかなか興味深い。
電気グルーヴフィッシュマンズスピッツBLANKEY JET CITYLUNA SEA、L-R、スチャダラパーなど。
80年代後半からバンドブームまでの若者向け音楽といえばだいたいパンクかメタルだったわけだけど、ここにきてテクノやレゲエ、ヒップホップ、ヴィジュアル系まで音楽性が一気に広がった感じ。
その後の90年代の日本のロックの基盤ができた時代だと言えるかも。

 
 
 

 

一方でチャートの最上位を見てみると、「ラブ・ストーリーは突然に」「SAY YES」「しゃぼん玉」のようにドラマの主題歌から売れた曲が多い。それと同時に、ASKA槇原敬之長渕剛、ドリカムと、その後薬物がらみで問題になった人がベスト10のうち半分を締めているのも何かを示唆しているかもしれない。10位以下にしてもJ-WALKとかいろいろいる。

むりやりこじつけるなら、バブルの狂騒のなかで大衆に響く音楽を100万枚単位で届けるというハイパーで強烈な体験をした人が、祭りがはじけた後、当時のハイパーさを人工的に得ようとしたのかもしれないなとか。

 

イベント後半戦

休憩を挟んで、いよいよ星野くんによるチャゲアス論に。
ジェームス・ブラウン矢沢永吉、フレディー・マーキュリーなど、とにかく昔からジャンルに関係なく強烈な個性のアーティストに魅力を感じるという星野くん。
そうなるとASKA飛鳥涼)という人も強烈さという意味ではかなりの人材。

まずは1991年にリリースされたチャゲアスの代表曲「SAY YES」の歌詞を分析。

このとき壇上には精神科医と文芸批評家と構成作家という、言葉のプロが揃っていたわけで、それぞれの観点から容赦なくメスを入れていく。

 

余計な物など無いよね
すべてが君と僕との愛の構えさ
少しくらいの嘘やワガママも
まるで僕をためすような
恋人のフレイズになる
このままふたりで 夢をそろえて
何げなく暮らさないか
愛には愛で感じ合おうよ
硝子ケースに並ばないように
何度も言うよ 残さず言うよ
君があふれてる
言葉は心を越えない
とても伝えたがるけど
心に勝てない 君に逢いたくて
逢えなくて寂しい夜
星の屋根に守られて
恋人の切なさ知った
このままふたりで 朝を迎えて
いつまでも暮らさないか
愛には愛で感じ合おうよ
恋の手触り消えないように
何度も言うよ 君は確かに
僕を愛してる
迷わずに SAY YES 迷わずに
愛には愛で感じ合おうよ
恋の手触り消えないように
何度も言うよ 君は確かに
僕を愛してる

 

まず間違いなく言えることは、基本的にASKAは自分にしか興味がない人で、自己完結してる。恋愛の歌であっても、相手に語りかけていても、相手がどう考えているかは実はあまり関係ない。
「余計なものなどないよね」の「ね」にはっきりあらわれている。

「君は確かに僕を愛してる」という断言に、根拠はあるのか。とかね。

何よりも、「SAY YES」って命令形だから。YESって言えってことだから。

 

星野くんによると、ライブで「SAY YES」を歌うとき、コールアンドレスポンスになるんだけど、ヒップホップでよくあるように「SAY HO-」ってコールされたらレスポンスは「HO-」だけであって、「SAY YES」って言われたレスは「YES」だけのはず。しかしチャゲアスの場合「SAY YES」ってASKAにコールされたら観客も「SAY YES」ってこたえるらしい。つまりここでの「SAY」は、観客対する呼びかけ(コール)ではなく歌の世界の中でASKAがしつこく相手に語りかける洗脳ワードのパーツであり、観客もコールに対するレスポンスというかたちではなくASKAと同じ目線で洗脳のテクニックを練習するかのごとく「SAY YES」とこたえるのだという。

…この説明、伝わってるかどうか全然自信がないけどいかがだろうか。

 

とにかく、ここまでは言葉の専門家が寄ってたかってASKAの言葉からASKAという人間を解き明かしたパート。

続いてそこからは、ASKAがいかに強烈か、チャゲがいかに女房役として支えているか、フィジカルな存在としてのASKAをライブ動画をまじえてじっくりと味わっていく。

 

いくつかの動画を観た中で、ベルベットサン全体が揺れるほどの笑いとどよめきが起きたこれをご紹介。


BankBand With ASKA - 名もなき詩~YAH YAH YAH

 

ミスチルの「名もなき詩」を完全に自分のものにして歌い上げ、そこから「YAH YAH YAH」へと続く怒涛の展開。

「YAH YAH YAH」の思わず拳をあげたくなるあのカタルシスがライブでさらに増幅されてるし、バケモノかってレベルで歌うまいASKAが、薬物に頼らずにあそこまでブチ上がってるさまは、もう笑いが出るし元気になる。

イベントから数日たった今日までの間にまた何回か観てしまった。

 

まとめ

ASKAの動画でひとしきり盛り上がったあと、そろそろ締めのパートへ。

 

結論めいたことを言うなら、1991年はやはりバブル的なものや昭和的なものの終わりの時期であり、平成的な不景気のはじまりでありって感じ。

キメキメの衣装がダサいものになり、Tシャツとジーパンで客前に出ることがよしとされるようになった。

華やかな歌番組ではなく、ときに内輪ノリにもなるようなバラエティ番組の時代。

アイドルという存在がやりづらくなり、アーティストというパッケージで売り出さざるを得なくなったり(ZARDLINDBERGなど)、ひたすらポジティブで、だけど具体的なことは言わない歌詞のJ-POPがいよいよ時代の真ん中に入ってきたりした。

 

そんな転換期を象徴するような存在としてピックアップした1991年のこの曲を、最後に一緒に味わいましょう。


織田裕二 歌えなかったラヴ・ソング PV

何か大事なことを言ってるような雰囲気だけはするけどっていう、尾崎豊っぽさだけはある歌詞。

 

何曲か歌詞を分析してみたけど、徹底的に抽象的。

誰にでも当てはまるように、聴き手が我が事と感じてくれるような余地をわざと残しているかのよう。

「がんばろう」と歌うとき、「何のために(WHY)」「何を(WHAT)」がんばるのかは一切言わない。「どのように(HOW)」がんばるかをとにかく言い続けるっていう。

 

もしかしたらこれ、昭和40年代ぐらいまであった政治の季節の反動なのかも。

「世の中を良くするために」など、あの時代にはWHYが満ちていた。WHATもあった。

だけど時代は移り変わり、重苦しくてダサい昭和を脱ぎ捨てて、軽やかな平成を生きることになったとき、大きな物語みたいなものは邪魔になる。

 

それがJ-POPの歌詞の背景にある空気なのかもしれない。っていうような話を最後にして、イベント終了。

今回も硬軟織り交ぜてなかなか深いところまで話せたのではないでしょうか!

 

次回は7月1日。また豪華ゲストをお招きしてやりますので、よろしくお願いします!

1991年のこと

1991年は中学3年生だった。

中高一貫校だったので受験がなく、人生でもっとも勉強をしなかった時期。

サッカー部は辞めていたし軽音楽部でバンドを始めるのは高校に入ってからだし、その間の空白期間で友達も減ったし何かをがんばった記憶が一切ない。

やっていたことといえば夜更かししてテレビやラジオの深夜番組をチェックしていたことと、いろんな音楽を聴きあさっていたこと。

 

FM802

当時の大阪ではFM802が開局したばかりで、とにかくこの局を聴いてることがイケてると思っていた。

特に何かがんばっているわけでもないくせに自分は人とは違うと思いたくて「洋楽聴いてる俺カッコイイ」を唯一の拠り所にしたかったのだった。

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FM802のカウントダウン番組とかを聴いて流行っていた洋楽ヒッツを片っ端からチェックしていくなかで、ピンときたのがハードロック/ヘヴィ・メタル

当時はメタリカとかガンズとかMr.BIGなんかがチャートの上位に入っていたので、洋楽ロックを聴くことイコールそういうことだった。そういう時代。

 

一方で、打ち込みっぽいバンドにも耳が反応していた。

当時のUKではストーン・ローゼズとかハッピー・マンデーズとかのいわゆるマンチェスター勢が盛り上がっていたし1991年といえばあのプライマル・スクリーム『スクリーマデリカ』がリリースされているんだけど、FM802のチャートをなぞっているだけの中3はそこまでたどり着けなかった。

だけどそれらのシーンの影響下にありつつよりポップにしたような存在がちょいちょい出てきていたのも1991年の特徴。その中ではEMFとかジーザス・ジョーンズとかが好きだった。

日本ではフリッパーズ・ギターが「ヘッド博士の世界塔」でやったような感じ。電気グルーヴの「FLASH PAPA」もこの年。


EMF - Children (Official Music Video)

 

重要な情報源

当時FM802と同じぐらい重要だった情報源が、「SONY MUSIC TV」という番組。

トークもなにもなくひたすら洋楽のPVが流れ続けるというだけのテレビ神奈川の番組を、KBS京都というUHF局で観ていた。

どんな背景があるアーティストだとかどんなジャンルだとかいった文脈が一切なしの状態でPVだけで好きか嫌いか感じるというのは、いい体験だったと思う。

 


【懐かしい映像】SONY MUSIC TV オープニング 1989年

 

半年に一回ぐらいメタル特集をやってくれるので特にその回は録画して熱心に観ていた。

それ以外の回は、大量の興味ない曲のなかにたまに好きな感じの曲が流れるため、ビデオの編集もできないしテープが何本あっても足りないということで、基本的に録画はしてなかった。

 

そんな感じで毎週ナマでチェックしていたある日、とある曲の映像にめちゃめちゃ衝撃をうける。

アーティスト名は控えたのでCDは買えたけど、あのビデオを何としてももう一回観たい。

いろいろ考えてたどり着いたソリューションが、デジタルジュークボックス。

あのボーリング場の空いてるレーンの画面で流れてるあれ。

高校の近くのJR高槻駅前のロッテリアにデジタルジュークボックスがあることを知り、毎日のように友達と通いつめ、コーラ一杯で粘りつつ100円玉を投入してその曲のPVを観ていたのだった。

きみたちがyoutubeで無料で好きなだけ観てるPVを、おじさんはそういう苦労をして観ていました。知るかって言われると思うけど。

 

で、1991年のJR高槻駅前のロッテリアでもっとも流れたPVはこれ。


Red Hot Chili Peppers - Give It Away [Official Music Video]

 

このキモチワルイ映像に、中3のわたくしはとんでもなくハマったのでした。

そしてこの曲が収録されたアルバムは何千回と聴きまくったし、アルバムのレコーディングを追ったドキュメンタリー映像も観た。

 

1991年9月24日

後から調べてわかったことなんだけど、90年代以降のロックの歴史を変えてしまった2枚の重要なアルバムが、偶然にも同じ1991年9月24日に発売されている。

 

1枚目は前述のレッチリの「BLOOD SUGAR SEX MAGIK」。

のちに世界一の現役バンドになるレッチリも、このアルバムが出るまでは、白人なのにファンクをやるバンドとか、ラップをやるロックバンドとか、ベーシストが超絶テクとか、そういう話題性で語られてる感じだった。

このアルバムがめっちゃ評価され、レッチリは大物バンドの仲間入りを果たしていくし、またこういうファンクな要素のあるロックがブームになっていく。和製英語では「ミクスチャー」と呼ばれた。

 

そして、同じ日にリリースされたもう1枚の決定的なアルバムというのが、ニルヴァーナの「NEVERMIND」。

このアルバムによって、アメリカのロックのトレンドが一気に変わっていく。

そのあたりの経緯はこの記事に書いたのでよかったらどうぞ。
guatarro.hatenablog.com

 

自分もまんまとこの波に飲み込まれ、それまでメタル少年だったのが、一気にオルタナグランジ化していく。FM802や「SONY MUSIC TV」でもメタルが減っていく。

 

ただし節操なくなんでも聴いていたので、メタルを完全に捨てたわけではなく、この後、よりハードなスラッシュメタルデスメタルに触手を伸ばしていくことになる。

 

一方日本ではバンドブームが終わりかけていた 

 日本の音楽に興味がなかったわけではなく、バンドブーム期のバンドはいろいろ聴いていた。

1989~1990年ぐらいは深夜のテレビにバンドがいっぱい出ていたり、デビューの話もけっこうあったんだけど、1991年にはちょっと下火になってきてる雰囲気が中学生ながら感じられた。

デビューしたバンドはいても、ライブハウスから叩き上げた感じというよりは、大人たちによって作られた感があるバンドが目立つなと思っていた。まあ実態はどうあれ、好きな感じじゃないなと思っていた。のちのビーイング系とかがバンドブームと入れ替わるように出てきた時期。

 

そんな中でハマっていたのが、すかんち

ダウンタウンのごっつええ感じ」の主題歌になってブレイクするまでに2枚のアルバムをリリースしていて、その2枚をめちゃめちゃ聴き込んでいた。

60年代のブリティッシュ・ロックや日本の歌謡曲の引用がめちゃめちゃ多いすかんちだけど、中3にはわかるはずもなく、普通にかっこいいと思って聴いてた。また歌詞がストーカー気質だったり妄想がすぎる感じで、ちょっといいなと思ってた女子にカセットテープを貸してすかんちの良さを力説したらドン引きされたという苦い思い出あり。

 

あとは筋肉少女帯

メタル少年には音楽性がどストライクだったのと、自分は他人とは違うっていう中3の気分に大槻ケンヂの歌詞がハマるハマる。

1990年に「サーカス団パノラマ島へ帰る」「月光蟲」、1991年には「断罪!断罪!また断罪!」という名盤を立て続けにリリースし、メタル期の筋少の黄金時代って時期に間に合った。ナゴム時代から追っかけてるおねえさま方にはかなわないけど、今となってはそれなりに古参ということ。

 

上々颱風

関西の深夜ラジオのなかではABC朝日放送が音楽性の面ではもっとも尖っていて、いろんなおもしろいものに出会うきっかけをくれた。上々颱風もそのひとつ。

当時うちの母親がワールドミュージックに興味をもっていて、細野晴臣が監修したコンピなんかを母子でよく聴いていたんだけど、その流れで、これ好きだってすぐ思った。

80年代末ぐらいから「エスニック」って言葉がちょっとしたトレンドワードになっていたんだよな。映画版「AKIRA」の音楽に芸能山城組ガムランが使われたりとか、タイ料理とか激辛カレーとか。

河内家菊水丸がちょっと流行ったのもいうたら同じ文脈だと思う。日本の中のエスニックな存在というか。

 

圧倒的だったユニコーン

そんな感じで、中3にしてはわれながらセンスよく雑食してたなと思うんだけど、もっともハマっていた日本のバンドは、なんといってもユニコーン

1989年に「服部」、1990年に「ケダモノの嵐」という名盤を立て続けにリリースし、人気・実力ともにすごいことになっていた時期。音楽性の幅広さ、アイドルから本格派に毎年進化していく感じ、メンバーがみんな曲書いて歌えるところなど、ビートルズと比較するような言われ方もされるようになっていた。

しかし、1970年代前半生まれの男性(つまり1991年当時に大人だった)からすると、ユニコーンといえば若い女の子向けのアイドルバンドみたいに見られてて、あまりちゃんと評価されてなかった。先輩バンドマンとかスタジオのおにいさん連中に、ユニコーンが好きって言ったら軽くバカにされる空気あったもんな。

 

そんなユニコーンが、1991年にリリースしたのが「ヒゲとボイン」。

当時インタビューで奥田民生は「このアルバムの良さがわかるのは20代後半以上だけ」みたいなことを言っていて、捨てられた!って思ったし、メインのファン層はそれこそ10代〜20代前半の女性だっただけに、そこ全部捨てるのかってびっくりしたもんだった。

でも音を聴いてみたら確かにそうで、デビューから数年でどんどん枯れていき、複雑だったコード進行はひたすらシンプルになり、音数も減り、引き算の美学がすごかった。音楽性の幅は相変わらず広いんだけど、70年代のちょっと黒くて渋いロックが中心。

 

中3にはちょっと早いんだけど、食らいついて聴き込むことで良さがわかってきて、とにかく愛聴していた。


ユニコーン/開店休業

 

ユニコーンはとにかく大好きで。

めっちゃ曲がいいというだけでなく、たとえば歌詞カードのスタッフのクレジットで遊んでいたりとか、インタビューでふざけていたりとか、なんていうか遊んでいるみたいに仕事している感じにすごく憧れた。

音楽を仕事にするっていうことがこういうことなんだったら、なんてすばらしいんだと思った。

 

ダサい中高一貫の男子校でくすぶっていた中3が、よりどころになるものを見つけたような気になった瞬間。

 

いろんな音楽を浴びるように聴いて、自分なりに味わいどころがわかってきた時期でもあり、自分で音楽をやってみたいと思いはじめたのが1991年だった。

 

その後、20代30代をほぼ丸ごとバンドマンとして過ごし、今でもこんなブログやったり90年代J-POPを語るトークイベントをやったりしてるわけで。

 

あ、そうそう。90年代J-POPを語るトークイベントといえば、4月1日にこんなのやります。

www.velvetsun.jp

 

LL教室の試験に出ない90年代J-POP 1991年編

【出演】LL教室(森野誠一、ハシノイチロウ、矢野利裕)ゲスト:星野概念(ほしの・がいねん)

【会場】荻窪ベルベットサン

【開場】18:00
【開演】18:30
【料金】1,500円+税 (1ドリンク別)

 

90年代J-POPを1年刻みで深掘りしていくトークイベントの2回目。

前回は元BEAT CRUSADERS〜THE STARBEMSの日高央(ヒダカトオル)さんをお招きして、CDがもっとも売れたバブル期にしてインディーズ界も活気があった1998年を取り上げて大盛り上がり。

そして今回のゲストは、精神科医にしてミュージシャンの星野概念くんをお迎えします!

 

星野くんは実は10年ぐらいまえからの付き合いで、お互いに当時やっていたバンドで対バンするなど交流があって。最近では彼がやっている星野概念実験室という音楽グループのライブに参加してカホンを叩いたり。

昔からすごくおもしろい人物だったんだけど、最近それが世の中にバレてきて、いろんなところで連載を持つようになっていたり、先月にはなんとあのいとうせいこうさんとの共著「ラブという薬」を出版。  

ラブという薬

ラブという薬

 

 

そんな星野くんと一緒に掘り下げていくのは、トレンディドラマ全盛の1991年。

101回目のプロポーズ」の「SAY YES」をはじめとする当時のJ-POPを”診察”してくれるそうです。

 

おもしろいことになりそうな予感しかしない。

ぜひお越しください。

 

ヘヴィ・メタルはなぜ滅んだか(メタルの墓)

黄金時代

信じられないかもしれないけど、ハードロックとかヘヴィ・メタルが若者むけ音楽のど真ん中だった時代がたしかにあった。

ピークは1980年代の中盤ぐらい。

 

後にレジェンドとか神とか呼ばれるようになるバンド(アイアン・メイデンとかジューダス・プリーストとかボン・ジョヴィとかモトリー・クルーとか)が働き盛りで、たとえばアメリカで抱かれたい男ナンバーワンといえばヴァン・ヘイレンのデヴィッド・リー・ロスであり、日本でも少女マンガに出てくる憧れのセンパイが長髪で革パンのバンドマン(アルフィー高見沢みたいな)だったりした。

https://i.pinimg.com/originals/35/04/14/350414946898b5de5396d35c989a3f24.jpg

ダイヤモンド・デイヴことデヴィッド・リー・ロス

 

基本的にみんな派手で豪快で大味なノリで、細かいことは気にしない感じ。

歌ってる内容も、ワイルドなパーティー生活、オンナ、酒、ドラッグみたいな世界か、もしくは悪魔、狂気、殺人みたいなテーマ。

 

 

 

言ってしまえば能天気な、陽気な人たちがロック音楽のマジョリティだった。

 

あの日までは。

 

 

あの日(1991年9月24日)

「あの日」とは、1991年9月24日。あのアルバムがリリースされた日。

 

ネヴァーマインド

 

そう。ニルヴァーナのメジャーデビュー・アルバム「ネヴァーマインド」が、ハードロックとかヘヴィ・メタルの黄金時代を一瞬にして終わらせてしまった。

 

このアルバムが爆発的に売れまくり、同じようなシーンで活動していた他のバンドたちも注目されていき、そのうち「グランジ」とか「オルタナティブ」とか呼ばれるジャンルを形成していく。

サウンドガーデンソニック・ユース、マッドハニー、ダイナソーJr.、L7、フェイス・ノー・モア、ジェーンズ・アディクションパール・ジャムスマッシング・パンプキンズなどなど。

 

その結果、昨日まで世界の中心にいたはずのロックスターたちが、あっという間に古い人たちになってしまった。

ロックスターたちの派手な衣装や超絶技巧のギターソロ、破天荒な生き様などはすべてダサくなった。

 

歌われる歌詞の世界観も一変し、内省的で観念的でおおむね低血圧で暗い。

アメリカの景気が悪くなっていったこともあり、そういう歌詞のほうがリアルだと感じられる時代になっていたのだった。朝までパーティーだぜとかそういうんじゃないんだよね、って。

 

 

妄想:兄貴が東海岸の大学に行ったアメリカの田舎の高校生

1992年頃のアメリカ中部のとある田舎町の、こんな高校生を妄想してみる。

 

今年から東海岸の大学に進学している2つ上の兄貴が、夏の休暇で久しぶりに帰ってきたとする。

2人は去年まで、オジー・オズボーンやっぱ最高だよなとか言いながら爆音でメタルを流して頭を振っていた仲良し兄弟。

久しぶりに兄貴とメタルの話ができると思ってワクワクしてた弟。

フレディ・マーキュリーの追悼コンサート観た?ガンズとメタリカデフ・レパード最高だったよな!」とか言い合いたい。

 

ところが、帰ってきた兄貴の様子がちょっとおかしい。

長髪で黒いTシャツを着て家を出ていった兄貴が、髪を切ってネルシャツを着て帰ってきた。

地元のダチと無茶な飲み方をしたとかそういう話を一切しなくなり、代わりにブッシュ政権批判を口にするように。あの兄貴が。

挙句の果てに、弟の部屋に貼ってあるモトリー・クルーのポスターを見て、「お前まだこんな頭カラッポの幼稚なやつ聴いてるのかよ」と言い出す始末。

 

東海岸の大学で兄貴は変わってしまった。

 

でも確かにMTVで観たニルヴァーナは正直かっこいいと思ってしまったし、自分の気持ちに近いことを歌ってる気がした。それに比べてモトリー・クルーは確かに幼稚かもしれない。

ニルヴァーナがインタビューでメタルのことをバカにしてるのを読んで悲しい気持ちになったけど、そういえばクラスのイケてる奴らはラップを聴いてるし、気になるあの娘はR.E.Mっていうバンドが好きって言ってた。

 

…当時アメリカ中いたるところでこんな光景が繰り広げられてたのではなかろうか。

 

 

メタル界の反応

こんな感じでニルヴァーナやそっち系のバンドたちに若いリスナーをどんどん奪われていく一方のハードロック/ヘヴィ・メタル界。

自分たちのアーティストとしてのイメージ戦略とか築き上げてきたブランド、世界観が一夜にしてダサいものとされてしまった。

 

地上の覇者として君臨してきた恐竜たちが隕石落下による気候変動でバタバタと絶滅していったかのように、半年前までイケイケだった大物バンドが活動休止やメンバー脱退などの混乱状態に陥っていった。

おそらく、ライブの動員やCDのセールスが明らかに激減していったんだと思う。

それはもう心中察するに余りある。

 

このまま為す術なくジャンル全体が終わっていってしまうのか。

気の毒だけどそれも時代の宿命なのかもしれないと思われた。

 

 

しかし、座して死を待つバンドだけではなかった。

環境の変化に合わせていこうと必死にあがくやつらもいた。

 

 

必死にあがいたバンドたち

モトリー・クルーの場合

華やかなL.A.メタルの代表選手。ワイルドでセクシーな不良な彼らは、一方でビジネス感覚にも秀でており、ちゃっかり生き残りをはかっていく。

<before>

1987年のアルバム。「ガールズ・ガールズ・ガールズ」ってタイトルそして革ジャンといかついバイク。

 

<after>

1999年のアルバム。オルタナ感をかもしだすロゴ。「スーツを着た豚と星条旗」っていう、中学生が見ても「何かの風刺なんだろな」って理解できるジャケ。

 

デフ・レパードの場合

キャッチーな楽曲で全盛期には数千万枚アルバムを売ったイギリスのハードロックバンド。80年代を象徴するようなキラキラした音なので、グランジの影響をモロに被った。

<before>


Def Leppard - Pour Some Sugar On Me

1987年の大ヒット曲。スタジアムが似合うスケールの大きいロック。

 

<after>

ジャケの雰囲気からかなりグランジに寄せてきてる。曲も民族音楽っぽかったりダークだったり。ベテランの意地にかけて時代にキャッチアップしようという心意気は伝わってくる。

 

 

ウォレントの場合

いわゆるL.A.メタルの中でも後発組だけど、キャッチーな楽曲ですぐに注目されたバンド。

<before>

1990年の大ヒット作。このジャケにして邦題が「いけないチェリーパイ」っていう、何をか言わんやである。

<after>

1992年のアルバム。たった2年でここまでイメージを変えてくるんだからすごい。スケボーとかバスケが好きなストリート系キッズがジャケ買いしてしまいそう。

 

エクソダスの場合

アメリカ西海岸のスラッシュメタルシーンを代表するバンド。切れ味するどいザクザク感がクセになる。

<before>

1989年のアルバム。色使いといい表情といい、最高に頭悪そうで大好きなジャケ。音もまあそんな感じ。

 

<after>

1992年のアルバム。さっきと同じバンドとは思えないぐらい「アート」してるジャケ。音も明らかにグランジを意識した重さ。

 

 

他にも事例はたくさんあるけど、共通して言えるのは、能天気さ/豪快さ/ポップさ/陽気さといった要素を消して、リアルで/ダークで/シリアスで/ストリート感を演出しようとしていったってこと。

そうすることで、「大学生の兄貴にバカにされない」音楽に脱皮しようとしたわけ。

 

もちろん、昔からメタルシーンを支えてきた古株たちはこの流れに反発する。

日本のメタル専門誌「BURRN!」も、上記の<after>のアルバムは軒並み低評価。

コアなファンは離れてしまい、思ったほど今どきのキッズにも刺さらず、路線変更はうまくいかなかった。

 

 

全体として、90年代のアメリカでは、恐竜は一旦ほぼ滅んでしまう。

(東欧とか南米とかアジアなどの地域では、比較的メタルはしぶとく生き残ったりもしてて、それはおそらく「兄貴が進学した東海岸の大学」的カルチャーが少ないから)

 

その流れは1994年にカート・コバーンが死んでニルヴァーナが解散した後も止まらず、騒がしい音楽で暴れたい高校生のニーズは、オフスプリングとかリンプ・ビズキットとかマリリン・マンソンあたりが汲み取っていくことになる。

 

映画「レスラー」

2009年の映画「レスラー」は、全盛期を過ぎたおっさんプロレスラーの話。

めちゃめちゃいい映画なのでみんな観るべきなんだけど、注目すべきは映画の中で主人公とストリッパーが意気投合するシーン。

 

80年代はよかったよな。

ガンズ・アンド・ローゼズモトリー・クルーがいて。

なのにニルヴァーナが出てきてダメになった。

90年代は最悪。

 

上記の恐竜たちと主人公がオーバーラップして、メタル好きには二重に泣ける。

思えばプロレスも、90年代になってリアルな格闘技に押されて下火になった時代があった。

「ロープに振られて戻ってくるなんてダセー」ってのと、「ギターソロで速弾きするなんてダセー」って気分は似てる。

 


レスラー

 

ロックの焼け跡派

かくいう自分も、十代の前半をメタル全盛期として生き、後半をグランジオルタナ全盛期として生きた世代。価値観の変わり目をリアルタイムで味わったし、どちらにも同じぐらい思い入れがあって、どちらか一方を否定することができない。

 

小学校時代に終戦を迎えて軍国主義から民主主義に180度振り切った昭和の焼け跡世代と同じで、流行っていうものに対するある種のニヒリズムが根底にあるし、戦後民主主義の申し子を自認しつつも同窓会では結局みんなで軍歌を歌っちゃうみたいなノリで、なんだかんだメタルのほうが無条件に盛り上がってしまう。

 

 

焼け跡派の野坂昭如が「火垂るの墓」を書いたような気持ちで、この「メタルの墓」を書きました。

説教したくなるほどモテすぎて困ってるオスどもの音楽(ヒムロックからBAD HOPまで)

昔のロックスターの方々は説教したくなるほどモテすぎて困っていた

90年代前半ぐらいまで、ロックバンドは今よりもっとオラついていた。

メガネをかけたメンバーなんていなかった。

 

歌詞の世界観もまるで違っていて、「尻軽女にモテて困惑」みたいな曲がすごく多かった。とにかく当時ロックをやってる男はモテたんだと思う。

困惑するだけならまだしも、しまいには説教しはじめる歌もたくさんあった。

 


BOOWY - IMAGE DOWN

数をこなすのと もててることとは

同じじゃないんだぜ 尻軽TEENAGE GIRL

愛だ恋だを上手に使い分けてみても

先も中身もないのさ 尻が軽いだけじゃ

 

http://www.geocities.co.jp/Broadway/1389/a-complex01.jpg

COMPLEX「PRETTY DOLL」

華やいだ街の裏側じゃいつも

笑われているんだぜ

金で買われたお飾りのPRETTY

奴らの仲間にはなれない

 

大沢誉志幸「ゴーゴーヘブン」

いいかよく聞け表通りで お前は確かに女神(ビーナス)

だけどひとつはいった路地では笑われてるんだぜ

 

 

ライブ映像とかアー写を見てもらえばわかるように、当時のロックスターの方々は、そりゃモテるわなという人種。

なんていうか、オスとして強そう。

スクールカーストの最上位にいる男子が、地元の不良のセンパイに憧れてバンドを始める感じ。

 

だから元々モテただろうし、(自分なんかには想像もつかない世界の話だけど)「モテすぎてなんか腹立つ」とか「そんなに簡単に股開くなよ」って気持ちになったとしてもおかしくない。

それが素直に歌詞に出る。

 

あの奥田民生にしても、UNICORNのど初期にはその匂いを感じる。

 

エレキギターがメガネくんの一発逆転の武器に

さっきも言ったけど、昔はロックバンドにメガネかけたメンバーなんていなかった。

2018年の青少年には想像もつかないかもだけど、くるりナンバーガールが出てきたとき、「メガネくんがボーカル!?まじか」ってのがちょっとした事件として受け止められてたんだから。

 

それが90年代後半ぐらいから、いわゆる現在の「邦ロック」といわれる流れにつながるバンドたちが登場してきて、バンドやるような男の子の人種が変わってきた。

 

スクールカーストの下層とまでは言わないまでもトップではない。

趣味が合う数少ない友達と帰宅部でつるむような子らがギターを手にするようになった。

不良のセンパイに憧れたわけじゃなく、むしろそういうやつらを見返すために。

はい。自分も完全にそっち側の人間。

いつからロックって文化系のナヨナヨ眼鏡がやる音楽になったの?

 

 

不良のセンパイに憧れる子らはどこへ

じゃあ、90年代後半、不良のセンパイに憧れる子らはどこにいったのかというと、実はヴィジュアル系でした。

その証拠に、尻軽な女子にモテて困るっていう例のノリがロックバンドから消えたのと入れ替わるように、ヴィジュアル系の歌詞に登場するようになった。

ただしV系なので語彙が独特になり、おもに「淫乱」と表現されてる。

具体的にいうと黒夢とか。

 

さすがにヒムロックや吉川晃司あにきのように説教まではしないけど、群がる女どもを軽蔑するっていうスタンスをとってるし、そういうツンな態度がまたさらにモテを呼び込むというループが発生していた模様。

同じ時代にバンドやってたはずなのに、こうも景色が違うものかと。

 

 

不良のセンパイに憧れる子らの2018年

さらに時代が進んで2018年、不良のセンパイに憧れる子らはどんな音楽をやっているのかというと、そりゃもうヒップホップ一択であろう。

 

そしてビートロックには「尻軽」、V系には「淫乱」と呼ばれていた女子たちは、ラッパーたちに「ビッチ」と呼ばれていますね。

 

特に般若さんやBAD HOPさんといったあたりのコワモテの人がビッチを非難するリリックをよく見かける。

(ただややこしいのが、このあたりの人たちは女友達とか女性ファンに対してビッチ呼ばわりすることもあるので、文脈から読み取る必要がある)


2WIN (T-PABLOW × YZERR) / FIRE BURN - Official Video -

 

いつの世も、強いオスがやる音楽はモテすぎて困ってるし、尻軽を軽蔑してきたんだなということがよくわかる。

そして強いオスがやらなくなったジャンルはその後、ハイエナ的なオスのものになるんだけど、ハイエナは特にモテない。